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子ども時代に誰もが一度は言ったであろうセリフ「幽霊っているの?」。令和の時代となったいまも、この決定的な回答は見つかっていません。そのときどきでそれぞれが都合のいいように「いる」だの「いない」だの言ってやり過ごしてきたはずです。でもなかには、何の根拠があってか、幽霊なんていないと豪語する人もいたりします。しかしなぜそう言い切れるのでしょう。幽霊存在説が非科学的だから? 迷信に過ぎないから? しかし、万物が“現時点での科学の力”で解明できると考えるのは、そもそも想像力の欠如といえるかもしれませんよね。科学が発達したことで未開だった領域も明るく照らされ、現代の私たちの暮らしを形づくってきているのですから。実際の話、かつて見向きもされなかった分野にある事実が判明し、人の目には見えない(あるいは見えにくい)世界の謎がひとつ、またひとつと解き明かされていくごとに科学分野の裾野が広がってきた歴史は、毎年のノーベル各賞発表で世に公然と証明されているようなものです。そこに幽霊や霊界──に類するもろもろの見えざるものの謎を解く形而上世界がつけ加えられることがないとは、誰も断言できません。
心理学的にしてもこれ然り。もとより小説は人間心理と縁の深いものですし、当然ながらサスペンスにおいてその踏み込みは一段と露です。見えざるものの恐怖を描く物語はしばしば、ほら、怖いだろう……と皮膚感覚に迫りながら、その怖さは実は人間の心理がつくり出した想像の産物であったとオチがついたりします。見えざるものなど端から存在しない、人間はときに自分の心に翻弄される動物なのだ、というわけですね。けれど一方で、論理や学問の光で照らされる平穏な人間世界に情景を戻しながらも、ひそやかに一抹の疑念を立ち昇らせる作品があります。はたしてこれで事件は解決したのか、見えざるものは本当に存在しないのだろうか──と。そして、サスペンスやホラー、ゴシックロマンの真の怖さとは、読後も読み手の心をザワつかせるこうした残響音にあるような気がします。
アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化した『レベッカ』という作品をご存じの方は多いでしょう。原作は1938年発表、イギリスの女流作家、ダフネ・デュ・モーリア(「ダフニ・デュ・モーリエ」表記の場合も)の同名小説です。イギリス貴族の後妻となった「わたし」の怖ろしくも神秘的な体験を描く物語『レベッカ』は、まず冒頭の一文が有名です。ご存じのとおり小説の書き出しを重要と考える作家は少なくありませんが、『レベッカ』では、これが精巧な仕掛けさながらの効果を上げています。そのままストーリーを読み進んでいくと、あるときあたかもカチッと仕掛けが作動し読者があっと声をあげてそこへ戻っていくような……。
昨夜、わたしはまたマンダレイへ行った夢を見た。
(デュ・モーリア著・大久保康雄訳『レベッカ』/新潮社/1971年)
一見どうということはないこの一文。それなのに、読み手の想像力を掻き立て、妙に潜在意識に刻まれる重みをもっています。行った夢を見たのだから、「わたし」はマンダレイという場所をすでに離れているのでしょう。加えて「また」という一語に、その場所が「わたし」のなかで何か特定の記憶を伴って存在していると察せられます。では、それはどのような場所であるのか、そこで何が起きたのか、ビブラートで陰鬱な序曲が奏でられるようにして、物語が明かされていきます。
イギリス貴族マキシム・ド・ウィンターに出会って恋に落ちた「わたし」が、海難事故で妻を亡くした彼の後妻として暮らすこととなったのがマンダレイという地にある大屋敷でした。広大な土地を擁する屋敷は暗く重々しく、「わたし」の期待と緊張はたちまちおどおどとした戸惑いに変わります。そして、それはやがて怖れに──。大勢いる使用人は慇懃ではあるものの、どうにも歓迎されない、認められない空気。「わたし」は次第に、みずからを取り巻くは亡き先妻「レベッカ」の影だと気づきます。家政婦のダンヴァース夫人は、あからさまにレベッカと比較して「わたし」を軽んじ、奸計を巡らせます。それは気に入らない後妻を追い出そうという単純な企みを超え、深い憎しみを感じさせるものでした。その憎しみのなかに、死んだはずのレベッカが見え隠れするのです。レベッカという女性は現代でいえば人格異常者的とも見える存在なのですが、支配欲と怨念に満ちたその影が、いまなおマンダレイの屋敷を暗く覆っていました。やがてレベッカの死の真相が明らかになり、屋敷の焼け落ちた結末が伝えられます。ド・ウィンター夫妻はマンダレイを離れ、冒頭のシーンに還ってきます。しかし上掲の一文、仕掛け的効果だけでは終わりません。読了するや、より深遠な意味と戦慄を覚える示唆をもって結末の余韻を不気味に谺させるのですから、もはや作品全編にちらつく暗示といえるでしょう。
レベッカはもうわたしたちを苦しめることはできない。(中略)もう、これ以上、わたしたちに向っては、指一本ふれることができないのだ。
(同上)
一見、事件は決着したかに見えます。レベッカは確かに死んでいて、その影も屋敷とともに灰燼に帰したはずでした。「わたし」の怖ろしい体験は過去のものとなり、ド・ウィンター夫妻には新しい、希望溢れる未来が拓ける……はず。しかしどうも、そうとは感じられない空気が漂います。「わたし」はきっと、その後も繰り返しマンダレイの夢を見るのでしょう。それは怖ろしい体験がもたらしたトラウマなどではなく、まるで何かに憑かれ操られているかのように。これは人間心理の得体の知れない作用なのでしょうか。それとも──。
『レベッカ』は、幻影に怯え翻弄される人間と、貪欲で身勝手な人間の怖ろしさを同時に描いています。結局、人間の心ほど怖ろしいものはないのだ、と。けれど、それだけではないようです。荒んだ猛々しい人間の心は、ひょっとすると、見えざる何ものかに変容して存在しつづける──それを非科学的な絵空事に過ぎないとはたして言い切れるでしょうか。
おどろおどろしい超常現象、悪辣な犯罪や陰謀、あるいは自然の脅威をサスペンスフルに描出することだけが、サスペンス小説を書く道というわけではありません。人間心理が生み出す妄想や、存在するはずのないものの恐怖にこそ、計り知れない深さがあります。計り知れないということは、換言すれば「型」がないということ。つまりは、作家になりたいあなたならではの恐怖の世界の創出を可能たらしめる「余地」があるということです。さあ、作家として功成り名遂げる輝かしい未来を想像してみてください。ついでに、謎めいた神秘の物語について構想をふくらませてみましょう。いつか、あなたが描き出す見えざるものの世界に読者がこぞって戦慄し……。
「存在しないはずのものの“怖さ”を書く」──ちょっとばかり、食指のムズムズと蠢くジャンルではありませんか?
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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