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純真な瞳をきらきら輝かせていた子どものころ、それはある意味で実験の繰り返しの毎日でした。お土産のアイスクリームに保冷剤のドライアイスが入っていれば、アイスそっちのけで白い煙を立てて遊んでみたり、冬には水を張った空き缶を玄関先に置いて凍らせてみたり、ナメクジがいれば塩をかけて観察してみたりと、遊びとも実験ともつかぬことをした経験は誰にでもあるはずです。中学生にもなれば理科の授業で実験らしい実験がはじまり、水溶液の満ちたビーカーに銅板を差し入れたあとに起こる現象が私たちを驚かせてくれたものです。教師の言説を裏づける実験結果に大きなリアクションを見せるとは、ああなんと無邪気だったことか……。それは代わり映えのない日常のなかで、未知なる知識の扉を開く感動的な体験であったはず。しかし大人になったいま、ふつうに暮らしていれば実験的感覚とはほぼ無縁です。と、ここで大きく頷いてしまったとすれば、それは大きな間違いです。だって実験なくして、発見も進歩も変化も学習もないのですから。まあ世の中全員がそろって四六時中実験的生活をしていては社会もまわらないのでしょうが、少なくともあなたが作家になりたいと夢抱く人でありながら、過去数年のあいだに自らの実験的試みの記憶がないとすれば――これはもう自分の不明にザーッと青褪めなくてはいけません。小説を書くにも詩を書くにも、実験的要素のない創作は、単に王道や先人の成果の模倣に過ぎなくなってしまうのですから。
そもそも小説を書くこと自体がひとつの実験であるわけですが、小説界にはさらにその上を行く「実験小説」と呼ばれるジャンルが存在します。筆一本で人跡未踏の地を探索しようというこのチャレンジングな創作の定義は二通りあり、ひとつはフランスの小説家エミール・ゾラが提唱した、登場人物を一定の条件下に置き、その行動・思考の流れや社会の様相を科学的な分析視点をもって描いていこうとするもの。たとえば、正反対の意見をもつ者同士が法整備を命じられたとしたら……、他者との接触のない環境で長期間過ごしたら人の心身にはどのような変化が起きるか……といった具合です。もうひとつは、前衛的な手法を用いて構成・構築された小説を指します。古代ギリシアの詩人ホメロスの『オデュッセイア』とのリンクを試みたジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』などは、その代表格といえるでしょう。しつこいようですが、小説に実験がなければ変化もないわけで、そうすると進歩など具わりようもあり得ません。実験的な要素も見られず、当世においてすら埋もれてしまう小説が、のちに評価され後世に残るはずがありません。ゾラやジョイスの名が今日いまだ廃れていないことの意味と理由を考えるとき、未来の小説家は常に実験精神の火を心に灯さなくてはならないと気づくべきなのです。
「実験」と聞いてなにも身がまえることはありません。まずは先人に学べばいいのです。ここに実験小説の真髄を見るのにふさわしい作品があります。戦後の日本文学における実験小説の最高峰といってよい一作、武田泰淳の『ひかりごけ』です。前衛的手法の産物であると同時に、極限状況下で起きた実際の事件を物語の核にもつこの小説は、ゾラのいう実験小説の特質ももちあわせています。のちに小説にちなんで「ひかりごけ事件」と呼ばれるようになったその事件は、1943年、陸軍の徴用船が真冬の知床岬沖で座礁したことから起きました。船長以下4人の乗組員は陸地に辿り着きましたが、あたりは「食物」の二文字とは無縁の雪と氷に覆われた世界。2か月後、ただひとり船長が生還を果たしますが、少なくともひとつの遺体を口にして生き延びたことが発覚します。その後事件は裁判へと発展するのですが、刑法に「食人」に関する規定はなく、船長には死体損壊の罪で懲役1年の判決が告げられたのでした。
八蔵 おめえにゃ見えねえだ。おらには、よく見えるだ。
西川 おめえの眼の迷いだべ。
八蔵 うんでねえ。昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるんだと。
西川 (焚火の傍へ走りもどる。光の輪、消える)そったらこた、あるもんでねえ。眼の迷いだ。眼の迷いだ。
(武田泰淳『ひかりごけ』/新潮社/1964年)
小説『ひかりごけ』は、主人公の「私」がヒカリゴケを探し北海道・羅臼に赴くところからはじまります。地元中学校の校長にヒカリゴケの自生する洞窟に案内してもらった「私」は、帰途、座礁した徴用船の食人事件の話を聞かされます。事件に興味を抱いた「私」は当時の記録や資料を調べはじめ、ここからにわかに小説は実験色を帯びていきます。
調査を進める「私」は、カニバリズム(食人)をテーマとした現実の小説、野上弥生子の『海神丸』や大岡昇平の『野火』に思いを致します。フィクションのなかの人物であったはずの「私」が、読者と同じ世界に実在する小説について考察をはじめるのですから、これはもう「私」と作者・武田泰淳の同一化がなされたといってよいでしょう。これが大胆にして先鋭的な、小説的実験【其の一】。科学実験さながらの、フィクションとノンフィクションの融合です。
さらに「私(=武田泰淳)」は、実際の知床食人事件を戯曲に仕立てようと思い立ち、作中で事件の裁判を戯曲形式で描いていきます。これが小説的実験【其の二】。戯曲による“作中作”は、現実の事件と比しても芝居的演出の誇張がいかにも明らかな印象です。ふつうであれば、こうした心象を読者に与えることは周到に避けるはず。すでに職業作家として身を立てていた彼に、それができないはずがありません。なのに武田はここで、わざわざ戯曲という枠組みを用いました。なぜでしょう? 1980年代、パリ人肉事件を扱った唐十郎の芥川賞受賞作『佐川君からの手紙』という小説が世に衝撃を与えましたが、カニバリズムはおおかたの人間にとって嫌悪感を催す話題です。絶対的タブーの筆頭といえるかもしれません。ひょっとすると武田は、事件を作中作の戯曲で描くという、従来は見られない二重のフィクションの構造をもち込むことにより、生々しい事件を迫真のドキュメントとして提示しながらも、そこにどうしようもなく立ち昇るおぞましい臭いを和らげようと考えたのかもしれません。タブーを居直ったような態度で見せるドキュメンタリー的な手法とは明らかに一線を画すこの試みに、小説『ひかりごけ』の高次の文学性を見る気がします。
しかし『ひかりごけ』の功績は、おぞましい事件を戯曲化しデフォルメすることによって、読者の本能的な忌避感を抑えて史実を届けた――ということだけではありません。同作中でも取り上げた『海神丸』や『野火』が、作中人物に救済を与えるものであったのに対し、『ひかりごけ』は船長のみならず人間存在そのものの罪を問うて終わります。食人の罪を裁こうとする場で船長の首に光っていたヒカリゴケは、居合わせた人々にも淡く妖しい光を灯すのです。ノンフィクションを前衛手法で組み立てて迫真の裁判劇を描き、「ヒカリゴケ」という奇妙な生物によって人間の原罪を露わにした『ひかりごけ』。まさに武田泰淳ワールドの真価ここにありの一冊といえるでしょう。
ところで、『ひかりごけ』を読んでふと気づくことがあります。それは「実験小説」と「タブー」の関係。小説的タブーは、技法においてもテーマにおいても存在すると思われがちです。小説を書きはじめたばかりのビギナーがまず囚われるのは、「これって小説になっているだろうか?」という戸惑いです。前も後ろもわからない歩きはじめのもの書きが、突然に広大無辺なる小説空間に放たれたところで、まず自分の立ち位置からしてわかるはずがありません。でも、小説である以上独り善がりで許されるはずはないだろうというくらいの客観性はあるわけですから、“正解っぽい道”から外れぬよう外れぬよう優等生のごとく歩いてしまうのも無理からぬ心理ではあります。
けれど、いま一度考えてみてください。小説の執筆とはすなわち精神的な冒険であり、書き手にとっては(それが初作であればなおのこと)実験そのものなのです。実験とは、不可能と考えられていることを実現するために無数に繰り返される試みをいいます。であれば小説創作にあっては、タブー視される題材をあえて取り上げ、さらにはそれはないだろと思われる手法を通して「文学」と結びつけたいところです。創作する、小説を書くというとき、タブーを避け王道ばかりに目を向けていては、せっかくのチャレンジングな精神も鳴りを潜め一切の進化は望めません。まだ名を上げておらず、ファンに“らしさ”を求められることもない気鋭の作家挑戦者ならなおのこと、小説的実験とタブーに向き合う姿勢が重要となってくるでしょう。いつの世も「時代」とは、まだ見ぬもの、知らないもの、それでいて本当に価値あるものの登場を常に待っているからです。易きに流れぬ強い魂と実験の成果は、必ずや一冊の本として結実すると信じ、実験とタブーに正面から切り込んでいこうではありませんか。
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