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アンタッチャブルなテーマが暴くもの

2025年02月07日 【作家になる】

禁書が映し出す「時代」と「社会の真実」

書籍が読む者にもたらしてくれる恩恵はさまざまありますが、そのひとつに社会的な問題に目を向けさせる、考えさせる、という有用性があるのは間違いありません。読者個人、社会全体が考えるべきテーマをひとつ掲げ、あるいは横断的に問題を掬い上げ、直截的に書けばルポルタージュ、目線を落として暮らしに寄り添い描けばエッセイ、ナラティブな没入感で説くのが小説、より観念的に訴えるとすれば詩、といったところでしょうか。だからこそ、ほとんどの場合どんな読書にも意味があり、読み手たちはそれぞれに重要な読書体験を得られるといえます。しかしながら、国内外問わず、“無事に世に出まわっている本”は、その問題提起の鋭さ、深さ、あるいは的確さについてあらためて考える余地もあるかもしれません。なぜならば、それら提起される問題・テーマは、ひょっとすると、社会が真に考えるべきものとは微妙な誤差を生じているかもしれないからです。

出版の歴史には「禁書」と呼ばれる書物が名を連ねています。いろいろな理由から、一般に供するのは望ましくないと当局により出版差し止め処分が下された書籍です。古くは古代中国の焚書(焼却処分される書物)があり、ナチスドイツ政権下でも夥しい書籍が灰と化しました。日本においても、戦時下の言論統制により、多くの著作が発禁処分を受けたのはご存じのとおりです。それらは、思想・宗教・学問などの弾圧によるものでしたが、出版差し止めとなる理由はほかにもあります。たとえば、モダニズム文学の最重要作品と位置づけられているジョイスの代表作『ユリシーズ』は、性描写が卑猥とされ、1921年から10年以上に亘ってアメリカで出版が禁止されました。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、1931年中国で、動物が擬人化される表現が問題となって発禁処分を受けています。現代日本では耳を疑う理由ですよね。サリンジャーの世界的ベストセラー『ライ麦畑でつかまえて』は、主人公の言動が下品で非道徳的として、アメリカ・カリフォルニア州の教育委員会が学校や図書室から追放、アメリカ国内ではいまなお問題視されることがあり、「自由の国アメリカ」像とかけ離れた現実を見せています。第二次大戦後は日本を含め多くの国で「言論の自由」が謳われ、イデオロギーが国家の命のもと不法に取り締まられることはなくなりましたが、法律上の発禁処分は原則存在しない現在の日本でも、名誉棄損、プライバシーや著作権の侵害などの訴えにより、出版が差し止められるケースはしばしばあります。つまり、いつの時代にも、それぞれの国・地域において、書籍を発行した際の社会的影響は常に考慮され、書物の表現やテーマには一定程度の基準で目が光らされているのです。

「反骨精神」に見る作家の在り方

人権は、無論守られるべき最重要のものです。ただ、『ライ麦畑でつかまえて』の例を見てもわかるように、作者にとって、また一般認識において、出版物が正当な権利を享受していると言い切ることはできません。ある特定の層やリージョンに偏った判断がなされる場合もあるからです。そしてこれが本稿の勘所ですが、そうした境界線に思わぬ形で立たされるような、ともすると出版禁止となるような作品が提起する事件やテーマ、表現にこそ、社会的な問題が存在する可能性がおおいにあるのです。もしかするとそこには、社会が触れてほしくはない真実が息を潜めているかもしれないのです。つまりそれは、社会的にはアンタッチャブルな案件でありながら、私たち誰もが目を向けるべき重要なテーマが眠っているということなのです。

「反骨」という言葉があります。権力や時代の風潮、世論、不正や因習に反抗する気骨を意味します。戦中戦後に活動したジャーナリストで、冤罪事件と時代の反逆者を取り上げた著作で知られる青地晨(あおちしん)に、『反骨の系譜』という一冊があります。明治から戦後の昭和に至る時期に、時の権力に刃向かい闘いつづけた著名人たちを解説しており、取り上げられているのは、西郷隆盛、田中正造、内村鑑三、北一輝、大杉栄ら9人。時代を追って彼らの生涯、足跡を紐解いていくと、近現代に巣食っていた権力というものの正体、不条理の歴史が浮かび上がってくるかのようです。

『反骨の系譜』で最後を飾るのは、明治生まれの弁護士、正木ひろしです。数々の冤罪事件を扱ってきた正木の、最後に担当した大きな事件が「丸正事件」と呼ばれた殺人事件でした。1955年、静岡県三島市で運送店の女性店主が殺害されたこの事件で、主犯として逮捕されたのは在日韓国人でした。正木は、この逮捕は人種的偏見であり、しかも証拠不十分として無罪を主張しましたが、有罪が確定、控訴するも棄却。であれば反撃に出ようと、被害者と同居の親族を殺人罪で告発したのですが不起訴、逆に名誉棄損罪で有罪判決を受け、上告中の1975年に死去しました。

初志をこそ貫くべし

「丸正事件」で被告弁護人を務めた正木ひろしは、キリスト教信仰者でもありました。そして次のような言葉を遺しています。

悪魔の最も嫌うものは反省です。「馬鹿になれ」と言うことが悪魔の標語です。

正木ひろし『近きより5』(旺文社文庫)/旺文社/1979年

論理的思考を遠ざけ、易きに流れ、あとは野となれ山となれ──とばかりに他人にも自分にさえも無責任な態度で、刹那的な私利私欲にまみれた生き方を見せる人間が跋扈するこの世の中。上に引いたのは、まさしくそうした姿勢をもっとも嫌う正木らしい言葉です。日本人の弱点を指摘するかのようなこの警句は、ひいてはその単一民族で構成される国家の弱さをも突いていて、大変に重く、アンタッチャブルなテーマを考えるうえでも示唆的といえるでしょう。

日本社会の弱みは精神力の弱さだと思う。権力を持つ者が権力に奢り権力なき者が卑屈になる状態は精神力の稀薄なる著しい例に非ずして何ぞや。

正木ひろし『近きより4』(旺文社文庫)/旺文社/1979年

本を書きたい、自分の作品で何ごとかを世に訴えたい、と志抱く者にとって、反骨精神はいわば執筆・創作の気高きコアとなるもの。それがいつの間にか「世に出す」ことに意識が逸れ、「売れるものを書きたい!」とものしたとしても、なかなか思惑どおりにはいきません。そもそもが、耳目を集めるどころか、世間からどスルーされるなんてことは世の常。なればこそ、初志を貫き、真に自分が書きたいもの、自分にしか書けないと信じるものを探し、執筆に挑むのも悪いことではありません。アンタッチャブルなテーマをどう扱うのか──単なる“炎上”狙いではない、強い精神力でもって反骨精神に満ちた作品を書き上げられるかどうかこそが、いっとき「禁書」となってもいつか日の目を見る作品を生み出せるかどうかの分水嶺かもしれません。最後に、賢明な諸兄姉においては言わずもがなのことではありますが、本稿に、権利侵害をはじめとした犯罪や反社会的行動を助長、推奨、肯定する意図、政治的意図は一切ありません。くれぐれも誤解なきよう、そのことを最後に申しあげておきたいと思います。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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