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思い切りよく換言するなら、小説はすべて「描写」で成り立っているともいえます。登場人物が和やかに談笑する食卓も、主人公が打ちひしがれて徘徊する街も、荒々しい暴力の場面も、誕生の喜びも死の嘆きも、もし描写がなければ(あるいは不充分な描き方であったら)、物語はたちまち空疎な味気ないものとなってしまうでしょう。また描写のうち登場人物の主観を滲ませる情景描写は、人物の心情を象徴的に映じたり、テーマの表象となったりもするわけですから、小説を書く、文章を書く者として、「描写」に向き合う際は一瞬たりとも気を抜けません。それはもう描写を制する者は小説を制す、くらいの気持ちで臨んでも、何ひとつ間違ってはいないのです。
とはいえ、あまりに渾身の力を込めて描くのも考えものです。下手をすると、音程の狂った歌を延々朗々と聴かせて人をうろたえさせるような事態にもなりかねません。当ブログでもしばしば述べているとおり、すべからく描写というものは、無駄なく簡潔であって然るべきだからです。では、どのような作品に情景描写・風景描写の眼目を学んだらよいのか?──たとえば風景描写であれば、風景そのものが主役になっている作品に接することをひとつに挙げられるかもしれません。風景を主役に描いてもそこに人の心やテーマ的な反映がなければ、表面的に美しい写真を見るのと何ら変わりがありません。つまり逆説的にいうと、風景が主役の作品でありながら、それが「小説」として成立しているならば、そこにこそ外景と心情の程よいバランスがわかりやすく現れているに違いないはずなのです。
「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間(いるま)郡に残れり」という書き出しが有名な国木田独歩の『武蔵野』は、日本における浪漫主義文学の代表作に数えられ、「独歩」の筆名が示すように、独り歩きをこよなく愛する彼が、憧れの土地・武蔵野をそぞろ歩く時間と風景を描いています。浪漫主義(ロマンチシズム)とはすなわち個人的感情や主観を重視した精神運動を指しますが、のちに自然主義(リアリズム)へとシフトしていった独歩の、青年らしい本質的なロマンティックな性情が現れた作品といえるのではないかと思います。古地図に古きよき武蔵野の情趣を感じとった独歩は、かの地を逍遥します。明治29年から30年(1896〜1897年)の秋から早春にかけてのことでした。
楢の類いだから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨(しぐれ)が私語(ささや)く。凩(こがらし)が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体(はだか)になって、蒼(あお)ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気がいちだん澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる。
(国木田独歩『武蔵野』/新潮社/1949年 ルビ含むテキストの引用は青空文庫より)
独歩が定義した当時の武蔵野は、所沢から立川へ、多摩川を下って丸子から下目黒へ、山の手を除き東は亀戸から千住へと至る広大な範囲で、彼の住んでいた渋谷は武蔵野の端に位置し、独歩は奥まったより武蔵野らしい武蔵野を憧憬したのでした。上掲の一文は秋の風景、その頃武蔵野の地を覆っていた楢の落葉林の風情を描いています。
もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。(略)教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然農家の庭先に出るだろう。はたして変だと驚いてはいけぬ。その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。
(同上)
と、道を尋ねる空想の場面には武蔵野の地で日常を営む人の姿が描き込まれています。そして、迷ったところで気にすることもない、当てもなく行けばよい、と導くその先に開かれていくのは、遠く富士を望む、冬の始まりを告げる風景。そこには、独歩の現実生活における翳りと哀しみが覗いているかのようです。
日は富士の背に落ちんとしていまだまったく落ちず、富士の中腹に群(むら)がる雲は黄金色に染まって、見るがうちにさまざまの形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖(くさり)のような雪がしだいに遠く北に走って、終は暗憺(あんたん)たる雲のうちに没してしまう。
(同上)
『武蔵野』を著し武蔵野と隣り合わせに渋谷で暮らしたおよそ一年は、独歩にとって過渡期ではなかったかと思われます。私生活では、大恋愛の末に意を遂げた結婚……にも関わらずの破局。その思いを抱え、引き摺りもした日々だったことでしょう。また、浪漫主義から自然主義へと移行する分岐点となった時期であったかもしれません。
郊外の林地(りんち)田圃(でんぽ)に突入する処の、市街ともつかず宿駅(しゅくえき)ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈(てい)しおる場処を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚(よ)び起こすも妙ではないか。なぜかような場処が我らの感を惹(ひ)くだらうか。自分は一言にして答えることができる。すなわちこのような町外(まちはず)れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎(いなか)の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹(ほうふく)するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。
(同上)
独歩が『武蔵野』を通して語るのは、東京にだってこんなに豊かな自然があるんだよ、ということではありません。彼が綴ったのは郊外の風景。人の暮らしと自然とが素朴に溶け合って独特の趣を呈している「郊外」と呼ばれる地の季節折々の姿。独歩はそれを“社会の縮図”と呼びました。言わんとするところは、本来“社会”とは人間と自然が調和してできあがった世界であるはず──ということなのですが、それのどこが“社会の縮図”なの? と思ってしまうほどに、その意味合いは今私たちが“社会の縮図”と考え称するものとは大分様変わりしています。この落差に気づくと、何かしら蕭条と思わされるものがあります……。
さて、最後に、趣深い風景描写を読むに格好のもう一作を紹介しておきましょう。それは、ロシアの文豪ツルゲーネフの『猟人日記』所収の一篇『あいびき』です。実は『武蔵野』にも引用されている『あいびき』は、帝政ロシアの農奴制への痛烈な批判を込めながら、その美しい自然描写で独歩を『武蔵野』執筆へと触発した作品です。『武蔵野』と合わせて一読するのも一興であり、得るものもいや増すものと考えます。風景描写の何たるかに開眼することは、作家になりたいと日々念ずる者にとって大きな糧となるはずです。ぜひともその技と心を未来の傑作に存分に揮ってください!
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