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文学上のテーマというと、「人生」とか「人間」とか、やたらに重々しく、それでいて書く本人以外にとっては案外ありきたりといえなくもない方向に向かいがちですが、そこにある種の偏った意識はないでしょうか。たとえば、「ファッション」なんてテーマはほとんど顧みられていないのではないでしょうか。知的なイメージをまとうことを狙い、ファッションとして人が文学に近寄ることはままありますが、元来、ファッションと文学に親和性があるかといえば、やはりなかなかそうは思えません。少し乱暴な言い方をお許しいただくとすれば、ファッション性があるならば基本的には「リア充」な状況であり、その世界は文学を必要とはしません。逆に如何ともし難い「非リア充」境遇に置かれている側は、その境遇および自身との向き合い方を描くことで、心のなかに沈む何がしかの塊を昇華(消化)せしめんとし、その結果生まれる結晶こそが文学にほかならないのです。その相容れなさを無視して文学にファッションを取り込むとなると、それは「小道具」としての役割に留まるところが大方のところ。悪いけれどそれではあまりに陳腐、文学性においても目指すべき高みとは到底いえません。
――という共通認識が多くの書き手にもあるものだから、冒頭に書いたように「ファッション」なんてテーマが文学上ほとんど顧みられなくなっているのかもしれません。まあね、しょせんファッションですから、しようがない。あなたはそう思うでしょうか。いやいや、そんな心構えでは困ります。何かの文芸誌で小さな文壇デビューを果たし、それがキッカケで舞い込んだ初の仕事が、ファッション系Webマガジンの読み切り短編のオファーだったらどうするおつもりですか。しかも反響次第では連載化も……なんて話だったら、断るわけにはいかないでしょう。かといって、ご自身の文学性を脇に追いやり、エディターの望みどおり毎回スポンサーのアイテムを散りばめるに終始するオサレ小説を書くわけにもいかないでしょう。たとえ端に「PR」の2文字がつくページだとしても、そこにあなたが書く文章は、あなた自身も納得いく文学性を備え、読者はもちろん、神たるスポンサーにも指向性をもった一作ではならないのです。それを書くのが書き手の義務。それがプロというもの。たとえいまはまだプロ作家でなかったとしても、この根性は欲しいところです。と、ここで倣うべきは、我らが太宰、太宰治です。かの文豪はファッションのテーマをしみじみと深く扱って、立派な文学として意外な成果を示しているのですから。
子供のころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。厳粛な瞬間である。その際、この子は何よりも、自分の差し出す両腕の恰好に、おのれの注意力の全部を集めているのです。絣の着物の下に純白のフランネルのシャツを着ているのですが、そのシャツが着物の袖口から、一寸ばかり覗き出て、シャツの白さが眼にしみて、いかにも自身が天使のように純潔に思われ、ひとり、うっとり心酔してしまうのでした。
(『おしゃれ童子』/『太宰治全集3』収録/筑摩書房/1988年)
太宰治のごく短い短編『おしゃれ童子』は、子どもの時分からおしゃれへの関心ただならず、人生折あるごとに並外れた熱意で装いを凝らしてきた主人公の、少年期から青年期の姿を描いています。彼のおしゃれへのこだわりには尋常ならざるものがあります。何しろ、小学生にして袖口から覗くカフスの幅や目の覚めるような色の効果を計算し、ボタンの並びや襟のデザインを独自に考案し、胴の辺りをきゅっと細身にしたいがため、凍死も恐れず余分な防寒シャツは断固脱ぐ――といったありさまなのでした。それなのに、彼の服装のすばらしさや感覚の斬新さは、誰にも賞賛されないばかりか、よそよそしく顔を背ける者まで出る始末。常人の理解を超えたマニアとは、どのジャンルでもいつの時代も淋しい思いをさせられるもののようですが、理不尽極まりないこの成り行きに、さて少年はどうしたでしょう――?
少年も、その輝くほどの外套を着ながら、流石に孤独寂寥の感に堪えかね、泣きべそかいてしまいました。お洒落ではあっても、心は弱い少年だったのです。とうとうその苦心の外套をも廃止して、中学時代からのボロボロのマントを、頭からすっぽりかぶって、喫茶店へ葡萄酒飲みに出かけたりするようになりました。
(同上)
こうして少年はやさぐれました。太宰の随筆(私小説ともいわれる)『服装に就いて』を読むと、彼自身「ほんの一時ひそかに凝った事がある。服装に凝ったのである。弘前高等学校一年生の時である。縞の着物に角帯をしめて歩いたものである」(『太宰治全集4』収録/筑摩書房/1988年)とあり、少年主人公像には太宰自身の性情が投影されているとわかります。青年太宰本人の顛末はというと、東京へ出たとき、我ながら粋と抜かりなく整えた装いで飲み屋に出かけ、これまた粋な東京弁で弁舌振るったところ、店の姉さんに明るい笑顔で「兄さん東北でしょう」と手もなく見破られて、憤怒とともにファッションへのこだわりを擲(なげう)ったのだといいます。
一見すると、『おしゃれ童子』も『服装に就いて』も、ファションという一種の独り善がりを見限った太宰のアイロニーとも受け取れますが、どうもそれほど単純な話ではないとも考えられます。そもそも小説を書く人たちは“嘘つき”です。もちろん自らの体験も材料にしますが、脚色と称してさまざまな虚偽を塗りたくります。随筆を書くにしても、おもしろおかしく色づけせずにはいられない性(さが)。逆にそれなくして小説家は務まりません。あたかも事実のように見えるひとつの出来事が、事実とは似て非なる話にすり替わるなど日常茶飯事で、小説家とはそういう因果な人たちなのです。
事実、小説が売れるようになって、銀座などへ繰り出す太宰はどこから見ても洒落者であり、着物の着こなしにしても粋、服装に無頓着な人とは到底見えません。自らの装いにとことんこだわる性癖は、東京弁に隠した津軽弁を見抜かれたぐらいで放擲されるものではないはず。つまり、太宰はファッションへの自分なりの美学を終生もちつづけたに違いないのです。では、『おしゃれ童子』が単なる洒落者への揶揄でないとするならば、この作品とファッションの関係とはいかなるものなのでしょうか。
ファッション、おしゃれといったことに、なぜ人は、それこそ血道を上げる勢いで取り組むのでしょう。安価なファストファッションが席巻する世の中にあっても、結局はそれを大量かつ高頻度で買いまわすわけですから、多くの人が給料の少なくない割合をファッションにつぎ込んでいるのは、いまもむかしも変わりがないように思われます。自分の装いを人の目に晒すということは、自己顕示の一種です。自己顕示――。はい、もうこの4文字だけで充分にドロドロしたものを感じます。文学の芳香がほのかに漂いはじめます。この流れに乗りたたみ掛けていくと、自己顕示とは自意識や自我性に直結します。それは人間の本質へも直結します。もはや完全に文学の世界です。他者にまず見せておきたい自分と、他者には絶対に見られてはならない自分との、せめぎ合いの軍事境界線。服一枚の表と裏の狭間に潜む精神の揺らぎや動きを描くことは、まさに小説の真骨頂といえるのではないでしょうか。
ファッションはひとつの芸術には違いないですが、その佇まいは芸術道とはどうも趣が異なるようです。ファッションと一語でいえど、芸術性を追究するオートクチュールのコレクションから、ワンコイン以下のシャツまで幅があります。しかしファッションが他の芸術と異なるのは、その幅によるものではないのでしょう。ファッションが芸術でいられるのは、衣装単体でのときまで。正確には、モデルが着衣してランウェイを歩いているあいだまで。ある衣装が購入された瞬間、購買者がひとたびその袖に手を通した瞬間から、そこにはすぐさまその個人の精神と結びついた物語が生まれます。こうした人間との関係の深さゆえに、ファッションには人間臭さが否応なく絡みつき、独立した芸術性を減退させるのです。その割れ目に入れ替わって芽生えるのが、文学なのです。
大なり小なり他者に見られることを念頭に置いてひとつのファッションがチョイスされるわけですから、 装いをプロファイリングすれば、自ずとその内面も察せられるものです。最新の流行に敏感なファッショニストの仲間なんだという自己顕示なのか、その他大勢とは違い自分の感覚でおしゃれしてるんだという孤高型自己顕示なのか、逆に没個性で心が安定するコンサバティブなのか。自分の感覚を頼りに選択していても、何にせよそこには客観性を失った者の滑稽さや隔絶感が漂います。太宰が描いたのは、そうした滑稽さは憎めない。必死にめかしこんで空まわりする背中にだって、いいんだよと声をかけたくもなるもの――わかりやすくいえば、そうした人間肯定の掌編だったのかもしれません。
作品の解釈は人それぞれお任せするほかないわけですが、ここまでお読みいただいた方なら、ファッションとは看過できない独特なテーマのひとつで、扱いようによってはむしろ、ひときわ深く興味深い物語にもなり得るということについては、なるほどと頷いていただけるのではないでしょうか。畢竟、「人」も「テーマ」も見かけではないのです。「ファッション」と聞けばどこか軽い響きに聞こえるのは、この業界の商業的な一側面による功罪といえるでしょう。しかし小説で取り扱う際には、雰囲気づくりに気安く扱ったり、軽んじてよいテーマではありません。いやファッションに限らず、いかにも軽々しいテーマが、これ見よがしな重々しいテーマより、よほど目覚ましい働きを見せることだってあるということです。本を書きたい、作家になりたい、そう願うのであれば、偏見を捨て、先入観を捨て、この種のテーマをあえて手に取り、あらめて深く考えてみるのもおもしろい試みとなるのではないでしょうか。
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