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「変人」という存在に対して、誰もがさまざまな意見をもっているでしょう。「えーイヤだー」と眉をひそめ半径3メートル以内には近寄らせようとしない人、少し遠巻きに見ておもしろがる人、そして変人に共感する人、さらには憧れる人――。これらのうち、傾向や実態を踏まえ、ざっくりとした見解として述べさせていただくと、変人に共感する人・憧れる人が作家としての適性を具えた人といえます。まあ、よくいわれることでもありますね。作家や芸術家に、変人・奇人と呼ばれる人が多いのは事実です。そのことを知るからこそ、作家や芸術家を目指す人のなかには、変人志願者や変人を自認(客観的事実かどうかは別として)する人も少なくないようです。ある意味、形から入るというか。けれど、変人に共感する人・憧れる人が、いくら“志願”したからといって真の変人になれるかというと、これはやはり難しいものがあります。ある意味、「変人山」は「作家山」よりもはるかに高く険しいといえるかもしれません。
けれど、さしあたり無理に変人になろうとはせずとも、作家として地位を築いた折り紙つきの先輩変人たちの、作品や生き方、あるいは思考回路から何かしらを学び、あなた自身の創作に活かすことはできると思われます。当然ながら、創作力や独創性が大きくものをいう作家や芸術家という稼業において、単純なイミテーションや似非ともとられる姿勢はお話にならない“不適性”の証明でしかありません。つまるところ変人作家たちに学ぶべきは、その外観的なスタイルではなく「変人創作メソッド」。先輩たち自らが実証済みの方法論であり、彼らの創作を育んできた栄養豊かな土壌でもあるわけですから、ここだけは抜かりなく押さえておきたいところです。
誰もが知るデンマークの童話作家・詩人のハンス・クリスチャン・アンデルセン。貧しい家庭に育ったアンデルセンは、同級生らと遊ばずにひとり教室に残って空想に耽るような少年でした。当然のごとく常にからかいやいじめの対象でしたが、アンデルセン少年は自分だけの素晴らしい創造世界をもっていました。彼の何よりの楽しみ、それは靴職人の父がつくってくれた人形で遊び、その人形の衣装を縫うこと。あのアンデルセンの幼き日の話としてはフムフムと聞き流せもしますが、そんな男の子が身近にいたらちょっと心配してしまうかも。とにもかくにも、そうしてアンデルセンは、人形芝居をひとり黙々とつづけるなかで、自然に物語づくりのノウハウを身につけていったのです。
人間というものは、ほとんど常に感情の色めがねを通して世界を見るもので、そのレンズの色しだいで、外界は暗黒にも、あるいは深紅色にも見えるのです。
※引用者註 原文は「Man always sees almost all world through colored glasses of feeling, and the outside world depends on the color of the lens, and looks poppy darkly.」ここでの「色めがねを通して〜見る」とは、比喩的に先入観・偏見をもって人や事物を見ることをいうのでなく、colored glassesの字句そのままに色つきの眼鏡を指すと思われる。
アンデルセンの残した名言として語り継がれるこの言葉は、誰も立ち入らせずに自由に空想に遊んだ少年時代の実感に端を発しているのかもしれません。いじめやからかいを受けながら、わくわくするような楽しさも知っていたアンデルセンにとって、世界は暗くも明るくも見えたことが窺えます。数々の色のめがねを通して世界を空想しつづけたアンデルセンは、かくして多彩な色が躍る物語を描く童話作家となったのです。
もちろん日本の小説界も変人の坩堝です。とりわけ往年の小説家たちの変人ぶりは堂に入っているようですが、明治から昭和に至る変人ぞろいの作家たちのなかでも、希代の変人として横綱級の呼び声高いのが永井荷風です。その奇行ときたらもう他の追随を許さないレベル。もはや憧れを超える次元かもしれませんが、荷風先生にも、極めつけの変人の名に恥じぬ確固たる信念と哲学があったことを見過ごしてはなりません。
世間のつまらぬ不平や不愉快を忘れるには学問に遊ぶのが第一の方法である。
深い、深すぎる……。「学問」は嫌々臨むものでも励むものではなく、遊ぶもの。そう荷風は断言します。学問に遊べば、世間の不平や不愉快を忘れられるというのです(人づきあいが悪く吝嗇で無類の女好きであった荷風には、不平や不愉快を被るだけの理由がごまんとあったでしょう)。病気療養の床で江戸期の戯作を読み耽った少年時代から、父の意向に背き実業に挫折しながらクラシック音楽の薫陶を受けた外遊時代にしても、荷風はこの言葉を実践し、嫌なことを忘れるためにまさしく学問と知識の世界に遊んだのでした。そしてこの外遊体験ののちに『あめりか物語』『ふらんす物語』を発表し、作家としての精力的な活動期を迎えるのです。
1996年『くっすん大黒』で鮮烈なデビューを飾った芥川賞作家にして反骨のパンクロッカー町田康。なかなかのイケメンでいて、見るからにアブナイ雰囲気を醸す彼もまた、変人異人に分類される天才作家に違いありません。国内の名だたる文学賞を総なめにしてきた町田が、とあるラジオ番組で語った言葉はちょっと示唆的です。
クセが強いのは誰でもそうだと思うんですよ。「なくて七癖、あって四十八癖」といいますが、人間誰でもクセはあるんですよね。日常の中であまりクセを全開にしないだけで、実は家では変なことしてたり。そういうところがフッと出てくると面白かったり、ちょっと切なかったり安心したりとか、いろいろな人の心が動く要素があるかと思います。小説は割とそういうところを書いていきたいなと思っています。ことさら奇人変人を集めて、見世物的に変なことをやろうとしているわけでもないんです。
(J-WAVE『GOOD NEIGHBORS』/2018年 トークの全編はコチラ)
なるほど。作家たちが着目するのは、必ずしも個性に富んだ人ではなく、ごくふつうの人であり、彼らがふっと露わにする“変なところ”に「人の心が動く要素がある」というのです。この話から思い出されることがあります。それは『日々の泡』などで名を知られるフランスの作家ボリス・ヴィアンにまつわるエピソード。彼の小説が評価されたのは若い死(1959年・享年39歳)ののちのことでしたが、生前、音楽を愛しジャズを愛したヴィアンが格別に心を寄せた映画がありました。それは映画作家ジャック・タチが監督・脚本・主演をこなしたフランス映画『ぼくの伯父さん』。ヴィアンはタチについてこんなふうに語っています。「唯一無二の作家にしてフィルムの詩人、謙虚なアーティストにして才能の塊。タチはなににも似ていない」――過激で多才なヴィアンが認める唯一無二のユニークな存在、それがジャック・タチだったというのです。
タチ制作の『ぼくの伯父さん』は、主人公の少年とその伯父・ユロ氏のほのぼのとした関係を描いた、ストーリーがあってないようなコメディー。ユロ氏は、人と違う思想をもっていたり過激な持論を振りかざしたりすることは一向になく、一般的な変人というのとはまるで違うのですが、それでいて他の大勢の人とは異なって見えます。会社を経営する少年の裕福で多忙な両親とは異なり、ごくふつうの庶民、独り者で暢気で……だけどどこかちょっと足らないというか、アパートの自分の部屋へもなぜかいつも最短距離では上っていけないようなのが、ユロ氏なのです。そんな彼のいちいちピントのずれた行動は、ユーモラスであると同時に実に健全で清々しく映ります。ギスギスした自分の家を嫌い、ユロ氏を慕ってついてまわる子どもの「ぼく」の眼差しはまっすぐで、変なことばかりしでかす伯父さんの尊さを悟っているかのよう。そんなユロ氏はまるで、町田康のいう「人の心が動く要素」の集合体のようなキャラクターなのです。
米国生まれでオーストラリア国籍、日本文化に通暁する作家のロジャー・パルバースは、その著作『もし、日本という国がなかったら』(集英社/2011年)のなかで、もし日本という国がなかったら、世界はつまらないものになっていただろうと、その豊かな伝統文化をありがたくも指摘してくれています。その上で彼は、自国のオリジナリティの乏しさを指摘する声に日本人が何の反論する術をもたないことを憂えています。その理由に関して、彼はこう語っています。日本人はオリジナリティに対して、いつのまにか誤った認識を抱いてしまったのではないか。だとすればそれは、真のオリジナリティが奇人・変人や反逆者たちによって生み出されたものであるという事実を理解しなくなったからだろう――と。
オリジナリティというものが、計算やデータの分析や作為から生まれてくるものではなく、奇人・変人と呼ばれる真に創造的なひと握りの人間の感性から生まれてくるのだとするなら、作家になる道とは、彼ら変人の感覚や思考や作法(さくほう)に分け入っていく道と重なっていくといえるのではないでしょうか。作家になることを目指すのであれば、自らが変人と化す未来を怖がってはなりません。かといって変人になることに先急いではなりません。いま求められるのは、文壇における変人たちへの憧れと尊敬を新たにし、彼らが変人ゆえに為した功績にしっかりと向き合い理解を深めることなのでしょう。
作家を目指したあなたが、いつか作家になる前にれっきとした変人になったとしても、当ブログは責任を負いませんし、それは誰のせいでもありません。ただ、そうして梯子を外されたあとに訪れる呆れるしかない開き直りの境地が、まさしく作家道へのスタート地点に立った感慨といえるのかもしれない――とだけはお伝えしておきたいと思います。
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