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泉鏡花(いずみ・きょうか)という、華やいでキラキラして、そのくせ翳りがあって、要するにいかにも文豪らしい名前をもった文豪がいます。明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家ですが、予備知識がまったくなければ男女の区別もつかないその筆名のネーミングセンスたるや、令和となったこの時代にもまったく色褪せることなく艶を保っているように思えます。
そんな泉鏡花、本名は鏡太郎といいますから、ふと気づけば、ごくありふれた名「太郎」を「花」に入れ替えただけのことではありますが、これを単に軽いシャレと見るか、鏡花自身が文士たるべく心映えと美意識をこの名に託して文学を志した――と見るかで、むしろこちら側の審美眼こそが厳しく格付けされるようにも思えます。事実、鏡花は小説家として、その筆名にも文豪という称号にもなんら見劣りするところはありません。それどころか、作家になりたいと大志を抱くなら、その作品を読み文章を学ぶべき筆頭候補なのです。なぜならば、多くの作家が口をそろえます。そう、かの美文家・三島由紀夫も、中島敦も、河野多恵子も、日本人として生まれたならその世界を知るべきは鏡花文学であると。そんな鏡花文学の真髄とはなんであるのかといえば、それは「日本的情緒」と妖しい美を現す「幻想世界」。では、そうした作品世界を成立せしめているのはいったいなんなのかといえば、鏡花が魅せる「修辞技法」の粋(すい)なのです。
小説を書くとき、誰もが意識的にも無意識にも「修辞技法」を用います。軽く解説を加えておくと、「修辞技法」とは、文章に豊かさを与え効果を高める技法全般を指します。こなれた方なら「レトリック」「文彩」などと呼んだりもするでしょう。比喩もオノマトペも倒置法も反復も押韻も体言止めも、つまり修辞技法です。料理でいえば、作品のテーマやモチーフが「食材」に相当します。それを生かすも殺すも、包丁さばきや煮炊きをはじめとする料理人の「腕」次第ですが、それが小説創作の世界における修辞技法と考えればわかりやすいでしょうか。いうなれば修辞技法を制すことは、すなわち小説世界を制すこと。これはあだおろそかにはできませんね。
志はめっぽう高いけれど経験はさほどでもない作家予備軍にあって、注意しなければならないのは、修辞技法を安易に扱いがちになる、ということ。しかも気づかぬうちに、あるいは気を利かせたつもりで。物語のアイデアやテーマや構成力、小説を書くために大切なことはいろいろありますが、読み手を唸らせる文章になるかどうか、そこで重要となるのが修辞技法の用い方なのです。たとえばこんな文章があったとします。
彼女が、こちらが驚くような突然さでぴたりと立ち止まった。振り返ったその笑顔は春の陽光のよう。私の胸は、陽ざしが地面をあたためるように、ほんのりと優しいぬくもりでいっぱいになった。幸福感。これこそ幸福感というものだと、私は青空に、いや世界に向かって叫びたくなった。
比喩に体言止めに反語と、ここにはふんだんに修辞技法が用いられています。ですが、その効果はもう一歩、いや二歩三歩……。文章がひとつひとつ浮いてしまって、一体感に欠ける印象は否めません。ディテールを見てみましょう。「驚くような突然さ」は、「私」がそう感じただけのことで、読者には一切の驚きが伝わってきません。「春の陽光」は笑顔を修飾するにはありふれているし、「陽ざしが地面をあたためる」も「優しいぬくもり」を修飾するにはストレート過ぎて、それら一体で「幸福感」を表現するにはいささか新鮮さに乏しく、読み味が変わるほどの比喩であるとはいえません。最後の「青空に、いや世界に向かって〜」に至っては、読者はすっかり鼻白み、なんのこっちゃと置き去りにされるばかりでしょう。
修辞を安易に扱うとこのように冴えない結果に終わりかねないのですが、小説家になりたいと文章磨きに精を出す多くの人が、もったいないことにこうしたレベルに留まっているのは事実なのです。いたずらに修辞を用いるのは、小説書き誰もが初期に罹る麻疹(はしか)といえなくもないのですが、やはりどこかのタイミングでその症状をおさえないことには、読み手の目に留まる文章はいつまで経っても書けるようにはならないのです。上の例文の過ちはどこにあるのでしょうか。欧米の諺に由来する「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、前掲の文章はまさにそれにあたります。一文一文を表現する(飾る)のに忙しく、物語のワンシーンとして、その世界を位置づけ描く意識に欠けているのです。と重々しく指摘したところで、いよいよ鏡花先生にご登場いただきましょう。
泉鏡花といえば『高野聖』。1900(明治33)年に発表された鏡花の代表作です。そのなかで彼は、鬱蒼として湿り気を帯びた森のなかに息を潜めて獲物を待つ「妖鬼の世界」を描いています。主人公「私」は、旅路の一夜、道中で知り合った高野山の僧侶から若き日の体験談を聞かされます。それはある旅の途の出来事――山中に迷い蛇や山蛭に弄ばれて這う這うの体で僧侶が辿り着いたのは一軒のあばら家。そこには見るも妖艶な女がいて、傷ついた僧侶を手厚く世話します。あたりが桃源郷に姿を変えたかのごとき幕間のひととき、女の濃やかな(こまやか)もてなしに僧侶は酔い痴れ心乱します。しかしその美しい女こそが、旅人の魂を奪う妖魔だったのです――。おぞましく、それでいて読む者に憑りついて離れない幽玄世界。それが『高野聖』の世界です。
私は思わず恐怖の声を立てて叫んだ、すると何と? この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒な痩せた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。
草鞋を穿いた足の甲へも落ちた上へまた累(かさな)り、並んだ傍(わき)へまた附着(くッつ)いて爪先も分らなくなった、そうして活きてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮(のびちぢみ)をするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。
この恐しい山蛭は神代(かみよ)の古(いにしえ)からここに屯をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛(なんごく)かの血を吸うと、そこでこの虫の望が叶う、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違ないと、いや、全くの事で。
(泉鏡花『高野聖』/『ちくま日本文学全集 泉鏡花』所収/筑摩書房/1995年)
道もない山中で山蛭に襲われた気も狂わんばかりの一幕は、こう描写されています。飾り気のない修辞技法は文章に溶け込み、おどろおどろしい情景を構築して読み手の心臓を恐怖の槌で打ち鳴らすかのよう。細部には実体あるものへの観察眼が息づいています。「真黒な痩せた筋の入った雨」がぼたりぼたりと垂れる蛭とは……。その地獄絵図ともいうべき情景がありありと眼に浮かんできますし、その蛭に体中を覆われていく画もおぞましいことこの上ありません。さらにこの文章で注目すべきは次の段落、我が身を見舞う禍々しいありさまに、現世(うつしよ)を離れていくかのような僧侶の想念がクロスフェードして重ねられている点です。これぞ文章芸術、ひとつの情景が迫真的で豊かな修飾をまとった、修辞技法の粋といえましょう。
小説を書くに欠かせない「修辞技法」。どんなものも単に飾るだけなら容易であるように、文章も手軽な飾りつけで許されるのであればわけもないことです。しかし、読者はそう甘くはありません。貴重な時間を費やし、「読む」という労力をも厭わず作品に向き合うからには、相応の見返りを求めて来るのは当然といえば当然です。ぺらぺらな修辞で飾った文章を見て、なんとなくモノになった感じがする――と思うのは書き手本人だけなのです。本を書きたい、作家になりたいと目標を高く掲げるのなら、文章芸術とはいかなるものかを考えながら、精緻な絵を一筆一筆描き上げていくような細心さをもって取り組まなければなりません。お上手な文章が人を惹きつけるのではありません。一本の木、そのまた一枝から離れて森を見ることを忘れず物語を創り上げていくこと――そうした意識のもとに描かれた作品こそが、冴え渡った修辞技法が鏤められた小説として読み手を魅了するはずなのです。
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