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誰が何といったって作家になる、自分の本を出版する! と不退転の決意を固めた皆さんのなかには、決意はせど、いまだ記念すべき第一作が書き上がっていない!! という方もいらっしゃることでしょう。さあ、では何を書こうと思っていますか? 賞狙いの題材? まずは腕試し? とりあえず身近な話を書いてみる? 確かにどんな動機も動かぬ筆を奮い立たせてくれるのであればそれはそれでありがたいのですが、ちょっとそこは慎重に。というのも第一作とは、作家としてスタートを切るにあたり、何にも増して大事な作品になるのです。あやふやな態度で取り組むのでは、作家道にみずから躓く石を置くのと同じこと。「第一作」とは、作家としての一里塚、試金石であるばかりか、ひとりの人間としての魂を示す原点なのです。だからこそ、真に書きたいもの、書かなければいけない題材を扱わなければなりません。胸に温めていた、あるいは心の奥に眠っているアイデアを育て花開かせる。第一作を書くということは、そのまたとない機会なのです。だからこそ書きあぐねているのだ! という方もいらっしゃるでしょう。でも、そう、それで正解なのです!
文学史に名を刻んだ数多くの先達。彼らにしても第一作は、作家人生において、またその生涯を語るにおいて、大きな意味と価値をもって特別な輝きをいまに伝えています。もし彼らが、第一作に己の知と技と魂を注ぎ込まなかったら、のちの名声や事績が築けたかどうかすら疑問です。もちろん、第一作が幻のごとく忘れ去られたり評価されなかった作家もいるでしょう。しかし、そんな第一作だとしても、当の書き手にとって意味のないものであったかといえば、答えは否。たとえ未熟、未完成なものと振り返ることはあっても、第一作の存在の価値を、その意味を、誰も知らなくても作家本人は胸に覚えているはずなのです。
第一作が評価されぬまま埋もれていく……それは悪夢です。しかしそんな落胆すべき事態は、ときにノーベル賞作家の身にも訪れます。南部アメリカを舞台とした一群の小説によってノーベル文学賞を受賞したウィリアム・フォークナー。その長編第一作は『兵士の報酬』ですが、戦争で記憶を失くした青年を主人公とするこの物語がとりたてて注目されることはありませんでした。しかしこの作品の地歩なくして、のちの架空都市「ヨクナパトーファ」を舞台としたサーガ、戦争によって何かを失い破滅していく一家の物語『サートリス』や、南北戦争の英雄一族の没落を斬新な手法で描いた代表作『響きと怒り』は生まれなかったでしょう。
同じく南部アメリカを代表する作家のひとりにマーガレット・ミッチェルがいますが、ご存じのとおり彼女が生前発表したのは『風と共に去りぬ』ただ一作だけ。世界的ベストセラーとなったこの小説は、ひょっとすると大きすぎたのかもしれない成功を彼女にもたらし、著しいプライバシーの喪失に動揺したミッチェルは、次作に手を染めることなく閉じこもり、著作権侵害との闘いに躍起となる日々を送りました。けれど、鳴りやまない電話や、見知らぬ人からの握手やサイン攻めに恐れをなした彼女でしたが、いざ注目度が下火になるとそれはそれで不満に感じるようになったようです(アン・エドワーズ著『タラへの道―マーガレット・ミッチェルの生涯』)。天の邪鬼、というよりもっと複雑な人間心理に関係する心境の変化ですが、いずれにしてもミッチェルにとって『風と共に去りぬ』が、かけがえなく大切な作品であったことの証ともいえるエピソードです。人生を狂わすほどの煩わしさをももたらしたにせよ、一方で、人々に決して忘れてほしくはない唯一無二の作品であったに違いありません。
第一作が作家のオリジンであるのは、小説家ならずとも詩人であっても同じこと。いや詩人のほうがいっそう、自作を世に出したい、出版したいと願う気持ちは切実であったかもしれません。何しろ詩集の商業出版の難しさはむかしも同じ、というより、処女詩集を世に出そうとするならほぼ自費出版しか手段はなかったのですから。30歳で夭折した詩人の中原中也は350篇あまりの作品を残しましたが、生前出版された詩集は『山羊の歌』ただ一作(死後まもなく『在りし日の歌』が刊行)。もちろんこの『山羊の歌』も、例に漏れず自費出版でした。そこに至る道にしても並大抵でなく、資金集めに奔走するも、金を出してもどうせ飲んでしまうだろうなどと疑われもして思うに任せず、延べ2年あまりの月日を費やしています。そして1934年12月、ようやく『山羊の歌』が刊行されます。それは若い死の3年前のことでした。
『いのちの声』
(前略)
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。
しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き着く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。
時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ。
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?
『U』
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!
(後略)
(『中原中也詩集』所収/岩波書店/1981年)
中原中也は複雑な、矛盾した性格をもつ人物であったようです。神童と呼ばれた幼少時代、父母は折檻などして厳しく躾ける一方、過保護な面もあり、父母への愛情と反発心、甘えと疎ましさ、激しく相反する感情は絶えず中也の内面に入り混じっていたと想像されます。実家に生活費を頼り、出版費用を無心するダメ人間の一面をもつのも中也ならば、自身の手による翻訳詩集(『ランボオ詩集』)が刊行されるや、両親のみならず親戚という親戚に送る健気さで人を魅するのも中也でした。親交のあった河上徹太郎や草野心平は、中也を愉快ならざる、しかしつい話に聞き入ってしまうような人間であったとその印象を記しています。愛され、煙たがられた中原中也。何かを求め、何かの答えを探しつづけたその心の軌跡が、『山羊の歌』には刻まれています。
「第一作」とは、作家になりたい者が渾身の姿勢をもって臨むべき無二の碑です。その碑を自分の家の庭やベランダにちょこんと建立するなどということは、考えられないでしょう? 「本」という形にして出版してこそ、世に出して人の目に触れてこそ、堂々たる碑文が彫り込まれ、未来への道も拓かれ得るのです。そんな重要な魂の一作が、ま、こんな感じでどうかな?? みたいにインスタントな仕上がりで済まされてよいものですか。習作だからと、いままさにそんな感じで書きはじめているですって? でしたらすぐに筆を措き、じっと我が胸に問い質してみてください。自分はその創作に何を求めているのか、わからなくとも、探し求める意味は必ずあります。そしてこの問いはいずれ、自分は何をしようとしているのか、そもそもそれを成そうとする自分とは何者なのか? という問いかけに行き当たります。自分が何者かなんて誰にもわかりません。何者でもないからこそ、この世の中で何者かになるために、何かを成そうとしていることにやがて気づいたとき、あなたにとっての「第一作」の価値に気づくはずです。安易に書き上げてはなりません。かといって書かないのはもっといけません。第一作を書いた者のみ知る境地に辿りつきましょう。もはや禅問答のようですが、その探求の道こそ、作家を目指すあなたのオリジン、「第一作」に綴るべきものなのです。
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