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紀行文を書く際の「別視点」

2024年10月02日 【エッセイを書く】

予定調和のない「旅」が筆を執らせる

「旅行」というと、だいたいが胸躍り心逸るものです。日常から抜け出してのんびりバカンスなどと聞けば、いかにも思いのままに過ごしている映像が瞼に映し出されます。現代の「旅行」とは、そうした非日常的な時間を過ごすことが目的となっている場合がほとんどでしょう。しかしなかには、やむにやまれぬ旅や、行く気すらなかった旅というのもあります。そんな場合は「旅行」というより「旅」と呼ぶことが多いでしょうか。思うところがあり、意を決して出るひとり旅もあれば、ふとしたきっかけや気まぐれで、あるいはよくわからない感情に衝き動かされ、ふいに出立することもあります。気づけば見知らぬ土地にいて、あれ……何でこんなところにいるんだ──と、自身でもわけがわからなかったり、目的地に近づくほどに後悔の念が強まる旅だってあるでしょう。そこまでいくと「旅」よりも「放浪」に近いのかもしれません。思うに、人をそんな放浪へと導くのは、旅路の風趣や未知との出会いへの期待ではなく、自分自身を取り巻く状況や内面的な事情に関係しているのかもしれません。ですから、旅エッセイを書いてみたいとか、紀行文を書きたいなと思った場合は、そもそもの“旅=楽しいもの、期待に満ちたもの”という、至極一般的な考え方を一度遠ざけてしまってもいいのでしょうね。

書き手として「紀行文」というものをイメージしたとき、いろいろ幅があるようでいて、案外にその傾向はおおむね一定の型にはまってしまうものかもしれません。訪れた見知らぬ土地での人との出会いやふれあい、風景への感動、非日常空間でのさまざまな発見。これら外的刺激を受け、旅人(=書き手)は新たな自分と向き合ったりもする……という具合に。旅という特異なシチュエーションにおけるレポートすべてを広義の紀行文と呼ぶならば、読み手が期待するトーンで紡がれたそれも確かに期待を裏切りはしないでしょう。様式美としての醍醐味もあります。そこに作者ならではの感受性のエッセンスなどをちりばめれば、それはもう充分な「作品」です。であれば逆に、いまこの時代からあらためて随筆や紀行文の書き手を志すならば、「旅」というものに対して、より広く柔軟な意識、突拍子もない考え方を取り入れたってよいのではないか、と提言したいところです。著名人が雑誌にちょこっと書くような“いわゆるよくある旅エッセイ”は、多かれ少なかれ作者そのものが醸すウィットやエスプリに依存するケースがほとんどです。今回はそんな紀行文とはかなり味わいの異なる、規格外・想定外の旅のなかに見出す新鮮な味わいやおもしろさを湛えた、いわば“シン・紀行文”の可能性を探る一作をご紹介します。

「死ぬほど淋しいところ」へと向かった文豪

何しに佐渡へなど行くのだろう。自分にも、わからなかった。十六日に、新潟の高等学校で下手な講演をした。その翌日、この船に乗った。佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。前から、気がかりになっていたのである。私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。(略)新潟まで行くのならば、佐渡へも立ち寄ろう。立ち寄らなければならぬ。謂わば死に神の手招きに吸い寄せられるように、私は何の理由もなく、佐渡にひかれた。私は、たいへんおセンチなのかも知れない。死ぬほど淋しいところ。それが、よかった。お恥ずかしい事である。

太宰治『佐渡』/『きりぎりす』所収/新潮社/1974年 テキストの引用は青空文庫より)

なぜこんなところへ行くのかわからない、特に行きたいわけではなかった、行く気もなかった、と終始ぐずぐず愚痴りながら佐渡へ赴いたのは、かの太宰治先生です。いまなら炎上必至、佐渡を「死ぬほど淋しいところ」と先入観を述べるのみならず「地獄」呼ばわりまでして、佐渡人に対してまったく失礼なことこの上ありません。時代性による鷹揚な許容力なのか、はたまた旅のきっかけの正直な気持ちとしてこれくらいのことを言っても、たぶん佐渡の人もさほど怒らないと太宰が踏んだのでしょうか、それはいまとなってはわかりません。

とまあ現代人ならば、佐渡の方々を気遣いつつ少々眉を顰めて読み進めることになる本作ですが、太宰がいかにも太宰らしく、なぜこんなところへ……と、もう船の上からビクビクと身がまえたり動揺したりしてユーモアを醸し出す『佐渡』は、ある意味で紀行文の名品です。その何ともいえないユーモアは、狙ってそうしているのではなく、未知との出会いや発見を味わおうという旅人本来の健やかなる姿勢とは対照的な、異邦人太宰の戸惑いに満ちた滑稽な立ち居振る舞いから生まれています。たとえば、出発早々に佐渡らしき島影を目認した太宰は、到着があまりに早過ぎることに(そんなことで)動揺します。乗り合う他の船客は誰も、わぁ佐渡に着いたぞなどとはしゃぐこともなくのんびりと寝そべったまま。佐渡の予備知識もない孤独な太宰は結局、あれは佐渡ではないのだと独断し、少し心をざわつかせた自分と、きのうの自分を思い出し、これまたひとり恥じ入りいたたまれなくなります。なぜならその前日、高校の生徒たちを前に、新潟側の砂丘から遠く霞んで見えるこの島(つまり太宰がいままさに「佐渡ではない」と結論づけた島)を指差して、『佐渡おけさ』の歌詞をもちだすなぞして語らっていたからです。

私は恥ずかしさに、てんてこ舞いした。きのう新潟の砂丘で、私がひどくもったい振り、あれが佐渡だね、と早合点の指さしをして、生徒たちは、それがとんでも無い間違いだと知っていながら私が余りにも荘重な口調で盲断しているので、それを嘲笑して否定するのが気の毒になり、そうですと答えてその場を取りつくろってくれたのかも知れない。そうして後で、私を馬鹿先生ではないかと疑い、灯が見えるかねと言い居ったぞ等と、私の口真似して笑い合っているのに違いないと思ったら、私は矢庭に袴を脱ぎ捨て海に投じたくなった。

(同上)

じゃあ、地図にもなかったはずのこの島はいったい何なのだ、と混乱する太宰はひとり、いや地図にもなかったのだからやはり佐渡だろうとも思うのですが、誰に訊くこともできず確信はもてません。乗り合う他の客に「あれは何という島ですか」と問うのは、“銀座を歩きながら、ここは大阪ですかという質問と同じくらいに奇妙”だと、そんなネガティブ思考だけはしっかり確信があり敢行できません。次に太宰が目を疑い恐怖さえ覚えたのは、前方に大陸が見えはじめたことでした。朝鮮? まさか──とさえ思えたそれが、そう佐渡ヶ島でした。おそらくは他の客のやりとりに耳をそばだてていたのでしょう。その会話のなかでそれが佐渡だと知った太宰は、ひとり右往左往させられた憤懣も手伝ってうんざりします。

あの大陸が佐渡なのだ。大きすぎる。北海道とそんなに違わんじゃないかと思った。

(同上)

──と、太宰は佐渡へと向かう2時間あまりの船旅のあいだに波乱万丈を経験するわけですが、ひとつ気持ちが晴れ晴れとしたのは、最初に見えた島の謎が解けたことでした。その答えをもたらしてくれたのは、またもや甲板で隣り合わせた他の客、子ども連れの旅客の会話でした。

「パパ、さっきの島は?」赤いオオヴァを着た十歳くらいの少女が、傍の紳士に尋ねている。私は、人知れず全身の注意を、その会話に集中させた。この家族は、都会の人たちらしい。私と同様に、はじめて佐渡へやって来た人たちに違いない。
「佐渡ですよ。」と父は答えた。
 そうか、と私は少女と共に首肯いた。なおよく父の説明を聞こうと思って、私は、そっとその家族のほうへすり寄った。
「パパも、よくわからないのですがね。」と紳士は不安げに言い足した。「つまり島の形が、こんなぐあいに、」と言って両手で島の形を作って見せて、「こんなぐあいになっていて、汽船がここを走っているので、島が二つあるように見えたのでしょう。」
 私は少し背伸びして、その父の手の形を覗いて、ああ、と全く了解した。すべて少女のお陰である。つまり佐渡ヶ島は、「工」の字を倒さにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐で細く結んでいるような状態なのである。

(同上)

こんな具合に謎の島(太宰は「沈黙の島」と呼ぶ)の正体も判明し、往きの船の上で充分にやり切った感でいっぱいになり、火が消えたように佐渡への情熱もあらかた失ってあわや本土へ引き返しかけた太宰。しかし、港の広場で佐渡の上等らしい旅館の客引きに行き合い、にわかに旅人の威厳を取り戻します。こうして、この旅館に一夜の宿を借りることになりました。風呂など入って部屋で寛ぐというより鯱張っているところ夕食の膳を供されるのですが、前日の新潟で高校生の相手をした意識を引きずる太宰は、ついつい権威的なもの言いが抜けず、端然と食卓の前に座っては給仕の女性とカチコチに硬い会話を交わしています。

「この島の名産は、何かね。」
「はい、海産物なら、たいていのものが、たくさんとれます。」
「そうかね。」
 会話が、とぎれる。しばらくして、やおら御質問。
「君は、佐渡の生れかね。」
「はい。」
「内地へ、行って見たいと思うかね。」
「いいえ。」
「そうだろう。」何がそうだろうだか、自分にもわからなかった。ただ、ひどく気取っているのである。また、しばらく会話が、とぎれる。私は、ごはんを四杯たべた。こんなに、たくさんたべた事は無い。

(同上)

その夜、太宰は旅館を出て町を歩き、一軒の料理屋の暖簾をくぐります。佐渡の人情を知りたいと思ったからでした。ところが、店のもてなしはどうも波長が合わず、人情に和むどころかまたもや憤懣を覚えます。翌日はバスに乗り、金山の近くの町へ足を延ばして一泊し、帰路に就くのでした。

ユーモアあふれる旅エッセイで終わらぬのが文豪の妙技

さて、こうした足かけ三日の佐渡の旅で、太宰は何か感興を得たのでしょうか──実のところ、何もない様子です。もっとはっきりいえば、まるでない。印象的な人との出会いもなければ、自分の実生活にインスピレーションを与える発見も何ひとつなく、予期せぬ島旅のあいだは終始、愚痴ったり鯱張ったりこっそり悪口を吐いてみたりするばかりの太宰。佐渡まで行って何してきたんだ? と思わざるを得ない旅です。なのに、それが掌編作品に紡がれるやいなや、滑稽な男が織り成すコントのように笑えるばかりか、読み終えれば一篇の名作を堪能したかのような余韻を残すというのはさすがは我らが文豪太宰。その精妙なる手捌きに震えます。滑稽味に満ちた太宰治『佐渡』の、まさかここに……と瞠目する、無常観とさえ呼べるようなうら寂しさの匂う結末は、ぜひご一読のうえ味わっていただきたいと思います。

出会いも発見も風趣もなく、ただ他人のように通り過ぎて何も残さないかに見える旅もあります。しかしだからといって、その旅に中身も深みもないのかといえば、そんなことはないのです。そこに、個性やユーモアや思想や人生観を内蔵させていくその営為こそが、トラベルライターと作家のあいだにある違いなのかもしれません。旅をして、その旅を自分もしてみたいと読者に思わせるのがライターの仕事なら、旅をした書き手自身の心情にいつしか読み手も心を寄せ、同じように滑稽な自分がいることを受け入れられたり、「人間てそうだよなぁ」と人の本質に思いを致したり、文章世界のなかで読者を現実とは別の地平にいざなうのが作家の仕事なのでしょう。作家になりたい、紀行文を書きたいとの目標を掲げるならば、“行きたい旅ではない旅”──そんなテーマで臨んでみるのも一興かもしれません。

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