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「神様お願い!」とか「神に誓って!」とか、何か願いごとができるや突然神頼みするタイプの人に、信仰心が篤い人物はまずいないように思われます。あなたがもし無宗教であったとすれば、それは多くの日本人のご多分にもれないところです。特定の信仰をもつ方を除けば、こういう言い方をしてしまってはちょっと乱暴ですが、日本人にとって「神」という存在はライトなのかもしれません。いや、ライトというより“ざっくりと偉大な存在”という感じでしょうか。子ども時代に誰もが口にする「どちらにしようかな天の神様の言うとおり……」に、そうした日本人特有の“神様観”が現れているようにも思います。つまり、既成の宗教を信じていないことと、神を信じる信じないこととは、また別の話なのでしょう。そして意外や、こうした感覚は決して日本人だけではないようです。あの反逆の詩人ランボーでさえ、神の存在を詠っています。ただし、やはりそれは愛や恩寵をもたらす慈悲深い創造の主としてではなく、「不幸こそはぼくの神だった。ぼくは泥濘のなかに身を横たえた」(『地獄の季節』)と、不幸を呼ぶ無情な支配者としてなのですが。
人間の喜びや苦しみを吐露する「詩」が、真理を追究し思想を内包するものであるならば、「神」をどのように定義するにしろ、詩と神は無縁ではない、どころか、深く結びついているといえましょう。なぜなら、喜びや苦しみがどこから生じてくるのか、その正体は何なのかと深く考えること、その営為そのものが、神と称せられるような超越的存在を無視してはなし得ないからです。神が人格的存在であるのか、自然界を司る見えない力であるのか、あるいは、もっと別の不可知な不思議の現象の源であるのか──。それは、「詩を書く」という創造的所為において常にめぐらされる“詩想”です。さて、詩人になりたいなと朧に思う方々にもう一度問います。あなたにとって「神」とはいかなる存在でしょう?──
オックスフォード英語辞典の定義によれば、神とは、「天地を支配する不思議な力をもつもの。人間を超越した宗教的な存在」です。つまり、人間とはまったく別個の、人知を超えた存在と考えられているわけで、多くの詩人や哲学者にしてもそうした前提に基づいて「神」を思索しているようです。ところが、インドの詩人、ラビンドラナート・タゴールはそうではありませんでした。
わが生命(いのち)の主なる生命よ、
わたしはつねにわが身を清くしておくよう つとめましょう─
おんみの御手が 活き活きと
わたしの五体の隅々にまで触れるのを知っているからです。
わたしはつねに わたしの想念(おもい)から
いっさいの虚偽を遠ざけるよう つとめましょう─
おんみこそは わたしの心に理性の灯(ひ)をともしてくれた
真理そのものであることを知っているからです。
(R・タゴール著・森本達夫訳『ギタンジャリ』/第三文明社/1994年)
詩聖と呼ばれたタゴールの“神観”は例のないものでした。別の世界におわす万物の創造主ではなく、見えざる統治者でもない。タゴールにとっての神とは、限りなく大きな生命であり、その一部が人間のなかにある、人間と神とは繋がっているのだと。だから、人間はみずからの生命を汚れなく、虚偽なく、澄ませておくことがつとめであると確信したのです。川は自然のあるがまま流れていれば、ときに雨に濁り落ち葉に覆われようと清流でありつづけます。人間もそれと同じであり、たとえ過ちを犯すことがあっても、悔い改めるという生命の働きに任せていれば常に清らかにありつづける。争いが生まれ禍に見舞われても、生命の導きによって、心の平穏と幸福を得ることがきっとできる──。タゴールの詩はそう伝えたのでした。
けれど、人の生には喜びや幸福ばかりでないことを私たちは知っています。むしろ、悲しみ苦しみにこそより強く影響され、打ちのめされるのが人間です。現代において詩を書く者たちにしても、みずからの苦しみ、悲しみ、心の混沌を詩文に綴ることで、“何か”を見つけようとするのでしょう。タゴールとて、人間の宿命、詩人の営為にあって例外ではありませんでした。しかしながら彼が違っていたのは、その苦しみ、悲しみの只中で、知識ではなく、宗教的な信仰でもなく、みずからの心身によって神の存在に触れたことでした。
わたしの願望(ねがい)は数多く、
わたしの叫びは哀れっぽい。
それでもおんみは かたくなな拒絶でわたしに救いの手をさしのべる。
そして、その厳しい慈愛は
わたしの生命(いのち)のうちに十重二十重(とえはたえ)に 織りこまれる。
日ごと おんみは 求めずとも
素朴で大きな贈り物をとどけてくれる─
この空と光、この肉体と生命(いのち)と精神(こころ)を。
(同上)
裕福な家庭に生まれたタゴールは経済的に困窮することこそありませんでしたが、妻、娘、父とつづけざまに亡くし、悲嘆と絶望に茫然とする長い日々を過ごしました。愛する人たちと希望の光の失われた暗闇の深さはどれほどであったか──。そんなとき誰もが思うように、タゴールも、なぜ自分がこんな目に遭うのか、なぜ神はこんな仕打ちをするのかと天を仰いで哀訴したのでしょう。しかして、やがて彼は、神の「かたくなな拒絶」は逆境を乗り越えさせる「救いの手」であると目を啓きます。自分のなかの神が自分を強く健やかな生へと導いてくれる「厳しい慈愛」にほかならない──と。それはタゴールにとって、人間としての啓示であると同時に、詩的な啓示であったでしょう。その境地を紡ぎあげた詩集『ギタンジャリ』は、タゴールにアジア初のノーベル文学賞をもたらしました。「ギタンジャリ」とはベンガル語で“歌の捧げもの”の意味。タゴールは、命の源である神に己の心が奏でる歌を捧げたのでした。
神を呪ったランボーはもちろん、神を信じないという多くの人も、裏を返せば、超越的な存在を信じたい気もちを抱いているということがいえます。近ごろは「神ってる」という言葉の定着した感がありますが、“神ってる”大きな存在と向きあうのは、詩人の生涯課題のひとつであるのかもしれません。人と神と歌を結ぶ世界、そこに新たな詩境を見出したとき、詩人になりたいあなたはきっと真に大きな成長を遂げていることでしょう。
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