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小説の主人公にはトラウマを

2016年07月08日 【小説を書く】

完全無欠の主人公を描く――で、まずはいいのだ

ヒロイズムあふれるエンタメ小説や冒険譚を書こうとしたとき、書き手がしばしば犯してしまう過ちに「完全無欠の主人公を描く」というのがあります。しかしそれも当然なのかもしれません。なぜなら書き手は、基本的にヒーローたる主人公を描きたくて作品の創作にとりかかるわけで、作品それ自体を“読めるものに仕上げよう”という殊勝な動機をベースに執筆をつづけられるのは、プロ作家か、よほど抑制のきいた玄人はだしの作者だけなのではないでしょうか。

「書く」という行為の底に流れる動機をさらに煎じ詰めてみれば、多くの場合それは、作中あるいは創作活動を通じて自己実現を図ろうという欲望の転化とも見ることができます。ゆえにヒーローである主人公は、どんな状況下だろうと“成し遂げちゃう”ことを求められるのは必然ともいえます。ただ、先に言っておきますが、これは何も間違ってはいません。それでいいのです。ぜんぜん、いいのです。せっかく芽生えた動機を削ぐことほど、人を無力化させるものはありません。だからここでは、それでいいのだときちんと認めたうえで、その先のことを考えていくことにしましょう。

テレビアニメに見る、苦手・トラウマ・スネの傷

ここで事例として国民的アニメーションをいくつか挙げてみましょう。まずはドラえもん。未来からやってきたネコ型ロボットのドラえもんは、のび太やその周辺の人物、ひいては地球の未来を救うために、四次元ポケットからさまざまな道具を取り出しては、大小の夢や希望を叶えていきます。ルックス的にヒーロー然とはしていませんが、行動や存在自体はヒーローそのものといえます。そんな彼なのに、大の苦手なものがありますね。そうです、ネズミです。それこそ、何らかの道具で駆除もできるでしょうに、作者藤子不二雄はこの“ネズミ嫌い”の設定を除去しません。なぜでしょう? と、この疑問を抱えつつ、次の事例を見てみましょう。

次はルパン三世です。世界を股にかける大泥棒のはずのルパンが、峰不二子を代表とする女性全般にだけはめっぽう弱いのは男性諸氏の共通事項と見るとして、ここで注目したいのは、副主人公である石川五ェ門がもつ名刀「斬鉄剣(ざんてつけん)」です。どんなものでも切れる刀として知られていますが、各回によってその設定もアバウトになるため、全話を確認してみると、切れないものはそれなりにあるようです。ただ、なかでも有名で「斬鉄剣が唯一切れないのは?」の問いにおそらく多くの人が解答するのは、やはり「こんにゃく」でしょう。しかしなぜ作者モンキー・パンチは、金庫や超硬ガラスなど、切れなくて当然と思われるアイテムと、はたまた「こんにゃく」を並べたのでしょうか?

さて次は北斗の拳(そろそろ編集子の世代がおわかりになるころでしょうか……)。主人公は言わずと知れたケンシロウ。肉体的にも人格的にも完全無欠の彼ですが、弱点というか多くのトラウマにまみれていることは皆さんご存じのとおりです。恋人ユリアを奪われ、胸には北斗七星状の7つの傷すら負わされて……といった物語の起点にしても、かつてはともに修業に励んだ、北斗の血を継ぐ義兄や実兄など、肉親と熾烈な戦いを繰り広げる設定にしてもそうです。どうして原作者武論尊は、ケンシロウをひたすら心を削りとられるような物語世界に送り込んだのでしょうか? 単に、核戦争後の荒廃した世界という設定ではダメだったのでしょうか?

では次が最後です。ブラック・ジャック。天才外科医である彼は、彼自身が不発弾爆発事故により幼い時分に大ケガをし、大手術の果てに生還した経歴をもっています。そのせいで彼は全身に傷痕をもち、頭髪も半分が白くなってしまいました。トラウマによる現象です。しかし彼が抱える「負」は、それだけではありません。医者を騙りながら無免許であり、医学界ではつま弾き者です。折々に善行は見られるのでヒロイズムは備えているのですが、無免許医療を施し法外な報酬を請求する点では完全にアウトローなのです。作者手塚治虫は、なぜ彼を法律遵守のヒーローに仕立てなかったのでしょうか?

ギャップや意外性こそが強い関心を惹き、挿話を生む

以上4つのアニメを例に、苦手・トラウマ・スネの傷といった「負」の設定の謎について並べてみました。しかし何も語らずとも、もう皆さんは「そうでなかった場合どうなるか?」への解答が頭のなかに浮かんでいるのではないでしょうか。そうですね、おそらくは「つまらなさそう」と感じるのではないでしょうか。

ドラえもんがネズミ嫌いでなくとも、斬鉄剣がこんにゃくを切れたとしても、胸のつるりとしたケンシロウが勧善懲悪の行脚を延々つづけたとしても、身体に縫い目のない黒髪短髪のブラック・ジャックが市立病院に勤めていようとも、それはそれでいいのですが、物語に起伏は生まれませんし、後者2作などは完全に物語の基幹からして崩れてしまいます。

登場人物や作品そのものにギャップや意外性があるからこそ、読者の興味はそこに注がれるものです。風のない静かな朝の鏡のような湖面を、一羽の渡り鳥が割ったとしたら、人は必ずやそこに目を向けます。水面は乱れ、少し興ざめするかもしれません。しかし、そこにもう一羽の鳥がやってきてつがいになり、愛くるしい求愛のダンスをはじめたとしたらどうでしょう。静かな湖面を眺めコーヒーをすすっていたときとは、またひと味違うストーリーが流れはじめるのではないでしょうか。これにも似た作品構造を、あなた自身の小説にも取り込みたいとは思いはしませんか。それを可能にするのが、作中の主人公や主要アイテムに課す「負」の設定なのです。

「負」の設定は“ひとまず”でいい

主人公にトラウマを設定するといったって、作品を書くのはこれからだから……と思われる方もいるでしょう。しかし安心してください。あとでどう出るかは作者だって知らなくていいのです。どうなるかわからないけれど、ひとまず「負」の設定をしておきましょう。それがのちのあなたを救うことになります。想定しているエピソードを盛り込み作品は主旋律を備えた、しかし何かもの足りない……。そんなときに、あらかじめ不可視状態で設定しておいた「負」が起点となり、フラッシュバック的に過去の記憶を呼び戻したり、サイドストーリーを派生させたりして、登場人物と作品に奥行きをもたせてくれるはずです。

もちろん、周到に用意された構想は必要です。しかし、予定調和的な物語が飛翔できる距離は、やはり想定内なのです。そのもうひとまわり外側へと飛び出すために、偶発的とも思える展開の種「負」をまいておきたいところなのです。そしてその「負」は乗り越えられるものであってもいいし、引きずり歩いていくものでもいい。それと対峙することで、大小のドラマが生まれることが重要なのです。

ところでなぜ、「正」ではなく「負」なのか。それはヒロイズムを描く際、作者の念頭にあるのは、基本的に「正」側の姿だからです。なぜならば、それを描きたいから作者は筆を執る……と、話はきれいに冒頭に戻るというわけですね。完全無欠の主人公を描く――で、まずはいい。ただし、その作業にひとつだけプラスアルファの要素を――「負」の設定もお忘れなく、ということですね。

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