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さて、いよいよあなたはペンをとり(あるいはPCを立ち上げ、スマホのアプリを開き……etc)世紀の傑作を生み出そうとしています。記念すべき一文字目、はて……どうやってはじめましょう? 書こうとしていきなり手が止まってしまう。マジメな書き手なら誰もが経験しているそんな状況を克服するために、物語の書き出し、冒頭部の書き方について考えてみます。
そこは、とある大学の創作文芸の講義。学生を前に、教授が小説の書き方を説明しています。
「諸君、小説には大切な要素が三つある。第一に読者の注意を喚起するミステリアスな話題、第二にセックス、そして三番目が宗教だ。これらをできるだけ早い段階で提示すること」
これを聞いた学生が、なるほどと思い書いた小説の冒頭はこのようになりました。
『おお、神よ!』と叫んでマリアは天を仰いだ。『お腹の子の父親はいったい誰なのでしょう!?』
── いやはや、教授の苦笑いが目に浮かびます。
これは旧いジョークなのですが、なかなか鋭いところを突いていますね。書き手としてはとにかく読んでもらわないと困りますから、何らかの謎めいたトピックを冒頭に配置し興味を引きつけておいて、先へ先へと誘導し、途中で恋愛や性の話で気分を盛り上げ、ときに箴言めいた一文を挿し込み、真剣に文章に向き合わせたりもする。そうやって、読んでいておもしろい(愉快というだけでなく、切ない悲しいなども含めて興味深い)と思わせることができたならしめたもの、その作品はきっと、最後まで読んでもらえることでしょう。
では、世界の文豪たちはその第一関門をどのようにくぐり抜けているのでしょう。いくつかの代表的なパターンを掲げてみます。
王龍が嫁をもらう日であった。寝床を囲む帳の暗がりの中で目をさましたとき、彼には今日の夜明けがどうしていつもとちがうように思われるのか、最初はわからなかった。
(『大地(上)』佐藤亮一・訳/旺文社文庫/1967年)
主人公の結婚で幕を開けるのはパール・バック作の『大地』です。といっても貧しい小作農のこと、華やかな婚礼の儀など望むべくもありません。王龍は地主の屋敷の台所で下働きをしている召使のひとりをもらうために、ひとりぼっち徒歩で出かけてゆくのです。侘しい形ではありますが、ともかく新しい生活がはじまります。このように「人生の節目」となる出来事から物語をスタートさせると、自然にその後の展開への興味を誘うでしょう。『ゴッドファーザー』をはじめ、映画にも結婚式や葬式、卒業式などのセレモニーではじまる作品が多々あります。
客はもうとうに散ってしまった。時計が零時半を打った。部屋の中に残ったのは、主人と、セルゲイ・ニコラーエヴィチと、ヴラジーミル・ペトローヴィチだけである。
(『はつ恋』神西清・訳/新潮文庫/1952年――青空文庫より)
ツルゲーネフ作の『はつ恋』です。淡泊な書き方ですが、具体的な時刻を明示したことで一瞬にして光景が浮かんできます。華やかな宴のあとの、しんと静まった部屋が垣間見えますね。部屋のなかにいる紳士たちの顔にも、気だるげな疲れの影があることでしょう。過ぎ去った青春、ほろ苦い恋の思い出を語るに相応しい空気が醸し出されています。
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
(『世界文学大系58 カフカ』原田義人・訳/筑摩書房/1960年――青空文庫より)
説明は不要でしょう、カフカ作の『変身』です。もうこれだけで掴みはオッケー! といったところでしょうか。「えっ!?」と意表を突いて一気に物語に引き込む手法ですが、ショックを与えただけでは途中で飽きられてしまいます。カフカが変身したKの様子をこと細かく描いているように、当初の驚きに見合うだけの意外性に見合った世界観で突き進むのがよいでしょう。Kやその家族にとっては、彼が毒虫になったというのはまぎれもない「事実」ですから、それに沿った彼らの「現実」を描いて読者の興味・関心を持続させるわけですね。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。
(『アンナ・カレーニナ(上)』木村浩・訳/新潮文庫/1998年)
こちらは『アンナ・カレーニナ』。さすがはトルストイ、読者をいきなり唸らせます。こうした含蓄のある文言で幕があがると、濃密で波乱に富む人間ドラマが自ずと予想されるというものです。
独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。
(『自負と偏見』中野好夫・訳/新潮文庫/1997年)
ジェーン・オースティン作の『自負と偏見』も『アンナ・カレーニナ』の冒頭と同様の魅力をたたえています。いかにも世慣れた人の発言のようですが、オースティン自身は社交的なタイプではなかったとか。しかし比類のない観察眼に恵まれており、常にメモを手放さなかったそうです。たゆみない人間観察から、人の世のエッセンスを抽出してみせるあたり、ある意味ではデータ分析の専門家の手腕を思わせます。
その女というのは男好きのしそうなちょっと見奇麗な娘であった。このような娘は折々運命の間違いであまりかんばしくない家庭に生まれてくるものである。
(『辻潤全集 第八巻』辻潤・訳/五月書房/1982年――青空文庫より)
書き手のシニカルな眼差しをありありと感じさせるのは、モーパッサン作の『頸飾り』。……おっしゃるとおり。「ですよねー」とか、「ある、ある」とか思わせた者の勝ち、ということでしょうか。こういった世間の共通認識で読者の共感を誘うというのも、登場人物への感情移入を促すうえでも効果的ではないかと思われます。
冒頭部分ではありませんが、C・S・ルイス作の『ナルニア国』シリーズにも、「○○というものは、得てして△△なのです」といった一般化した記述がしばしば見られます。同作品が奇想天外なファンタジーでありながらも現実味を失っていないのは、書き手と共同で行う的確な事実認識が散りばめられているからかもしれません。
『トム!』
返事がない。
『トム!』
返事がない。
(『トム・ソーヤの冒険』筆者訳――原文Literature Projectより)
ご存じ『トム・ソーヤの冒険』はこんなふうにはじまります。「トム、トム」と、我らがトムに何度も呼びかけているのは、養母のポリーおばさん。この箇所だけでも、トムの腕白ぶりに彼女が手を焼いていることが伝わってきますね。このように小説を主要な登場人物のセリフではじめてみると、物語の枠組みや人間関係を自然と織り込むことが可能となります。ただし、セリフのやりとりだけを延々とつづけると、展開のテンポが鈍り、かえって読者を煙に巻いてしまいます。適当なところで地の文を差し挟み、背景を説明することをオススメします。
おい、ちょっとうしろを向いてみい! なんというおかしなかっこうをしているのだ! お前たちの着ている坊さんの袈裟みたいなものはいったい何だ? お前たちの学校ではみんなそういう服装をしているのか?」こうした言葉をもって、老タラス・ブーリバは二人の息子を迎えた。
(『隊長ブーリバ』原久一郎・訳/潮出版社/1971年)
こちらはゴーゴリ作の『隊長ブーリバ』。ブーリバが帰郷した息子たちと再会する場面なのですが、彼らが聖職者風の衣服を身に着けているのは当然なのです。それを百も承知でイジるのをやめない父親。そして怒った長男と“拳固で勝負をつける”と殴り合いをはじめてしまいます。かくして、コサック特有の荒っぽさが最初のページでリアルに描き出されることになりました。
というように、名作の数だけ名書き出しは存在します。あなたの書棚に収まる本の冒頭部を横断的に見開いて、その妙味のポイントについて10でも20でもメモに起こせば、すぐさまそれはあなたの創作ネタ帖となるに違いありません。とくに、推理小説には惹きの強い一文ではじまる物語が多く見られます。書店での立読みを推奨するわけにはいきませんので、図書館に赴かれてみるのも有効な手段とお伝えしておきましょう。ぜひ、この週末に!
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