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日本における詩の歴史をざっと見るなら、漢詩からはじまり、新たな詩の形を模索しつづけた結果、生まれたのが「新体詩」といえます。新体詩とは、漢詩や和歌、俳句といった伝統的な定型を脱した“より自由”な詩の形式で、これを発展させたひとりに島崎藤村がいます。さらに現代にまで通じる「口語自由詩」を確立させたのは、萩原朔太郎といわれています。藤村にしろ朔太郎にしろ、日本詩史における超大物……なのですが、しかしですよ! 彼ら詩人が当時の日本文芸の先鋭であったならそのぶんだけ、根本的に心の奥底には西洋詩への強い憧憬があったことは疑いようがありません。西洋の詩をいかに移植するかという考え方で日本語の詩作がなされ、以後連綿と変遷していった側面があることも、一定程度は否定できないでしょう。現代でさえ、象徴主義の開祖とされるボードレールや、その流れを引き継いで燦然と謳いあげたランボーといったら、日本の詩人たちにとってはスーパースターであり、レジェンド中のレジェンド。とりわけ、彗星のごとく登場し革命的な詩業を打ち立てるや、20歳で早々と詩作から離れてしまったランボーの天才性ときた日には、輝ける一等星としてひたすら比類ない光を放ちつづけています。
さて、遠くヨーロッパから先達の薫陶を受けた日本の詩。誤解や反論を恐れずいうならば、ボードレールやランボーらに思いきり心酔しながらも、彼らを脱して新たな境地を示すことはついにできなかったのかもしれません。これにはさまざまな意見が飛び交うものと想像しますので、本記事執筆者の私見であると前置きしますが、現代ニッポンのカルチャーがどのような影響を西洋から受けて現存しているかを想像したとき、その変遷の流れから「詩」だけが運よく取り残されて“保全された”とは考えにくいのです。とはいえ、この私見でもって現代の日本の詩人や、これから詩人になりたいと思う人を、西洋志向だと批判するわけではまったくありません。むしろ逆に、詩作という文芸には、そのぶんだけ未知の世界が存在しているかもしれないのだ──という提言と捉えていただきたいのです。そしてそんな提言を、とうのむかしに実践し、西洋の象徴詩から独自の領域を見出したかに思われた傑人もあったのです。それは、いまや忘れられた感のある若き詩人。明治後期に生まれ、詩人たちが意気揚々と鎬(しのぎ)を削った大正の終わりに世を去った、富永太郎です。
キオスクにランボオ
手にはマニラ
空は美しい
えゝ 血はみなパンだ
富永太郎は、1901年(明治34年)東京・湯島に生まれました。府立一中(現・都立日比谷高校)に入学、ここで小林秀雄や河上徹太郎と出会い親交を結びます。さすがは後年高名となる文芸評論家の御仁たちですから、当時から富永太郎の抜きん出た詩才を見抜いていました。また、世代的には数年下になる中原中也にあっては、富永の影響でダダイズムからの方向転換を果たし、彼に傾倒する一方で嫉妬すら感じていた様子も窺えます。しかしそんな富永太郎が遺した詩集はわずかに一冊。兄の死後、のちに美術評論家となった弟の次郎がまとめたこの唯一の詩集(筑摩書房版/1941年刊)の序文に、河上徹太郎がこんな言葉を寄せています。
「実在」の愚劣に対する嫌悪と倦怠を彼から教はつた。あの、あらゆる芸術家にとつて一と先づはどうしても潜らねばならぬ地獄の門である所の現実嫌悪を。(中略)彼の作品がかくも私の感受性の糧であつたことは、その世界が既存の詩の中で単なる一新境地であつたのではなく、わが詩壇が持たなかつた未知の「新しき戦慄」を創つたものであることを示してゐると思ふのである。私は信ずるのだが、彼はわが文壇が到達し得なかつた抒情の一形式を創造した先駆者なのである。
(富永太郎『富永太郎詩集』/筑摩書房/1941年 国立国会図書館デジタルコレクションを参考に新字旧仮名に改めた)
河上のこの指摘はなおも生きていて、先駆者・富永太郎の抒情世界から新たな境地へと向かうような詩業はいまだに見つけられない気がします。「私は私自身を救助しよう」(『秋の悲歎』)──そう一篇の詩に記した富永の世界からは、「虚無」や「戦慄」という言葉を拾うことができます。象徴主義の洗礼を受けながら、そこから唯一無二の境地を示した富永太郎の詩は、彼自身の虚無の世界を誰もが思いもよらぬ景色として描いた、要するにそういうことなのだと思います。では、富永太郎が、自身の内の虚無をどのように詠ったか、そして、どのように自分を「救助」しようとしたのか──たとえば、こんなふうにです。
黒暗(やみ)の潮 今満ちて
晦冥の夜(よる)ともなれば
仮構の万象そが閡性を失し
解体の喜びに酔ひ痴れて
心をのゝき
渾沌の母の胸へと帰入する。
「閡性(がいせい)」の「閡」とは、現代では「亥」の文字で認識されており、植物の生命力がその内に閉じ込められている状態を意味しますが、それが失われると。ほかにも「黒暗」「晦冥」「仮構の万象」「解体」「混沌」とネガティブで不確かなワードが並び立ちます。それでいて不思議なほどに、厳かさのなかで歓喜がじわり広がり満ちてゆく情景が浮かび上がります。北の冷たく黒い海の波音を聴きながら、じっと浜辺に佇み、やがて年始の黎明に包まれる際に覚えるのはこんな心地でしょうか。また、富永太郎は日本的情緒を実に独創的な風景に織り込むことにも挑んでいます。
半缺けの日本の月の下を、
一寸法師の夫婦が急ぐ。
(略)
手をひきあつた影の道化は
あれもうそこな遠見の橋の
黒い擬宝珠の下を通る。
冷飯草履の地を掃く音は
もはや聞えぬ。
半缺の月は、今宵、柳との
逢引の時刻(とき)を忘れてゐる。
揺れる柳の葉陰を映し出すこの詩は、比べるのは適切ではないかもしれませんが、技工を駆使しレトリカルに詩情を訴える萩原朔太郎の『竹』とはまったく異なる抒情の世界を描き出しています。
肺結核に侵された富永太郎は、酸素吸入器の管をみずから外して旅立ちました。享年24。詩作に取り組んだわずか数年の足跡は、短くとも偉大です。忘れ去られた、しかし忘れてはいけない夭折の天才詩人、富永太郎が遺した一冊『富永太郎詩集』は、詩人になりたいと詩作に励む誰もが学ぶべきものの多い必読の書なのです。
象徴主義、象徴詩の担い手の自負をもたずとも、詩というものを書く限り、象徴的手法は切っても切り離せないもの。形式に囚われずに自由で、私的傾向を強めた詩は、自由であるがゆえに、何かしらの重要なものが失われたり弱くなったり、ということがあるのかもしれません。いま「詩の象徴性」についてあらためて考えてみることは、詩を書く者に瑞々しく新鮮な世界を拓く契機を与えてくれるはず。もし新境地なんかどこにも見えない、と思ったとしても、肩を落としてはなりません。旅とは、波乱と冒険に満ちて然るべき。何ごとも一歩二歩、諦めず進んでいくことで新しい景色に出会うのですから。
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