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三十路になり、四十路を過ぎ、五十路に至り――いまはすっかり大人になってしまった人たちにも、当然ながらかつて若い時代がありました。内容には千差万別あれど、その“季節”は誰もに等しく公平に与えられていたはずなのです。でも、世間の波に揉まれながら年を重ねるうち、ほとんどの人は自分が青年であったことを「過去の記憶」としてしか認識しなくなります。そんな時代もあったなぁ、もうあのころの気持ちは取り戻せないよ――と。しかし、そう落ち着き払ういっぽうで、当の本人はときどき心が疼くことも知っているのです。若かった時代の思いは、魂は、消え失せてしまったわけではなく、無意識のうちに封印しているだけなのでしょう。あの日の若さが二度と還らないから、叶わぬことをいまさら思い知るのはつらいから、いまの暮らしぶりがどうにもあのころの自分を裏切っているように思えてしまうから――人は、青年の日々にあえて訣別しようとするのです。若いころと同じ幾許かの思いを抱いている気配を自分に感じたとき、いやいやいやもうそんな若くないんだから……とそれを認めまいとし、若者たちの物語にふと感動し魂のある部分が思わず共鳴しはじめようものなら、そのざわつきに手を当て慌てて共振を止めるのです。そう、若かりし自分はいまある自分の精神の均衡を脅かす存在。でも魂は、不惑といわれる年齢を迎えたからとリセットされるわけではない――これもまた確たる真実のはずなのに。
いつの時代も、若さを謳い上げる詩や歌や物語があります。現代のミュージックシーンに関していえば、楽曲ストリーミングサービスのダウンロード数やCDセールスのランキングは、恋愛系と青春系が二分して占有しているといっていいかもしれません。けれど、そうした流行歌だって侮ることはできません。聴く者の心の琴線をどうしようもなく震わせるものがあるからです。記憶の再現や虚構ではなく、青く若々しい魂の赤裸々な声が発せられる作品。それがあなたの核心をじかに握ってくるのです。そうした作品の作り手は、若さが実は残酷で痛々しく、その“季節”に身を置く者は世の中の因習に抗いつづけなければならない宿命にあると知っているのでしょう。そんな青春の実像が、すっかり大人になってしまった者たちの内部に眠る領域を震わせるのです。
ミュージシャンの尾崎豊は、1992年の4月25日に世を去りました。26歳の早すぎる死。ある意味で伝説となったその存在は当然のように数々のエピソードとともに関連書に綴られ、それら記録を辿ると、1983年のデビューから8年あまりの短い活動期間のほとんどを、彼は苦悩とともに過ごしたようにも見えます。天才と呼ばれるような人たちの苦しみや葛藤は、もとより余人には知りようもありません。ただ、尾崎豊の墓標に刻まれた言葉――生きること。それは日々を告白してゆくことだろう――は、表現することとはその身を削ること、そして表現できないこと創り出せないことは、クリエーターにとって死にも匹敵すると語りかけてくるようです。デビュー以降ずっと彼をサポートしてきた音楽プロデューサーの須藤晃氏は、そんな尾崎の実像に迫るインタビューや著作をいくつも発表していますが、氏は尾崎のアーティスト活動に留まらず、人間・尾崎豊としての苦悩をもっともよく知る人物であったといえるでしょう。尾崎の魂に触れるこんな一文を書いています。
尾崎豊の歌は初めから人生の哀れを感じさせた。どこか金属的な重い成分を含んでいた。命のうずきというか、生きることで産まれる痛みというか、傷口のようにひくひくと動く感じがした。彼はまだ教養も浅く欲望をかかえきった若さで表現の場を与えられて、混じりけのない純粋さとともに、分別のなさや劣等感や迷いや薄っぺらさや下品さや、通常は他人には隠しておきたい心の一面をさらけ出した。闘う自分の恥をさらすように描いた。
(須藤晃「『卒業』の輪郭――尾崎豊について」新潮社デジタル版『波』刊行記念特別寄稿)
https://www.shincho-live.jp/ebook/s/nami/2012/05/201205_06.php
学校(体制)への反逆を露わにし、己の魂と対峙しながら、社会と大人たちを地上すれすれの視点から見つめつづけた尾崎豊。彼は、若さのなかにあってすでに、普遍的な人間の悲しみ、生きることの苦しみに気づいていたのでしょうか。大人たちは、自分のなかに湛える悲しみをさも悲しくないかのように言い繕い、苦しみにも見て見ぬふりをします。けれど若い魂は、誤魔化すことも見ぬふりもできずに傷を負っていく。尾崎豊が歌い上げたのは、そんな魂の叫びであったのかもしれません。
米国の詩人アレン・ギンズバーグはビートニク(ビート・ジェネレーション)のスター選手でした。常識や社会的な規範に囚われない自由な創造的方向性を叩きつけるがごとく示した彼の詩は、のちのロック・ミュージックを生みました。そう、ボブ・ディランもジミ・ヘンドリックスも、彼の詩からはじまったのです。
時を超えた永遠に一票を投ずべく 屋根から腕時計を投げ捨て 目覚まし時計がその後十年毎日 頭に落ちてきて、
三回続けてリストカットに失敗し、仕方なく骨董店を開くことを強いられ ここで老いていくのだと思って泣き、
マディソン・アベニューで無垢なフランネルのスーツ姿で生きたまま焼かれ 鉛の詩文の砲撃 流行の鉄の連隊のカタカタ満タンの喧噪 広告の妖精たちのニトログリセリンの悲鳴 悪意ある編集者たちのマスタードガスに埋もれて あるいは酔った絶対現実タクシーに轢かれて
(アレン・ギンズバーグ作・柴田元幸訳『吠える』スイッチパブリッシング/2020年)
1997年に70歳で他界したギンズバーグは、死のそのときまで反逆精神を失うことはありませんでした。ギンズバーグはゲイであることを公言していましたが、なんたって肝臓がんの末期的症状にあって、少年と寝る詩(『死と名声』)を書いているくらいなのです。それを単に異端の翁の戯言と見るか、若かりし時代の魂を変わらずもちつづけた証と見るかは、人それぞれでしょう。ただ、彼の初期の代表作『吠える』から、晩年の詩までの全体を見渡すと、己と社会に対して率直で、それゆえ生じる摩擦への抵抗も諦めず、みずからの生の赴くところへ向かっていったギンズバーグの一貫性が見出せます。自分の力を信じ流れに逆らって泳ぎつづけるように、彼の若い魂は「時を超えた永遠に一票を投ずべく」叫びを挙げつづけました。剥き出しの激しい言葉で自分自身をも痛めつける真の反逆の詩は、無軌道な生き方や野放図な唯我独尊性から生まれてくるものではなく、自分も含めた何者かとの闘いの果てに生まれいづるものなのでしょう。もしも尾崎豊が夭折せず生きつづけていたならば、ギンズバーグのように、老いのなかから反逆精神を発揮してみせたでしょうか。いえ、なかなか想像できません。そんな戯れの夢想すら許さぬところもまた、彼が伝説たるゆえんなのかもしれません。尾崎豊は、1992年4月25日の未明に見知らぬ民家の軒先でひとり突っ伏して死にました。ただその事実があるだけです。そしてその庭は、かつての彼の生家とどこか似ていたといいます。
音楽家になりたいあなた、詩人になりたいあなた、作家を目指すあなた、真のクリエイションを志すなら、ああ、おれも年とったからな――などと老成ぶってもなんの得もありません。若き日の精神、記憶を何とも引き換えることなく胸に抱きつづけるからこそ外界との軋轢が生まれ、その摩擦熱こそが創作の起点となり、詩人や作家としての道を切り拓くものなのです。若かった己の魂がいったい何を叫んでいたか、目を瞑り静かに耳を澄ましてみましょう。そして、いまの自分の心のなかをもう一度探ってみましょう。居心地の悪さに襲われてもすぐに目を開いてはなりません。だってほらその心の暗がりに、若い日と何も変わらぬままそっと息をしている自分が見つけられるはずなのですから。
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