日本人退化論
─死の待合室にて─
武士道のもつ「考える能力」をもたない日本人は退化するしかない。
考えるとはなにか?
前著を書き終えることで全著作を終える積りでいた私は、余生を歌句、漢詩でも読んで過ごそうと思っていたが、ちっとも面白くないのである。趣味もなく、美食、観光にも興味がない私は「死の待合室」で死ぬのを待つばかりである。思想し書いているときは確かに狂気そのものだったが、それでも生きているという実感があった。そこで待合室にあっても生きるために書くことにしたのである。