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一般的な社会通念において、大人は子どもを教え導く役割を担う存在として想定されるものです。では逆に大人たちは、子どもたちをどのような存在だと考えているものなのでしょうか。未熟な存在? 無知? 繊細? 庇護が必要? 確かに子どもは生きてきた時間が短い分だけ、経験に不足している面はあるかもしれません。しかし「教育」という点で考えるならば、とりわけ思慮深い見方が求められるようにも思われます。大人側からすると、子どもとは数字でいえば「ゼロ」で、そこにひとつひとつ知識や経験が加わっていくことで、大人たる成長があると考えがちです。けれど、あまり意味のない経験や知識を重ねたところで、その蓄積になんの重要性もないでしょう。具体的に誰がどうのという話ではなく、例え話として極端なことをいってみれば、ヘタすると大人のなかには、不要物ばかりを積み重ねただけの人物だっているかもしれません。であれば、ゼロのままのほうが断然いいといえるはずなのです。
では、今度は視点を入れ替えて、子どものころの「100」の純粋さをひとつひとつ減らしたところを、月並みの経験と知識の数字で埋め合わせてきた、それがおおかたの大人であるとしたら? ちょっとゾッとしませんか? 実際にはどのような経験も糧になるはずですし、こんなふうに1か100かみたいな論で語ることができるはずもないのですが、でもこうした視点――子どもとは、何かを満たしていない存在なのではなく、混じり気のない純粋さだけが満たされた大人であったとしたら――は、絵本や童話などいわゆる「子ども向け」としてくくられるジャンルの創作では必ず求められるアプローチの仕方です。命の大切さ、友情の大切さ、食べ物の大切さ……示唆に富んだといえば聞こえはいいですが、子どもにこうした大切な何かを教えようと、「教える」の姿勢むき出しで創られる絵本作品は決して少なくありません。ついつい大人が陥りがちなそうした創作態度を改めるべく、読み手である子どもに対し、もっと謙虚に、その存在の人格をちゃんと認めるところからはじめようというのが、本稿の趣旨となります。
作家になりたい、さらいえば多くの子どもに長く愛される絵本を描きたいと志すならば、子どもの日の自分を知ることは大切です。その当時の私たちは、見も知らずの大人に厚かましく「教えてあげましょう」と言われなければならないほどに、幼稚な考えだけを巡らせて日々を過ごしていたのでしょうか。ひとつひとつの行動に、思考と結びついた動機はなかったでしょうか。いいえ、そんなことはないはずです。常識や忖度や私利に囚われないかつての自由な思考は、風車のようにくるくると軽やかにまわりつづけて、それがあなたを行動へと導いていたはずです。思い出そうと思って思い出せる知覚能力ではもはやないのかもしれませんが、少年少女の日のあなたは、大人たちには見えないものが、見えていたのではないですか?
たとえば宮沢賢治が描く童話に、子ども向け大人向けの区別はないはずです。もとより、読む者に何かを教えたいという意識が賢治にあったかどうかすら、疑問に感じます。もし賢治が、人に何かを教えよう、目を啓かせようと使命感いっぱいで創作していたとしたら、その作品からは、現存する作品が湛える魅力――不思議できらきらとしたもの――が失われていたかもしれません。自分のなか、人間のなかの純粋さを愛おしんで童話や絵本を書く――それが、彼のような童話作家の物語を書く姿勢の核心であるはずなのです。
見習うべき作家は宮沢賢治だけではありません。次に取り上げる名手の名は、谷内六郎。1981年に59歳で没するまで昭和日本の風景を描いた作家です。いわゆる「本業」ということでいえば、画家になるのでしょうが、よい文章を書き、何冊もの画文集を遺しています。その絵は「週刊新潮」創刊から亡くなるまでの25年間に亘り表紙を飾っていましたから、見覚えのある人も多いでしょう。谷内の死後、アトリエから未発表の絵とそこに添える文章が見つかりました。本制作に入る前に描(書)かれるようなアイデアの断片ではなく、こつこつと書き溜められたことがわかる遺稿です。少年時代の歩みをみずから辿りながら折々の記憶を蘇らせたそれらは、谷内にとってもっとも大切な作品になるはずだったろうと察せられます。彼の死後、それら作品は無事に『北風とぬりえ』と題した一冊にまとめられることになりました。
『北風とぬりえ』には、谷内自身の少年時代の記憶と空想が絵と文で綴られています。こういう見方をするのもまた大人のいけないところといえそうですが、純粋に作品を楽しんだあと、さらに外側から客観的にこの作品に触れてみると、好奇心という言葉など知らぬうちにも、子どもは日常に鏤められたいろいろなものに目を留め、物語を創り出したり別の世界に遊んだり恐怖をふくらませたりするもの――ということを説得することなく強く突きつけてくることに気づかされます。誰もが知る『大きな古時計』という童謡がありますが、柱時計を見上げて振り子の刻む音を数え、鳩の出てくる窓からいつか鳩ではないものが顔を出すんじゃないかと期待してみたり、天井の節目から何か恐ろしい存在がチラと覗いた気がして、布団に潜り込みどうしたら退治できるかとあれこれ思案してみたり……。
子ども時代のあなたの目を奪ったものは何だったでしょうか。澄んだ輝きを放つダイアモンドでもなければ、華やかな女優さんの笑顔でもなかったはずです。それはありふれた万華鏡やチラチラと光る雲母を含んだ石、虹色の光を返す浜辺に転がる二枚貝のカケラ、迷路のように複雑でありながら幾何学模様の葉脈で魅せる落ち葉であったりしたはずです。現代の子どもたちは、環境的にそうしたささやかな奇跡から遠ざけられているかもしれませんが、だからといって彼らが日常の宝石に目を留めないとは限りません。『北風とぬりえ』には、多くの人が共通にもつそんな原風景――子ども時代のとるに足らない美しい記憶――が小さな物語となって編まれています。暗闇にぽっと浮かび上がる公衆電話ボックスで、姿の見えない何ものかが電話をかける『夜の公衆電話』。工場で電球のなかにフィラメントを取りつける作業をしながら、厳かなクリスマスの空想に胸躍らせる『虹色のタングステン』。『北風とぬりえ』には、こうした小さないくつもの物語が宝物のように詰め込まれているのですが、谷内自身である「虫郎」という主人公は、自由な空想世界に揺蕩(たゆた)いながら、いっぽうで大人たちをじっと見ています。それでいて批判や反抗心などかけらもないその眼は、透明なものをどこまでも見通すように純粋です。
谷内六郎は『北風とぬりえ』にこんな一文を添えています。本編とは異なり、大人としての創り手の心得ともいうべき言葉です。
ここに出てくる虫郎という少年は、まぎれもない僕自身です。
現実は、もっときびしいものでありました。
しかし自分を今、あまりにも痛々しい場におくのは、
もすこし年をへてからにしたいと思いました。
僕の生まれ育った時代背景、
その環境、そして、
どんな子にもその内に秘められた可能性、
燃えるエネルギーがあること、
また不思議な感覚性で大人を見ていること、
それをぼくの体験でかたりかけたかったのです。
(谷内六郎『北風とぬりえ』/天野祐吉作業室/2011年)
幼児にひらがなや数字など人類がもつ「知」の部分を教えるのはよいとしても、また風紀上、情緒教育上好ましくない内容を避ける必要はあるとしても、絵本や童話を描(書)こうというとき、ことさらに「子ども向け」を意識してはいけません。『北風とぬりえ』の虫郎が透徹な眼差しで大人たちを見るように、どんな子どもも大人が示す態度、姿勢、言葉を、驚くほどに静かに見つめています。おそらく彼らに先入観などないはずなのですが、その分だけこちらに向かう眼差しはまっすぐです。大人が発するメッセージに濁りや淀みが見えれば、すぐさまそれを見抜いてしまいます。だからこそ、子どもという存在を一個人として対等に見たとき、その人間性を最大限に尊重し敬意を払う必要があるのです。子どもを教え導くという使命は重く尊いもの。あなたの作品が、子どものなかの「純粋な大人」を健やかに育んでいくことをイメージしてみましょう。その意識のもと絵本や童話の創作に取り組んでみれば、これまでとはまた違った持ち味を作品に封じ込めることができるかもしれません。子どもたちは皆「小さな巨人」。創り手を考えさせ、じつにさまざまなことを教えてくれる大きな存在なのです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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