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淀殿は侍女に非常に好かれていたのだそうな。ほう、と思った。女性が、同姓の女性に好かれるのは並大抵なことではない。だいたい、女は女に手厳しい。
どのくらい好かれていたかというと、彼女の死後、侍女たちが集まって毎年供養をしていたというエピソードが残っているくらい、である。
生きているころに身分の高い淀殿にちやほやするのは、自分の姫様にちやほやするのが侍女の務めだから当たり前だが、死後でもわすれずに慕い続けるとは本物だ。ましてや淀殿は普通の往生を遂げていない。時の権力者に逆らって滅ぼされたのである。だから淀殿を供養する、と一言でいったところでそれは大変な勇気を伴うことだったはずだ。
さらにもっとすごいことに、侍女の御子孫のみなさんが、先祖の思いを綿々と受け継ぎ、淀殿の供養をし続けたというのである。江戸も明治も大正も昭和も……。
なんと。それが本当だとすれば、今まで言われてきた淀殿のイメージ─やれヒステリックだとか、やれ色ボケだとか─それらは一掃されねばならないイメージだろう。なぜなら女はヒステリックな女なんて大嫌いだし、男好きな女も自分のことは棚に上げても眉をひそめる生き物だからだ。
そこで、先入観を捨てて現存する史料を、誰がなんの目的でいつ書いたものであるということを意識しつつ読んでいけば、確かにのちにわざと淀殿を貶めようとして書かれたもの以外の史料の中の彼女は、なかなか気さくで気が利いて世話好きで信心深く優しい女性なのである。運命にもてあそばれつつも強かに華を咲かせた悪女を書いてみたかったが、仕方がない。今まで書かれてきた淀殿とは少々印象が変るやもしれぬが、ここは一丁、史料の中にチラ見える彼女の姿を描いてみるか。そうして出来上がったのが、「茶々と秀吉」の中の淀殿像なのである。 |
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