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人生はゲームだ! 人間関係はゲームだ!! ……何も悪ぶるわけではないのですが、人生にしろ人間にしろ、変わり映えのない「凡庸」より、予測できない「波瀾万丈」や「破天荒」の方面に食指が動くのが人の性(さが)。本物の災厄は誰もが避けて通りたいものですが、ふだんの暮らしに妙味を添える程度の想定内のスパイシーな乱高下は、多くの人が本能的に求めているはずです。それは物語にしても然り。読み手というのはひとり残らず、驚きや意外性、広範な意味での刺激を求めています。そんな彼らに対し、大波小波もないそよ風漂うばかりの「凡庸」に埋め尽くされた作品を提示しようものなら、それは小説を書く者としてはもはや致命的。予定調和、決まりきった予測どおりの展開や結末には、興が醒めるどころの騒ぎではありません。ところがやはりこれも言うは易し……の典型で、読者の予想を超えたストーリーをつくり上げるのは容易ではないのです。では、その技とセンスはいかにして身につけられるのか、どのようなノウハウがあるのか――? それを解明するキーワードのひとつが、「どんでん返し」です。
「どんでん返し」とは「強盗返し(がんどうがえし)」とも言われ、もともと舞台上の大道具をひっくり返して用いる歌舞伎の用語を指すのだといいます(参考画像:コトバンク)。それが転じて、一般的には予想を覆す展開や結末を表す言葉として使われています。これが物語に適切に仕掛けられていると、「あのラスト、ぜんっぜん読めなかった!」と読者は好敵手にしてやられたような“清々しくも快い敗北感”を味わうことになるのです。
そして「どんでん返し」がもっとも大盤振る舞いされるのは、プロットが命のミステリーやサスペンスです。ですが――、いったい誰がミステリーやサスペンス以外には「どんでん返し」が向かないと決めたのか、純文学には不要と断言したというのか。危険な思い込みです。ストーリーテリングという言葉がありますが、物語をよりおもしろく雄弁に読者に提供するために、「どんでん返し」はどんなジャンルでも用いられ得るということを知っておきたいものです。
たとえば歴史小説、たしかに「どんでん返し」を取り入れるのは難しいに決まっています。史実を下敷きにし、主な配役もおおむね決まっているのだから、ハチャメチャ・ナンセンスでファンタジックな展開でも意図しない限り、予想を覆す要素を取り入れるのは不可能とも思えます。伝説を題材に敷衍してみたり、架空のキャラクターを登場させてみたり、いろいろ方法はあるようですが、でもやっぱり何より大きなドラマは歴史上の出来事、時代そのものの流れや転換、うねりであり、そこにフィクションを交えていく難しさは想像に難くありません。――でもあなた、だからこそ、なのです。歴史小説の「どんでん返し」には、必然的に生半可でない創意と斬新なアイデアが求められます。つまり逆にいうと、「どんでん返し」を成功させている現存の歴史小説・時代小説には、おおいに学ぶべきポイントがあるということなのです。
不思議の縁につながれて,私の家中の者となり,爾来十五年,私のためにつくしてくれた.情のないことをいうと思うなよ.そうではなくて,お前たちは,主家の滅びるのに関係なく,生き延びて,その技術を駆使すべき筈のものなのだ.侍というものは,ただ,主君のために命を棄て,主家と共に滅びるべき運命に置かれているのだが,忍者というものは,その特殊な技術を保って,生きかわり,死にかわって行くはずのものなのだ.
(村山知義『忍びの者5 忍び砦のたたかい』岩波書店/2003年)
従来、物語の軸には、主人公の成長とか恋愛とか復讐とか、あるいは人間の業や社会の不条理などに迫っていく流れが据えられるものです。歴史モノであれば、権力交代の構図や栄枯盛衰をドラマティックに彫琢したり、そうした史実に主人公の運命を絡めたりするのが常道の物語の編み方といえるでしょう。しかし、『忍びの者』を描いた村山知義はちょっと違います。織田から豊臣の滅亡へと動いていく時代(すなわち時代小説の激戦区)を舞台背景に、忍びの世界を照射して主人公たちの運命の変転を描きながら、「忍びとは何か?」という視点を貫いた文字どおり異色の歴史小説でした。村山は石川五右衛門を信長暗殺を命じられた伊賀忍者と設定し、主人公のひとりに据えました。石川五右衛門といえば、“釜茹で”という身の毛がよだつ末路を迎えた大盗賊。ですが村山はそれをクライマックスに据えなどしません。忍びたちが跳梁する世界の、多少目立ちはするが“ただの点のひとつ”として描くのみです。石川五右衛門の最期をささと通り過ぎていくストーリーは壮大なる肩透かし、堂々たる想定外の「どんでん返し」をやってのけたのです。
「どんでん返し」を導入する際には、主人公をどのように位置づけるかという点も重要となります。要するに「どんでん返し」に主人公を関わらせるか、関わらせないかです。作品のメインテーマ「忍びとは何か?」という視点を貫く上で、村山は“影の主人公”ともいえる重要な役割をふたりの人物に振り当てています。ひとりは百地三太夫。五右衛門と真田十勇士の霧隠才蔵というふたりの主人公の師とされる伊賀忍者です。もうひとりは、同じく伊賀の上忍・藤林家の当主、藤林長門守です。仮に本作が、忍者として成長した五右衛門や才蔵が一矢報いるヒーロー譚であったならば、それはそれで痛快な読後感を与えてくれたことでしょう、その死は涙を誘ったことでしょう。……が、それではあまりにも既視感が強く、五右衛門の“釜茹で”をスルー気味に流すという「大どんでん返し」だって、陽の目を見ることはなかったはずです。しかし村山は大衆が喜びそうな安易な下剋上を許しませんでした。ひたすらに「忍びとは何か?」と問いつづけ、主人公らを使い捨てのコマ同然に闇のなかへ葬ります。わかりやすい勧善懲悪の図式を公然と覆した――それはたしかに、とてつもない「どんでん返し」であったのです。
それにしても、権力者としての百地と藤林の不気味な高笑いが聞こえるような忍びの世界は、怪しくおどろおどろしいことこの上ありません。けれどそれはまた、現実世界の非情な一面をリアルに映し出すものでもあります。ヒーローの痛快な活躍や清々しい読後感は、本作には望めないかもしれません。しかし村山が見せつける「どんでん返し」は、読者の度肝を抜き、歴史・時代小説の名作としてその名を留めることになりました。一度ネタバレしたら以後は面白味のかけらもなくなるような安易な驚きがないからこそ、再読するたびに新しい発見のある一作となっています。小説を書くとき、ストーリー構成に思い悩んだら思い出してください。「裏をかく」「裏の裏を行く」なんて言葉がありますが、歴史小説『忍びの者』が教える「どんでん返し」とは、主流や風潮、読者の期待を“出し抜く”ということなのかもしれません。
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