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20世紀前半のノーベル文学賞作家トーマス・マンといえば、『魔の山』を思い起こされる方も多いでしょう。しかしそんな不朽の名作の発行より四半世紀前にはもう、この偉大な作家は年代記の名作『ブッデンブローク家の人びと』を著しています。年代記(小学館デジタル大辞泉出典:歴史上の出来事を年代順に記したもの)といえば、本を書きたい、物語を書きたいと志す、特に中年以上の方には、自身の半生記にとどまらず、家族史、一族史の年代記を書き残したいと考える人が多いのではないでしょうか。ふたつとないせっかくの家族・一族の年代記なのですから、無味乾燥な記録に留めず、興趣に満ちた大河物語として仕上げていただきたいものです。が、その作品が単なる記録に終わってしまうことは少なくなく、実に惜しまれます。そこで今回は、年代記『ブッデンブローク家の人びと』が、なぜ「名作」であるのかのポイントを検証し、ぜひともご自身の年代記創作の一助としていただきたいと思います。
世界的に名の知られた文豪の年代記だからといって、畏れ多いとひるむ必要はありません。誰にとってもご自身の人生、ご家族の歴史は、それぞれの生涯のど真ん中を滔々と流れる大河であり、その水面には自身の魂の根幹をなす大切な記憶が無数に浮かんでいるはずだからです。人生とは、第三者から見ればそれがどんなにちっぽけに思える市井の歴史であっても、実にさまざまなエピソードがちりばめられているものです。大小とりどりの出来事と喜怒哀楽の繰り返し、事実は小説より奇なりのドラマを内包し、誕生にはじまり死に終わる人生物語のいくつもの連なり。それが私たちそれぞれの年代記であり、どれひとつをとっても他と同じものはありません。素材としてはそういう具合なのですから、それを単に出来事の列記で済ませてしまっては、年表に説明書きと多少の肉づけを施したものと大差がなくなってしまいます。もったいない。
スタンダードに伝記としてまとめることも、フィクションの色を差していくことも、それは書き手の自由。事実に想像の場面や人物の心情描写を加えていったとしても、人の生の重みや真実性を損なうことにはなりません。自身の年代記の執筆や創作の営みは、作家になりたいと思う者に大きな成果をもたらします。後年、自分の家族や親族がその作品を次代に伝えていくものと信ずれば、いっそうの矜持が作家魂に宿るというものです。そして、年代記を“大河な叙事詩”に昇華させていくことの意味、価値はまさにその点にあるのです。
さて、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』は、マン一族の4代にわたる歩みを下敷きにした物語です。祖父が興した事業をその息子が受け継ぎ、3代目となる3兄弟がさらに発展させていきますが、時代の流れとともに一家の事業は次第に衰えついに没落する運命を辿ります。4代目はというと、もはや望み薄の家業を見限り別の人生を歩みはじめています。つまりごくごく簡単にいうと、4世代の家族が紡ぎあげる衰退の物語なわけです。「栄枯盛衰」という言葉がありますが、『ブッデンブローク家の人びと』もまさにこの流れです。でもそんな宿命を、ただただ時間軸に沿って均等に描いてしまっては、「生まれて、いろいろあって、天に召された」×4代──といった単調な作品になってしまうわけです。そこで年代記を書く上で大切なひとつめの要諦ですが、年代記・家族史を書くのであれば、それがフィクションであろうとノンフィクションであろうと、そこに書き手なりの解釈が必要だということです。2代3代4代にわたる家族の歴史をいかに解釈するか、その300年ほどの歴史を客観的にとらえ、明確なテーマ性を付与し、どう起承転結に落とし込んでいくか──という全時代を俯瞰した目が、年代記執筆の大前提として求められます。
ということで、まずは力点をどの代の誰に置くかを決めなければなりません。フィクショナルな作品であれば容易ではありますが、なまじ代々の一族郎党が登場する物語となると、実生活の人間関係もからんできてこれが案外難しいものです。『ブッデンブローク家の人びと』でいえば、中心人物となるべきは全史のクライマックスともいえる「隆盛」と「没落」を決定づける象徴的存在となる必要がありますから、おのずと後代に位置する人物─3代目の3兄弟─が作品全編の中心となってきます。一族の創始の人物だからと、3兄弟の爺ちゃんを崇め奉って物語の軸に据えてはいけないということです。あくまでも祖父、子、孫、曾孫の4代つづく「家業」の盛衰の流れのなかで、どの代がもっとも“作品にとって重要なのか”を見極めねばなりません。
次に、そうしてフォーカスされた主要人物の個性を明確化していきます。『ブッテンブローク家の人びと』で中心となる孫の世代の3兄弟は、少年期においても、テーマを形成していく要素となる資質や性格を表しています。また、異なる道を辿る3兄弟の運命に色濃く関わる人物らの“必然的”役柄を明示することも重要です。年代記というタペストリー(織物)の意匠を、てんでんばらばらに描くわけにはいきません。たとえば、斜陽の重みに圧し潰される3兄弟の長男、トーマス・ブッデンブロークは次のような人物として描かれています。
トーマス・ブッデンブロークは、商人だろうか、右顧左眄(うこさべん / 小学館デジタル大辞泉出典:周囲の状況ばかり気にして、自分の態度をなかなか決断しないこと)せずに行動する人間だろうか、それともくよくよと思いあぐむ思考の人間だろうか?
さよう、問題はそれだった。いつもそれが問題だった。思い出すときから、以前から! 人生は、きびしい世界であった。そして、遠慮や感傷を知らない商人の生活は、全人生の縮図だった。このきびしい実際的な生活で、トーマス・ブッデンブロークは、父祖たちのように、両足をふんばって、流されずに、しっかり立っているだろうか? それを疑う理由が、今までもいくどとなく若い頃からあったのではなかろうか?
今までも人生について自分の感じ方をいくども訂正しなくてはならなかった。……むごいことをして、むごいことをされて、それをむごいことと感じなくて、当然のことのように感じる──この態度を自分にたたきこむことはできないのだろうか?
(トーマス・マン著・望月市恵訳『ブッデンブローク家の人びと』岩波書店/1969年 ルビおよび語注は引用者による)
商人として非情な計算高さを貫けず、芸術的性向をもちながらそこに展望を開くことができない長男トーマス。懊悩になすすべなく没落の底に落ちていく彼こそは、破滅の運命にさらされた一族の物語の主役でした。その抗いがたい流れのなかで、彼、そして他の兄弟たちそれぞれの生の問題が浮き彫りにされていく『ブッデンブローク家の人びと』。年代記が“大河な叙事詩”としての文学的深みをもち得たのは、筆者マンが登場人物の丁寧な内面的造形に挑んだ成果だといえるでしょう。大河的作品だとしても、単に「史実」をなぞって描くのではなく「人」を描くこと。その大切さがわかリます。
『ブッテンブローク家の人びと』の発行からおよそ30年もあとのこと、1929年にマンはノーベル文学賞を受賞しますが、その理由のひとつとしてこの作品の存在が挙げられたというエピソードが残っています。ある作家の「文学の分野における活動歴」そのものに授与されるノーベル文学賞において、特定の作品の名が挙げられ、しかもそれがその作家の初期の作品であることは極めて稀です。そしてマンは、恐るべき話ですが『ブッテンブローク家の人びと』を25歳にして書き上げています。芸術家として迷いも苦悩もしたであろう青年期のマン。事実、豪商の家系に生まれついた彼は、己の存在と精神の根を探って家族の歴史の再現に臨んだものと考えられます。マンがこの作品を書く必然的な理由(書かざるを得ない理由)が3兄弟に宿り投影され、結果的に、富や名誉の追求を生の命題としない人間の精神性を浮かび上がらせたのではないでしょうか。つまり『ブッテンブローク家の人びと』は、青年マンのレゾンデートル(存在理由)を再確認する過去への壮大な旅の所産であリ、露と消えるマン一族への弔いのレクイエムだったのです。
話変わって本邦の小説家にして医学博士の北杜夫は、自身の家族の年代記『楡家の人びと』を『ブッテンブローク家の人びと』を模して書いたと述べています。もちろん「模した」といったってそれは北らしい言葉の綾であり、似たような人物に創り上げて、イミテーション的に破滅の物語を描いたわけではありません。むしろ、マンの手法や動機におおいに触発されたということであり、現代でいうところの「オマージュ」ということになるのでしょう。ともかくその結果「戦後、最も重要な小説のひとつ」と三島由紀夫に激賞される出来栄えとなったことは事実です。このエピソードが語るのは、マンの『ブッテンブローク家の人びと』には“大河な叙事詩”ともいうべき年代記が具えるべきエッセンスが横溢しているということ。一族の歴史を誇り、さあ家族史を書こうと思うならば、あなたがマンに倣ったからといって悪いことはひとつもないはずです。『ブッデンブローク家の人びと』(岩波書店)は文庫で上中下巻、各巻とも350ページを超える堂々たる大河小説。執筆期間中、夜な夜なページをめくる伴走者としてこれ以上の適任な存在はないのではないでしょうか。
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