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たとえばあなたが絵本や童話を創作するとして、物語のアイデアをどこから得て、どのように本筋を書いていくでしょうか? 絵本の創作ワークショップなどでこんな質問をしてみると、けっこうありがちなのが「自分の体験」からアイデアを得、話の筋を「子ども向けの口調で語る」です。幼き日、混み合う電車のなかで親の手から離れてしまって不安に駆られた思い出を、ぼくは勇気を振り絞って大きな声で叫んでみた「お母さーん!」と……みたいな具合に。でもですね、はっきりいってこの手法はNGなのです。なぜNGかというと、自身の思い出がオーバードライブするがゆえに話が思いっきりストレートで(要は体験した当人以外、さしたるインパクトもない)、よほどツボを心得て話術が巧みでなければ、聴き手の子どもはポカンと口を開けたまま終わることにもなりかねません。体験をお話にするのが悪いというわけではありません。そこにはやはり、絵本・童話づくりのポイントを押さえたフィクション化が必要だということです。そして作品をフィクショナルなものにする際に邪魔をしてくるのが、意外にも自身の実体験だったりします。なぜなら、それを体験している者にとっては、作品に一連の出来事の醍醐味のすべてが投影されておらずとも、脳内できちんと補完してしまうから。それを防ぐ方法はふたつ。ひとつは完全にフィクションとして制作すること。しかし、これができるならその人はもうプロ作家の仲間入りをしているはずですから、ここで滔々と方法論を述べる必要はないでしょう。ということで本稿では、実話ベースの作品にフィクションのエッセンスを振りかけるもうひとつのアプローチ、「トリックスターの創造」についてお話しすることにいたしましょう。
ここで先に「トリックスター」の字義的な解説を挟んでおきます。辞書を引けばいくつかの意が並んでいますが、本稿では「神話や民間伝承に現れるいたずら者」の意で扱うこととします。で、そのトリックスター、有名どころでいえばシェイクスピア『真夏の夜の夢』に登場する妖精パックなどです。……が、読んでます? 読んでない? 別にそれでかまいません。テレビをはじめあちこちのメディアで、引用というよりちょっとしたファッションとしてタイトルがもじられたりして、聞き覚えがあっても案外読まれていないのがシェイクスピアなのですから。では『真夏の夜の夢』の妖精パックが、どんな話に登場するどんなトリックスターかといいますと、とある国で貴族の若い男女を結婚させるさせないの話がもちあがりますが、親の用意した許婚(いいなずけ)との縁談を受け入れず“許されざる者”となった恋人のふたりは森へ逃げ込みます。そしてそれを追いかける男女もあり、すったもんだの末に落ち着くところに落ち着くという物語なんですが、その途中で介入しキューピッド的な媚薬を用いてコトをややこしくするのが妖精パックです。トリックスターとはこのように、物事にドラマティックなゴタゴタを引き起こし、円満もしくは破壊的な結末に導く、物語の牽引役なのです。
絵本や童話のジャンルにおいてトリックスターが重要な存在となる理由は、物語世界の秩序や規範に変化や混乱をもたらし、予定調和な退屈さを排除してくれるからです。またそうした立ちまわりの結果として、トリックスターは賢者にも邪悪な存在にもなり得ることから、おのずと教訓や風刺の寓意を生み出します。それが作品にエンターテインメント性のさらに先にある文学性、芸術性を付与するのです。トリックスターを配置すれば平易でいながら深みのある魅力倍増の絵本・童話が一丁上がり──というわけですから、これを見過ごす手はありませんね。自分の体験を物語化するのであれば、事実としての話の流れを引っ掻きまわすトリックスターをそこに描き込んでおくこと。子ども向け読み物の外観の裏側に、叡智を具えた賢者や腹黒い謀略家が住むがごとく、あなたの作品はたちまち生き生きと躍りだすはずです。
心理学者の河合隼雄は著書『昔話の深層』に、トリックスターについてのユングの次のような一文を引用しています。
彼のだまし癖、時に陽気に時に悪意のある(毒性の!)いたずら好み、変身する能力、半獣半神の二面性、あらゆる拷問にさらされるものとしての存在、そして──最期になったが決して軽んずることのできないこととして── 救世主の像との近似、が見られる。
(河合隼雄『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』/講談社/1994年)
ユングなどというと、難しくしかつめらしく理屈っぽそう……とたちまち拒否反応も起こりがちですが、食わず嫌いはいけません。なにせ創作物のなかでも、絵本や童話ほど心理学的考察や分析が活かせるジャンルはないわけで、さらには親切にもトリックスターについての要点をこうして並べてくれているのですから。しかしここにひとつ抜けている条件があります。それは「禁忌」。見てはいけない、してはいけない──というあの設定です。古くギリシア神話では吟遊詩人オルフェウスが冥界からようやく連れ出した妻を、絶対に振り返ってはいけないと釘を刺されたのに振り返ってしまう……、本邦『鶴の恩返し』では、決して見ないでくださいと念を押されたのに見てしまう……というあれです。あれが、読む者に緊迫感を与えるのです。『昔話の深層』にも取り上げられているグリム童話の『忠臣ヨハネス』では、王子には絶対に見せてはならぬと王様が遺言した開かずの間を、忠臣であるがゆえにヨハネスは王子にせがまれて開けてしまいます。吟遊詩人オルフェウスも、鶴を匿った翁も、〇〇してはいけないという禁忌を彼らが破ったがために、それまで充ちていた安定感は揺らぎ、物語が転がりはじめ、読者はその転換に心を奪われ作品世界に没入していくのです。先の「トリックスター」とこの「禁忌」の取り合わせは、絵本や童話を書くための一奥義であるといっても過言ではないでしょう。
ユングや王様はさておき、我ら大衆の実体験にもとづいたお話の「トリックスター」と「禁忌」の条件とは、いったいどんなものになるでしょう。たとえば、お孫さんが小さな頭で考えてあなた(おばあさんであるとします)にかわいらしい贈り物をくれた、そしてあなたとしてはこの体験を書かずにはいられなかったとしましょう。微笑ましいお話に違いありませんが、単に孫が一生懸命工作やお絵かきのプレゼントを拵えて贈ってくれました──というだけでは、SNSの1エピソードにはなり得ても、絵本や童話のストーリーを転がすトピックスとしてはもの足りなさを否めません。愛するお孫さんのためにも、この大切な体験をどう料理するか、それが物語づくりをする側、創作者側の課題なのです。
この場合、手づくりの贈り物を拵えるというアクションを起こすのが孫ですから、小さな女の子なり男の子なりを主人公に据えるのが得策でしょう。主人公である孫は、おばあさん(=あなた)が何をもらったら喜ぶだろうかと思案します。そしてここに、トリックスターを登場させるのです。こちらも愛くるしさ振りまく、いたずら好きの飼い猫のミケとしましょうか。ミケはいたずら好きですから、逆におばあさんが驚いて腰を抜かしかねないものをあれこれプレゼントとして提案してきます。言われるとおりに主人公はいくつかを試作してみますが、案の定、ロクでもないものばかりができあがってついには泣いてしまいます。ミケはなおもあれこれと珍妙なアイデアを出しながら、おばあさんが大事なものを仕舞っている「ある引き出し」だけは絶対に開けてはいけないよ──と主人公に耳打ちします。なぜならキミを嫌いになってしまうかもしれないから──と。主人公は嫌われたくないと思いつつも、妙案に恵まれないばかりにそこに何かヒントがあるかもと、好奇心に負け引き出しを開けてしまいます。するとそこには、自分がかつて描いたおばあさんの絵が大切に仕舞われていて……。
いかがでしょう。架空の存在「いたずら好きなミケ」を登場させることによって、ただただ微笑ましいだけだった実話が、緩急のついた幸福感倍増の楽しい物語にアップグレードしそうな気がしませんか? ミケは主人公(≒それに自身を投影させて心を動かす読者)を翻弄しつつも、同時に賢者として立ち居振る舞い彼を大団円へと導きます。
トリックスターを脇役に留めておく必要はありません。『忠臣ヨハネス』の忠実ゆえに禁忌を犯し、物事にどんでん返しをもたらしたヨハネスのように主人公に据えることだって可能なのです。トリックスターはどこにでも現れます。ファンタジーにも、何気ない日常の一幕を描く物語にも、予定調和の淀んだ空気を引っ掻きまわす彼は、禁忌をひっくり返す存在としてどんなジャンルにおいても創造し得るのです。絵本・童話を書くなら、ストーリーに大きな変化と興趣を運んでくるキャラクターとして「トリックスター」をしかと心に留め置きましょう。あなたの物語を、ワンランクもツーランクも上の創作物に仕立てる要件として力を貸してくれるはずです。
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