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ともかく文章が書ければライターなり作家なり、執筆業への道が開けると考えてしまうのは当然かもしれません。筆を執ることには変わりありませんし、文章で人の心を動かすことも同じです。もちろん、二足のワラジを履く書き手だってたくさんいます。しかし、書こうとするジャンルや掲載する媒体によっては、まったく相容れない素養が活きる場合もあることを知っておく必要があります。これを端的に表す、おもしろい事例をご紹介しましょう。
川端康成以来26年振りにノーベル文学賞を受賞した日本の小説家、大江健三郎氏。氏の作家生活50周年と講談社創業100周年を記念して、2006年に『大江健三郎賞』という非公募形式の文学賞が創設されました(2014年に終了)。選考は大江氏本人が行い、「文学の言葉」がとくに認められた作品に賞が授与され、受賞作は英、仏、独のいずれかでの言語に翻訳され海外でも刊行される、また選評はなく、大江氏と受賞作家の公開対談が催され、後日その模様が講談社の文芸誌『群像』に掲載される――という特色ある文学賞でした。その栄えある第1回受賞作は、長嶋有氏の『夕子ちゃんの近道』(新潮社/2006年)でした。そして、その受賞を記念した対談で、大江氏は長嶋氏にこんな賛辞を贈りました。
窓の外では洗濯バサミのたくさんついた、なんと呼ぶのか分からないが、靴下やパンツを干せるプラスチック製のものが物干し竿に揺れている
この一文がとてもよく書けている、と。洗濯物をとめるなんと呼ぶのか分からないプラスチック製のものについては、大江氏も同じように「なんと呼ぶのか分からない」と感じていたそうで、それゆえこの記述に共感を覚えたようなのです。しかしですね、一般人からしたらアレは《角ハンガー》としか呼びようがなく、Googleで検索してみても「角ハンガー」で2,910,000件ものページがヒットしますし、画像検索に切り替えれば、上から下まで隈なく洗濯バサミのたくさんついた靴下やパンツを干せるプラスチック製のものの画像で埋め尽くされていますから、《角ハンガー》は充分に市民権を得た呼称といっていいのでしょう。それを、ノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎氏と、芥川受賞作家で第1回大江健三郎賞受賞作家の長嶋有氏は、そろって疑ってかかると。「窓の外では洗濯バサミのたくさんついた、なんと呼ぶのか分からないが、靴下やパンツを干せるプラスチック製のものが物干し竿に揺れている」にこそ「文学の言葉」が横溢しているというわけなのです。いやはやアッパレ。凡人には真似のできないものの捉え方です。世にいう《角ハンガー》をその名で呼べば没個性、しかしそれを手ずから組み上げた言葉できちんと表現すれば、個性の発露と見なされる好事例といえましょうか。
では、この《角ハンガー》を、Web媒体などに記事を卸すライターA氏が洗濯バサミのたくさんついた靴下やパンツを干せるプラスチック製のものと書いたなら、どうなるでしょうか? 編集部に思いっきり赤(ペン)の矢印を引っ張られ「《角ハンガー》という名前があります」などとご丁寧に“正式名称”を添えられた訂正指示が入ることでしょう。でも、この場合はそれが正解なのです。ライターA氏の文章を読むのは、たいていの場合はA氏のファンなどではないはずですし、その読み手に、ましてや文学への造詣の深さなど望むべくもありません。だから、書く側の無用なこだわりのせいで、文中の表記が《角ハンガー》という一般的な呼称ではなくなり、逆にその常識を穿ってみるかのような記述となって文章そのものがササクレ立つのは避けたい、という編集部の赤入れは正しいのです。それでもA氏がこの表現に固執し抵抗の意思を見せたとするならば、きっと彼の仕事は以降減りつづけていくことでしょう。
このように、小説家には小説家の、ライターにはライターの、求められる文章の様式があるものなのです。それを弁えた(わきまえた)うえで、媒体に見合った文章や文体を使いわけることができる人ほど、筆が立つ書き手といえるのかもしれません。でも、最初からその境地を目指すことはできません。ライターとしての道を目指すならば、この媒体で書きたいと思える雑誌などを手本に文章を習いつつ、それ以上に、どんなネタにも飛びつき筆を走らせることができる機動力を意識すべきなのでしょう。いっぽう作家を目指すのならば、「当たり前」と思われることさえ疑う目を、日ごろから養わねばならないでしょう。
同じ野球をするにしても、野手を目指すのか投手を目指すのかで練習のメニューは異なります。お遊びレベルの野球ならば、“うまい子は打っても投げてもうまい”ということがままありますが、「その道」を本気で目指すのであれば、早い段階から専用メニューを取り入れたほうがいいのは明白です。さて、あなたはどの道を目指し、いまそこにある作品と向き合っていくのでしょうか。
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