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建てる、創る――その思想と精神

2016年12月28日 【小説を書く】

建築と小説づくりの共通点

小説にも柱や骨格という言葉が用いられますが、基礎を打ち、柱を立て、骨格を組んで築いていく建造物と小説には、その構造において共通する部分があるようです。住空間のなかには、身の丈を実感できるスケールがあり、人はそのなかで居心地のよさ、あるいは悪さを覚えます。近現代の名建築家は、奇抜さやきらびやかさではなく、人が無理なく自然に過ごせる空間づくりを第一義と考えてきましたが、それは物語のなかに登場人物を配するのにどこか似ています。優れた建築は深い思想なくしては存在し得ません。本を書きたい、作家になりたい者にとって、建築という形ある立体物に根ざす思想に触れることは、決してマイナスではないでしょう。

「小屋」に完全無欠を見出したモダニズムの巨匠

近現代の建築史に大きな足跡を残したル・コルビュジエには、「住宅は住むための機械である」という有名な言葉があります。鉄骨、コンクリート、ガラス、規則的な直線と曲線で構築されたその作品は、簡素な美しさが際立っていても、決して無機質な印象を与えるものではなく、“住宅が機械”という彼の表現には、人間の身の丈や活動域を緻密に効率よく考えられた家――という意味が読み取れます。

建築とは光の下に集められた立体の蓄積であり、正確で、壮麗な演出である。われわれの目は光の下で形を見るようにできている。明暗によって形が浮かび上がる。立方体、円錐、球、円筒または角錐などは初原的な形で、光ははっきりと浮び上がらせる。
(ル・コルビュジエ『建築をめざして』鹿島出版会/1967年)

まるで光と物体を詠う現代詩のようなこの一節は、コルビュジエ作品の美の真髄を言い表しているでしょう。モダニズムの巨匠として後世の建築家やデザイナーに多大な影響を与えたコルビュジエ。しかし、彼が終の棲家として建てたのはなんと16平米にも満たない小屋で、〈生活する〉という眼をもって、その最小限の空間に最大限の工夫を施してみせました。創造と、それに向き合う精神について、コルビュジエは簡潔に語っています。

はっきりと表明し、作品として統一的に生かし、基本的な態度、性格を与えるということは、純粋な精神の創造である。
(同)

小説家や作家を志す者にとっても、貴重な指標となり得る言葉です。

無駄のないディテールが実存感覚を生む

武蔵小金井の「江戸東京たてもの園」で、落ちついた静かな佇まいにひときわ心惹かれる一軒の家があります。日本のモダニズム建築の旗手、前川國男の自邸です。コルビュジエに師事した前川。後年建築したこの家は、平らなファサード(建物正面)や円柱がコルビュジエを思わせるものの、木のぬくもりや色合い、室内にしつらえた家具などに日本的な質朴さが感じられ、前川自身の独創性と志向が見て取れます。

「ディテール」のない建築なんてものがあるだろうか。「ディテール」の真実に支えられなければ、小説という大きな虚構はひとたまりもなく崩れ落ちるだろうと言った、フランスの文豪の言葉を思い出す。建築家が、その設計に苦心の努力を積み重ねるのは、その建築の実在感、ひいては彼自身の「実存」の証をつかみたいからである。
(前川國男『前川國男のディテール』彰国社/1979年)

奇しくも小説が喩えとしてもち出された前川のこの一文は、まさしく小説を書くための極意を浮かび上がらせるかのようです。建築物のはっきりとした役割を担うディテールを見れば、ディテールの重要性をいっそう実感できるはず。正しく美しくディテールを整えてこそ、作品に「実在感」が生まれ、作者の「『実存』の証」が成り立つのです。

創造の基本精神は「斬新」の対極にある

中村好文は住宅建築に力点を置く建築家。家具づくりを学んだこともある彼は、住空間と“生活”が不可分であることを追究し、「人の住まいや暮らしとは何かを突き詰めていくと小屋に近づいていく」と語っています。その言葉はコルビュジエの思想にも通じますが、彼のシンプルでいて温もりのある暮らしの提案には、たとえばドアノブや階段の手すりなど、使いやすさを重んじた一段と細やかなこだわりが鏤められています。「ステータスとしての住宅には興味がない」と断言する中村の建築家としての信条は、人の自然な暮らしに可能な限り寄り添うことでした。

私の意に添わないのは、いわゆる斬新さや、新奇さや、 作品性ばかりが声高に主張する「建築家の満足」とでもタイトルを付けたくなるような、これ見よがしの住宅です。普段着で、普通の声で、しみじみ語りかけるような住宅を目指すと、自然に「生活のためのよくできた容器」に帰着することになるのです。 無理も無駄もなく、威張ったりいじけたりしない自然体の住宅が、私の理想ということになります。
(中村好文『普段着の住宅』王国社/2002年)

現代の建築家は「自然体」という言葉をよく用います。また、不要なものを徹底的に排除した“小屋づくり”の精神も共通するところがあるようです。建築家や作家は必ずしも自己表現に徹した芸術家というわけではありません。当たり前の感覚をもった人たちを心地よくしたり感動させたりすることが、往々にしてその本分となるのではないでしょうか。奇を衒った建築に違和感を覚えるのと同じく、新奇さを狙った文学作品はともすれば空疎になりかねません。建物のディテールに細やかに目配りし、研ぎ澄まされた小さな空間に完成美を見出した建築家のように、文章を書く前に、“創る”ということの思想と精神を修養することが大切なのです。

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