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小説でもエッセイでも「必修の裏ワザ」の記事では、「頓絶法(とんぜつほう)」をベースにしたテクニックをお伝えしました。重要なことをあえて隠すことで読者の関心を鷲づかみにするこの方法は、人間のココロの力学を文芸のジャンルにうまく応用した一例です。今回は、この文章技巧と通底する、作中での「情報提供」の方法についてご説明します。
見出しに掲げた「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」、この孔子の『論語』に見られる言葉は「何ごともほどほどが肝心であって、何かをやり過ぎることは、足りないことと同じぐらいによいことではない」という意味です。一般的には、ものごとの節理や、人としてのありようを説いたものと捉えられているでしょうか。この中国故事を、小説創作やエッセイの執筆のシーンに取り込んでみると、どうなるでしょう? 「舞台設定や登場人物の心理などを過剰に説明することは、言葉足らずと同じぐらいによいことではない」との解釈がまず考えられるでしょうか。けれど……ん? どういうことでしょうか。
創作の初心者が犯しがちな失敗のひとつに、「過剰な情報提供」というものが挙げられます。登場人物が何を考えているのか、どのような事件が起きたのかなど、情報が過度に書き込まれていると読者はそれらを頭のなかで整理できず、作品に対する興味を失ってしまうかもしれません。また、あれもこれもと情報を盛り込もうとするばかりに、一文がダラダラと長くなり、読者の理解を阻害してしまうこともあります。ときには、長文になるほど複雑化する構文の前に書き手が屈し、文法的に誤った文章を書いてしまうことも。これでは本末転倒というわけですね。
さらに、これは明らかに子どもじみた事例ですが、小説の冒頭でいきなり「おれの名前はイッペイ、都内のそこそこの私立高校に通っている18歳。いま付き合っている人がいて、それは……」というように、主人公について滔々(とうとう)と説明をはじめてしまうケースもまま見られます。名前などは直後の会話文でほかの登場人物に呼ばせるとか、校内風景を描いて高校生であることを示唆するとか、もろもろの情報はもっとさりげなく提示することができるはずです。作中の設定を単なる「情報」として押し込もうとする不躾な態度は、おそらく多くの読書愛好家に嫌われます。読み進めるほどに仄かに、自然な形で伝わってくる「味わい」を求めて、文芸作品を愉しもうとしているはずなのですから。
パンクロッカーにして芥川賞受賞、その後は川端賞、谷崎賞、野間文芸賞……と、日本の名だたる文学賞を受賞してきた町田康氏は、その小説家デビュー作『くっすん大黒』でこんな一節を挿入しています。
……ふと視線を感じて道路の向こう側を見ると、ぴかぴかした近代的な交番があって、内部から巡査がこっちを見ているのである。
しまったことになってしまった。ゴミを並べるのが別段、犯罪を構成するとも思えぬが、自分は、ぼさぼさ頭で髭も剃っていないし、何日も着たままの寝間着兼用の普段着にどてらをひっかけている。ここ数週間、風呂にも入っていない。
――中略――
巡査はかつかつ車道を渡ってこっちにやってきてしまった。自分より五寸は背が高い若い巡査は、行こうとする自分に質問した。
「君、なにやってるの」「いや別に、ちょっと調査」「ふーん、何の調査なの」「いや別に、ちょっとゴミの」と言葉を濁していると、巡査は「君、ちょっとそこの交番まで来てくれる?」といい、自分を確保して交番に連行した。
「君、名前は」「楠木正行」「住所は」「栄町です」「栄町の何丁目何番地よ」「五丁目三番地」「職業は」「無職」「さっき言ってた調査ってなに」……
(『くっすん大黒』文春文庫/2002年)
これは、町をぶらついていた主人公の男に、警察官が職務質問するくだりです。こうなるともう男は、警察官に対して自分の素性を説明せざるを得ません。するとそれは同時に、作品世界を離れ、そっくりそのまま読者に対しても主人公の情報を提示することになるのです。先の子どもじみた悪例「おれの名前はイッペイ――」調に書いたとしても、主人公がそれを説明する相手が作中の警察官となれば、もはや読者に文句はありません。さすが現代の人気作家ですね。同じ手はもう二度と使うことはできませんが(創作の世界で“パクり”ほど禁忌されるものはないので)、「そんな方法もあるのか」といい事例にはなるでしょうか。
しかし、どうしてそこまで婉曲的に情報提供せねばならないのか。その答えは簡単、誰もが容易に手にできる石に高値がつけられないのと同じです。地底深くに秘められた石だからこそ、それは希少価値のある「玉」と呼ばれて珍重され、多くの人を惹きつけます。地上に転がっている石ではそうはなりません。隠されることもなく、特段の起伏すらもたない文章内で、当たり前のように提示された情報に、読者はさしたる注意を払わないものです。そして注意を払わないでいいような情報はつまり無駄、それが書き込まれた文章は「駄文」という烙印を押されてしまうというわけです。
手練れの書き手ともなれば、こうした読者心理を逆に利用します。誰も注意を払うことのないような一文のなかに、のちのちの大転換をもたらす伏線を忍ばせてみたりと、効果的な働きを文章に織り込むことができるからです。小説やエッセイなど、ある程度のストーリー性をもった作品の執筆とは、このようにある意味で読者との心理戦です。その戦いに勝利したいのならば、作者は作中の登場人物に自分を投影することばかりに腐心するのではなく、読者のほうにもまた同じくらいのバランスで、自分自身の意識を重ねておくことが必要なのでしょう。
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