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「女流作家」「女流詩人」などと呼ぶと、もう立派な差別と受け取られる世の中となりましたが、一方、女性であるからこそ生み出された創造物があるのだって、事実。というより、彼女らは、時代に少なからず抑圧され、しかも女性という立場であったからこそ、その当時としては一風変わった発想の芽が吹き、一風変わった詩なり小説なりを書き、いつしか時代や世紀の輝ける星として伝説的な存在になり得たともいえましょう。念のため断っておきますが、その前時代的な世相や環境を懐古あるいは賛美し、時代に逆らえと唆しているわけではありません。
性差に限らず、どの時代にも何がしかの差別、あるいは抑圧とまではいわないような慣例や因襲は無数に存在し、個々人それぞれの心理に存外強く働きかけるものです。しかしそのしぶとく粘りのある流れに抗い、天才の花開かせる人たちがどの時代にもちゃんといます。それがアーティストであり、作家です。作家の本分とは、もしかしたら文章がうまいとかおもしろい小説を書けるとかそういうこと以上に、この“抗する精神”において量られるべきものなのかもしれません。今回はそうした自らの置かれた環境の壁をブレイクスルーし、比類ない発想力や語彙の持ち主となった人物の背景を探り、作品から何ごとかを学んでみたいと思います。
「目に見えないものを信じる」という心を抱きながら、56年の生涯で1700篇もの詩を遺したのは、19世紀アメリカの詩人エミリー・ディキンスンです。現在の評価でこそ、そのユニークな存在感が認められ、天才詩人などとも謳われますが、生前に発表されたのはわずか7作に留まり、死後も20世紀に至るまで毀誉褒貶甚だしい詩人でした。
その理由としては、現代詩などまだ存在していなかった時代においては、ディキンスンの詩が伝統的な詩の形式に反してあまりにも型破りであったから。おまけに出版時、その本質が一顧だにされない編集が加えられたためです。それゆえ、彼女の個性は欠点として晒されることになったのでした。けれどもおもしろいのは、ディキンスンの詩は何度もその改訂版が世に出たという事実です。要するに、形式や文意に看過できないと思われる“欠点”を内包していたとしても、彼女の詩の圧倒的なユニークさ、誘引力には、一際優れたものがあったということなのです。これぞ“本物”が見せる底力なのでしょう。
エミリー・ディキンスンが生を享けたのはアメリカ・マサチューセッツ州、1830年のことでした。ピューリタン(清教)運動が盛んになった土地で、エミリーは洗礼を頑として拒みました。16、7歳のころのことで、個人の強い信仰心や主義主張へのこだわりというよりも、若い純粋さからであったかもしれません。結果として女学校退学に追い込まれ、傷心のエミリーはやがて思想家で詩人のラルフ・ウォルド・エマソン(1803〜1882年)の著作に出会い、たちまち心酔することとなります。エマソンは個人の無限性を唱える超越主義の中心的存在でしたが、目に見えないものを信じる心を説くその思想は、エミリーに精神と信仰の自由を刻印しました。そして、以前から取り組んでいた詩作にいっそう強く打ち込むようになったエミリーは、やがてエマソンからも離れて独自の詩の境地を見出していきます。
ひとりの心が挫けるのを途中で抑えることができれば
私は無意味に人生を送ってはいないでしょう
ひとりの生の痛みを除くことができれば
ひとりの苦しみを冷ますことができれば
一羽の気を失った駒鳥をまた巣に返してやることができれば
私は無意味には人生を送っていないでしょう
(川奈澄訳『わたしは誰でもない エミリ・ディキンスン詩集』風媒社/2008年)
考えてみれば、ディキンスンとは逆、つまり“目に見えないものは信じない”というのは、この上なく頑なな姿勢です。そのような基盤に、想像力が働き自由な創造物が生まれるかといえば、あり得ない、と思ってしまうのもむべなるかな。やがてディキンスンは、死は終わりや無ではない――と信じるようになりましたが、それはスピリチュアルな思想というよりは、自由な創造性が終局に行き着いた“はじまりの場所”の境地ではなかったでしょうか。「目に見えないものは信じない」という姿勢を捨てて、自身の内面世界に向き合っていくこと。それでこそ初めて「目に見えないもの」が見えてくるのではないでしょうか。
小石はなんてしあわせなんだ
道路に独り ころがって
仕事のこともきにかけず
衣食住に欠くも恐れず
その天然の茶色の上衣
通りがかりの宇宙が着せた
ひとり立ちして 太陽のよう
仲間と和すも 独りっきりで輝くも
さりげなく 素朴に
天命を果たすも
(岩田典子『エミリー・ディキンスンを読む』思潮社/1997年)
ディキンスンの詩の特徴は、一風変わった語彙と、現世とは別の世界を描くような幻想性だといわれます。しかし、現代の日本で詩人になりたいと志すのであれば、あるいはひとりの詩愛好家として彼女の詩に触れるなら、味わうべきは、旧弊な社会・世界から解き放たれ精神の自由を得た者の、清新な生き方を見つめようとする意識なのでしょう。生前評価されなかったからといって、エミリー・ディキンスンが時代を間違えて生まれてきたとはいえません。前述のとおり、生まれた時代、土地、そして女性という性は、たとえそれに手を焼くことになったとしても、詩人ディキンスンが生まれいずるためには天の賜物であったといえます。畢竟、彼女の作品が伝えるのは、メッセージというような直截なものではなくて、何ものにも囚われない自由な精神が遊ぶ世界。あえて言います。エミリー・ディキンスンという“女性詩人”。その作品は、詩を書くためのまっさらな心を知るきっかけをあなたに与えてくれるに違いありません。
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