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書けないときは、読むことに重点を置いてみる〜『源氏物語』編

2018年10月05日 【小説を書く】

世界最古の長編小説とも呼ばれる(諸説あり)『源氏物語』。無論、単に古いからといって作品の価値が上がるわけではありません。1000年以上もの歴史の荒波に耐え、いまなお日本文学史上の高みに燦然と輝く星でありつづけている事実こそ、この作品の比類のなさを表しているといえるでしょう。ゆえに、チョイチョイとお気楽に取り上げられる作品ではなく、専門家の端くれでもない身の上では語ることさえおこがましい気持ちにもなります。そんな次第ですから、今回は、深みと広大さ、多彩なテーマとシークエンスを内包する古典中の古典『源氏物語』を、ぜひ一度読んでみてほしいとあと押しするような心持ちでブログを綴ってみたいと思います。

『源氏物語』とは、小説家になりたい! 物書きを目指す! と心に決めた方にとって、踏破(読破)する価値のあるそれはそれは美しい秀峰です。特に、近ごろ筆が振るわず「あれ? スランプ?」みたいな方にとっては、こうしたレジェンド的超大作に挑み読破する一種の成功体験が、現状を打破する一手となり得ることだってあるはずです。

さて、ご存じのように、作者の紫式部は平安時代中期の歌人です。受領(平安期、諸国に赴任する行政長官)の家に生まれ落ち、父と同じ正五位下の位にあった藤原宣孝に嫁ぎ一女(大弐三位)を授かります。が、夫は結婚後3年ほどで他界。その後書きはじめた源氏物語の評判を耳にした時の左大臣・藤原道長に「娘の彰子(一条天皇の中宮)付き女官に」と請われ出仕し、宮中において全54帖にのぼる『源氏物語』を完成させたといわれています。道長が目をつけるほどの有名歌人だったとはいえ、「女官」という当時の政治的にはそう高くないポジションの常として、残された記録はごくわずか。いまなお研究の余地を残す謎の多い女性ですが、和歌や漢文の素養豊かな社会、恋愛遊戯盛んな階級にあって、当代随一の才気煥発で感性鋭い女性だったことは疑いようがありません。

絢爛たる物語の“曖昧さ”の秘密

いづれの御時(おほんとき-オオントキ-)にか、女御(にようご-ニョウゴ-)更衣(かうい-コウイ-)あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際(きは-キワ-)にはあらぬが、すぐれてときめき給うありけり。はじめより我はと思ひあがり給へる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉み給ふ。同じほど、それより下掾iげらふ-ゲロウ-)の更衣たちは、まして安からず、朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえはばからせ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
(紫式部『新潮日本古典集成 源氏物語(一)』新潮社/1976年 ルビは引用者による)
現代語訳(口語訳)
どの天皇の時代であったでしょうか、女御や更衣がたくさん(天皇に)お仕え申し上げていらっしゃった中に、それほど高貴な身分ではない方で、際だって帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいました。(宮廷に仕え始めた)当初から、自分こそは(帝の寵愛を受ける)と自負していらっしゃる方々は、(寵愛を受けていた女性を)気に食わない者としてさげすみ、ねたみなさいます。(寵愛を受けていた女性と)同じ身分、それよりも下の身分の更衣たちは、なおさら心安らかではありません。朝夕の宮仕えにつけても、(その女性の行動は)人の心を動揺させ、恨みを身に受けることが積もったからでしょうか、(その女性は)たいへん病気がちになり、なんとなく心細そうに実家に帰っていることが多いのを(見た帝は)、ますます限りなく気の毒なものとお思いになって、周りの人が悪くいうのも気兼ねなさることもおできにならず、世間の語り草にもなるにちがいない(ほどのご寵愛の)なさりようです。
(出典:マナペディア

時の天皇・桐壺帝に寵愛され嫉妬と恨みを買って辛苦を舐めた身分の低い女官、光源氏の母・桐壺更衣の登場から始まる『源氏物語』は、平安期の宮廷を舞台とした長大な物語です。中心的な主人公・光源氏の死までを描く「桐壺」から「幻」。薫、匂宮、浮舟など次世代の行く末を描く「匂宮」から「夢浮橋」。全54帖、贈答歌(男女がやりとりする歌)を織り込んで綴っています。もちろん、とてつもない長さを濃密に描ききった大河ドラマであることと、贈答歌で編んだ歌物語であることは、形式を超えた大きな特長となっているわけですが、あまたの研究者が論じ世界最高の文学とまで称えられるその真髄はどこにあるのかというと、さらに目を凝らすべき深みがあるようです。

『源氏物語』では、宮廷社会に渦巻く陰謀や嫉妬を描きながら、意外にもそれらがドラマ的な軸となることはありません。太政大臣、准太上天皇となった光源氏ですら、その才気と手腕は仄めかされるものの、不義密通騒動の末に失脚させられるという話以外、その政治的な動きや仕事についてはほぼ書かれていません。源氏のみならず、作中の誰が位人臣を極めても、その栄達の経緯が追われることはなく、まるで設定が曖昧なキャラクターたちによる人間ドラマのよう。ただしそれはもちろん、紫式部の意図したことでもありました。

真髄は「もののあはれ」思想

高き宿世(すくせ)、世の栄えも並ぶ人なく、心の中(うち)に飽かず思ふことも人にまさりける身
(紫式部『新潮日本古典集成 源氏物語(三)』新潮社/1976年 ルビは引用者による)

上に挙げた歌は、源氏の父である桐壺帝の中宮・藤壺(桐壺更衣の死後入内・源氏からすると継母かつ初恋の相手)が臨終の床で詠んだ歌。前世からの縁に恵まれ、栄華も世に並ぶ人のないほどであったけれど、胸に秘めた悲しみも誰より深いものだった――そう詠じているのですね。この歌が明かすように、主人公をはじめとする登場人物らは、ある意味で人生に何を見出すわけでもなく虚しさを噛みしめ生の終わりを迎えています。光源氏しかり、藤壺同様、女としてすべてを手にしたようでいながら失意に沈む紫の上しかり。薫と匂宮のあいだで揺れ、命を絶とうとした浮舟しかり。しかしなぜ、彼らの悲哀や諦念は美しいのか。――そこにあるものこそ、『源氏物語』が嚆矢であり頂点である「もののあはれ」という思想です。

絶頂期の源氏が築いた四季の庭をもつ六条院。この桃源郷のごとき世界を物語の栄華の頂点として、虚構の美しさの最たるものとして、やがて影のように薄れていく現実の人生の儚さと無常を映し出した物語『源氏物語』。そのことを暗示するように、この物語には“死”が鏤められています。桐壺更衣、桐壺帝、藤壺、六条御息所、紫の上、柏木、そして源氏――(夕顔と葵の上は生霊絡みで、ちょっと違う)。束の間、華やいで悲しみを胸に抱いて去っていった彼らこそは、桃源郷に遊ぶ天上人でありながら、「あはれ」をまさに体現する存在だったといえます。『源氏物語』とは、絢爛たる王朝絵巻を背景に、「もののあはれ」と「人の生のあはれ」を馥郁と匂わせる、日本的な情感漲る世にも特異な物語だったのです。

「いろごのみ」の風雅を知る

そして『源氏物語』で重要なサブテーマとなっているのが「恋」。あけっぴろげにいえば「いろごのみ」。『源氏物語』は不倫・浮気の花盛り、性愛場面も夥しく、強姦まがいのシーンまであり、世が世ならポルノにもなりかねない、官能の縦横糸で織りなされた物語でもあるのです。しかし逆にいえば、そんなポルノになりかねない作品が「王朝文学」として光輝いている点にこそ、『源氏』の『源氏』たる所以があるといえましょう。確かに当時の宮廷風俗では、「恋」は咎めだてなどできない……どころか、貴人の嗜みであるようなムードさえ漂っていました。また紫式部は、「恋」を「不義」に位置づける現代の昼ドラ的手法で作品にドラマ性を帯びさせることはしませんでした。幼少期に母・更衣を亡くした源氏が、母の面影を探し、母に似た継母・藤壺のなかに面影を求め、あるいは忘れるようにいくつもの「恋」を渡り歩いていく様子、またそんな源氏に心揺らす女君たちを通して、「もののあはれ」に通じる「人のあはれ」を季節の移ろう侘びしさのように描いたのでした。

備えあれば“名作登山”も一層楽し

光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人が思われる。自然奔放な好色生活が想像される。しかし実際はそれよりずっと質素(じみ)な心持ちの青年であった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間がおしゃべりであるからなのだ。自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。好色小説の中の交野(かたの)の少将などには笑われていたであろうと思われる。
(与謝野晶子訳『全訳源氏物語 上巻』角川書店/1994年 ルビは引用者による)

『源氏物語』を原文で読むことはいささか困難です。困難ゆえに諦めるわけではありませんが、本稿でも原文を読むことは無理には奨めません。なぜなら『源氏物語』は、谷崎潤一郎をはじめ、多くの偉大な作家が現代語訳や翻案に挑んでいるからです。そんな『源氏物語』の現代語訳本を初めて世に出したのが与謝野晶子で、これを含めて彼女は生涯三度の現代語訳を試みています。晶子は少女時代に原文で『源氏』を読みこなし、作歌にもその影響は色濃いといわれていますから、どれほど思い入れをもって訳に臨んだか推して知れます。のちに「谷崎源氏」の参考にもされたという「与謝野晶子源氏」。こちらのほうが、古文書を紐解くように無理に原文『源氏物語』を読むことよりも、さまざまな意味で一読する価値のあるものと思われます。

また、与謝野晶子が瑞々しく描写して見せた光源氏のモデルには、幾人もの名が上がっています。その有力なひとりが醍醐天皇の皇子・源高明で、謀反の罪を着せられ流刑に処せられた人物です。その顛末は光源氏の明石への流浪に重なり、貴種流離譚の宿命をも思わせます。もうひとりは嵯峨天皇の皇子・源融で、六条院を思わせる広大な庭園を造成しました。彼らをモデルにしつつ、紫式部の時代に権勢を誇った藤原道長の像を調合してつくられたのが、光源氏という稀有のキャラクターであったのかもしれません。世界に冠たる『源氏物語』。数々の現代語訳や登場人物モデルにまつわる豆知識を携えて臨むのもまた一興でしょう。

「あはれ」を知る、それはすべてを知ることなのかも――

いかがでしたでしょうか。日本独自の思想と美意識が横溢する華麗な王朝絵巻、『源氏物語』の特異性と魅力を少しでもお伝えできたでしょうか。百花繚乱の花の王のごときまばゆさを謳われても、母の面影を求めて恋にさすらいつづけ、結局、何も手に入れられなかったように見える光源氏。しかし、そうしてうつろな「あはれ」を体現してみせる源氏は、実はその過程で人として生きるすべてを知ったのではないかと思うのです。

日本のみならず世界の文学史における輝ける金字塔『源氏物語』。この超大作を読むのは間違いなく大仕事でしょう。けれど、小説家になりたい、本を書きたいと夢抱くあなたであれば、偉大な山の頂を敢然と目指すかのように、一時筆を措いて『源氏』読破に挑むことにも価値を見出せるはずです。やうやう頂に達すれば、そこから見えるのはいつまでも忘れがたい景色。あなたの創作活動にとっても得難く貴重な財産となるに違いありません。

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