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いわゆる「サクセスストーリー」を、たいていの読者は好むものです。良質でありさえすれば、嫌いな人なんていないんじゃないでしょうか。読み手のこうした嗜好性はいまにはじまったことではなく、古今東西でサクセスストーリーは花盛り。悲運に生まれついた者、あるいは一見凡庸でサクセスにはほど遠い者が、危機や困難を乗り越えて輝かしい壇上へと登りつめる物語――といったら、それは間違いなくスカッとするものです。でも、もしあなたが作家になりたい! と宣言するのであれば、我も我もとサクセス人気に便乗することなく、背を向け、オイラはいらないね――とうそぶく真性の天の邪鬼であってほしいのです。絵に描いた餅じゃあるまいし、お定まりのストーリーでスカッとしたからってどうだっていうんだ。所詮、現実逃避の疑似体験に過ぎないじゃないか。何も生みはしないではないか――と。そう、サクセスには懐疑的であるべし――の態度です。でもこの態度、けっしてひねくれ者のひねくれ発言などと容易に片づけられるものではありません。
お約束のスカッと系サクセスストーリーに溜飲を下げ、日ごろの憂さを晴らすのもいいでしょう。あなたが単なる一読者、一視聴者であるならば――。けれど、本を書きたいと未来を見つめる者であれば、ワンパターンのサクセスストーリーに異議を唱え、天辺から転落する人生に意味を見出し、ひいては人間存在を洗い直す冷静な思考者であってほしいものです。たとえば勧善懲無限リピートの時代劇は、根強いファンはいるとはいえ、作家の卵がいまさら手を染めるべきジャンルではないでしょう。時代劇も変化し、進化するべきです。同じようにサクセスストーリーにだって、新しい発想が求められるのは当然なのです。ただし、すべての王道的なサクセスストーリーを唾棄せよと言っているのではありません。王道には王道になるだけの理由があり、やはりそれを無視することはできません。その設定や展開の“逆方面”を見てみれば、新機軸の物語をつくり出すヒントも拾えたりするのですから。たとえばスカッとするサクセス物語からは、ちっともスカッとしない成功譚とか、筋金入りの中間管理職の珍妙なサクセスストーリーとか、王道から派生する別路線や逆張り的なアイデアだって生まれてくるわけです。
あなたが意欲的な書き手であるなら、同じサクセスストーリーを書くにしても、深遠な構想をもって創作に臨みたいと高みを目指すかもしれません。だからといって、哲学書なぞ読んでニワカ思想家になる必要はないのです。こっそりと教えますが、サクセスストーリーの新機軸を構想するための、黄金のヒントが眠っているジャンルがあるのです。
それは何あろう「童話」です。
実は大半の絵本や童話は、サクセスの逆、つまり「失敗」によってストーリーが編まれているといっても過言ではありません。失敗に次ぐ失敗。それも、「そんなの大したことないって」とスルーできるような平凡な失敗ではなく、とてつもない一大事やアクシデントが目白押し。絵本や童話には、そんな大ごとの失敗やアクシデントをこともなく許容する世界観がまずあり、その上で、ちょっとした「成功」が結末に用意されているものなのです。児童向けジャンルということで、失敗しても挫けずめげず、努力して工夫して、ようやく成果を手にすることの大切さを説く作風が多いからでしょうか。
「だってこんなちっちゃくなったの初めてなのよ、初めて! 正直ひどすぎてよ、ひどすぎ!」
と口に出したとたん、足をすべらせ、たちまちぼちゃん! しょっぱい水に首までつかって。初めのうちは海か何かに落ちたと思ってね。「たしかこういう場合は、線路から引き返せばよくてよ。」とひとりごと。(アリスは生まれてこのかた1度だけ海辺に行ったことがあったから、ふつうにこう考えたんだ。イギリスでは海に行くと、かならず砂はまにたくさん車輪のついた箱がたの着がえ部屋があってね、子どもたちは木のくま手で砂をほじっていて、あとはずらり海の家にその後ろが線路の駅。)でもすぐにはっとした、いるのは自分が3メートル近いときに泣いて作ったなみだまりなんだって。
(ルイス・キャロル作・大久保ゆう訳『ALICE IN WONDERLAND』青空文庫)
ルイス・キャロルは、代表作『不思議な国のアリス』のなかに“失敗に次ぐ失敗”を盛り込み、主人公アリスに果てしのない試行錯誤の旅をさせます。この作品を一行で表すならば、アリスが試行錯誤を繰り返すストーリー。アリスが「不思議の国」という未知の世界に意識的・無意識的に適応しようともがく様子を描いていますが、数々の失敗から何らかの経験則を得つつ、おかしなキャラクターたちに詰め寄るアリスの問いには真理が隠されています。この、数々の失敗のなかから経験則を得、蓋然的に「正解」とおぼしき方策を見出す一連の流れを「ヒューリスティクス(heuristics)」と呼びます。主にコンピューター関連や心理学で用いられる用語ですが、リアルな人生における「成長」の仕組みと似ていなくもありません。当初は太刀打ちできなかった難題も、絶対的な「解」を見出したわけでもないのに、いつしか超えていけるようになる――あの、前進している感覚です。ゆえに、この「ヒューリスティクス」は、物語作品とも相性がいいわけです。
「だまらっしゃい!」と血相を変えるクイーン。
「だまらない!」とアリス。
「このむすめの首をちょん切れ!」とクイーンがありったけの裏声をはる。ひとりも動かない。
「だれが言うこと聞いて?」とアリス(このときまでに元々の背たけになっていてね)。「あんたたちみたいなただのトランプ!」
せつな、トランプがいっせいにおどり上がり、空からふりそそいでくる。きゃッと、びくつき半分、むかつき半分で打ちはらおうとしたら、気づけばもとの木かげ、お姉さまにひざまくら、木から頭にひらひら落ちかかっていたかれ葉をやさしく取りはらってくれていて。
(同上)
ルイス・キャロルによる『不思議の国のアリス』の結末を、「なんだ夢オチか」と鼻を鳴らした人はいやしませんか? アリスの冒険は「夢」でなくてはなりませんでした。アリスの姉が妹の未来に思いを馳せたように、不思議の国の冒険は、現実世界に何十億といるひとりひとりのアリスたちが、自分の身に起きる物語として夢想し、実際に夢にも見るものだからです。世界中のアリスたちはいつしか成長し、その夢を大事なところへ仕舞っておく、否、仕舞っておいてほしいと、ルイス・キャロルは願ったことでしょう。
さあ、『不思議の国のアリス』のアリスがヒューリスティクスの果てに辿り着くサクセス的結末とは、いったいなんであったのでしょうか。大ドンデン返しで富と栄華を手に入れ、高い地位に就く痛快物語ばかりがサクセスストーリーというわけではありません。こと、価値観の多様化が叫ばれて久しい昨今にあっては、一様な前時代的サクセスストーリーでは読者の心を打つことはできません。図書館に赴き、ヒューリスティクス満載の童話や絵本を書架から抜き出し、ぱらぱらとめくってみて、ご自身なりのサクセスの定義をあらためて練ってみる。それもまた、ちょっとしたブレイントレーニングになるのではないでしょうか。堂々たるサクセスストーリーの新機軸が誕生しないとも限らないのです。そうして、あなた自身のサクセスを手にしようではありませんか。
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