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「孤独」という語は、現代ではほぼ100パーセント厄難として扱われます。ネット検索すれば「あなたはひとりじゃない|内閣府孤独・孤立対策推進室」という行政のWebサイトを筆頭に、延々と孤独にまつわる社会問題を扱うページがつづきます。画像検索をすればさらに一目瞭然、現代における「孤独」の立ち位置がわかるというものです。そうした現状がある一方で、懸命な方なら「孤独」に数パーセントの高尚さも感じなくはないでしょう。そう、それがトルストイが示した「孤独」の正体なのです。
孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる
偉大なる文豪は、孤独が人間にとって必要かつ重要なものであると知っていました。孤独な状態において巡らせる思索が真に自分自身に向き合わせてくれる、という孤独の効能を説いているのです。孤独の重要性、真の価値に気づいてこそ、人は健やかに誇り高く「孤独」を味わえるというわけです。仮にも作家を志す者ならば、「孤独」を「淋しい」の最上級のように捉えていてはならないのです。
たしかに、疎外されつらさを負わされた無惨な孤独もあります。しかし私たちは、途方に暮れるばかりの赤子でもなければ、淋しすぎると死んでしまうウサギでもありません。どんな孤独にも、その内奥には“思慮すべき何か”が潜んでいることを知る必要があります。そしてその何かを知るプロセスにおいてこそ、我々は多くの精神的経験を得るのです。現代社会が示すような孤独に対するアレルギー反応を抑え込むことができたなら、誇り高い「孤独」への理解も進み、やがてはそれが本来贅沢で貴重なものであることに気づくはずです。
そこでまずは「孤独」について思索し、その意味を深く語る言葉に浸ることにしてみましょう。ご紹介するのは、ベルギー生まれの詩人で小説家のメイ・サートンです。科学史家の父と芸術家の母をもち、第一次世界大戦のなか4歳でアメリカに亡命した彼女は、女優業を経て作家となって以来、多くの作品を世に送り出しました。
「孤独」の意味を深く探究したサートン。わけても日記、自伝的エッセイは天下一品です。そのうちの一冊『夢見つつ深く植えよ』では、46歳の著者がニューハンプシャー州チェシャー郡の町ネルソンで出会った古い農家での暮らしの日々を綴っています。
あまりに静かで、あまりに穏やかなので、まるで魔法のドアを押して一九世紀に入っていったかのよう。人っこ一人見えない。(中略)私は、命を蘇らせてくれる孤独のなかに自分を見出す。
人はおろか、時代からも取り残されたような地に身を置き、荒れ放題だった家と庭に手を入れつづけることで、自らの居場所、故郷をつくり上げていったサートン。ときには家を抜け出し車を走らせ、モナドノック山や山裾に点在する湖を眺めたといいます。素朴にして雄大なその風景には、確かに命の再生を感じさせるような清新さがあったことでしょう。せせこましく慌ただしい現代社会に生きる私たちからすれば、自然豊かな場所で味わう孤独はあまりにも羨ましく特権的とすら感じます。けれども「孤独」とは元来環境に左右されるものではありません。テーマパークの賑やかな楽しさ、友人たちと笑い合う和気藹々のなかにも「孤独」はあるのです。つまり周囲がどうあれ、内なる自己と向き合う時間、内省的思考ができるかどうかが鍵なのです。そして、内省的思考に辿り着くためには、“痛み”に耐えなくてはならないとサートンは語りかけます。
私の新しい生活とはじめてのお客の出会いのなんと短く、しかもなんと充実していたことだろう! だからこそ、彼らの去ったあと私と家がひとりきりになったとき、彼らの不在はそれだけ痛烈に感じられた。それは私にとって、孤独への回帰の最初の体験だった。寂寥の瞬間、ここでのほんとうの生活をもう一度始める前の、影のように空虚な瞬間の。
(同上)
サートンは、気まぐれや理想とする生活の実現のために移住したのではありません。田舎の家は、両親を相次いで亡くし帰るべき“ホーム”を失ったために、ひょんなことから買い求めたものでした。両親から受け継いだ調度品や、いまは亡き知人から得た物々とともに、あえて独り居を貫く決断に至るまでには、誤魔化しようのない不安や戸惑い、怯えがありました。50代になったころには、同性愛をカミングアウトしたために大学の職を追われ、自著の出版も見送られて、失意の底に沈みました。独居生活もあいまって、サートンは耐え難い寂寥感を味わったのです。それは“ほんのりとした寂しさ”などではありません。心が血を流すような、猛々しい苦しみです。その内面風景をより浮かび上がらせ上梓したのが、氏のもうひとつの日記『独り居の日記』です。
私のなかにある獰猛なまでの緊張感は、適当なチャンネルを得ると、仕事のための良い緊張を生み出してくれる。だがそのバランスが失われると、私は破壊的になる。
ネルソンの冬は長く厳しく、雪解けのあとに訪れる“泥の季節”や、“望まぬ来客──庭を荒らす害獣──”、加えて生来の浮き沈みが激しい性格もあって、サートンは一度ならずパニックに陥ったといいます。危なっかしいバランスをかろうじて保ちながら、自身の内面を凝視し、疎外と喪失に取り囲まれた孤独の時間に身を任せたとき、人はようやく「孤独」の恩寵を賜るのかもしれません。やがてサートンにも、微かな光に照らされて道が見えはじめます。
自分に十分な要求をしないことと、過大な要求や期待をすることのあいだには適切なバランスがあると思い到る。私は自分の照準を高くしすぎて、気を落ちこませて一日を終わるというくり返しをしているのかもしれない。そのバランスを見つけるのは容易ではない。
(同上)
「孤独」とは、かくも痛ましく、険しく、そして、尊いものなのです。
長いさすらいの実りを
収穫する祝福されたひとよ
大いなる遍歴ののちにようやく
ふるさとへ船を向けた老ユリシーズにも似て
智恵に熟し身丈をのばして
夢見る想いを深く植えるために
ここまで本稿を読まれた方なら、この一遍の詩にハッとしたことでしょう。そう、先に紹介した『夢見つつ深く植えよ』のタイトルは、同著に収まるサートン自身のこの詩からとったものなのです。孤独を知る者、孤独に身を任せようとする者への、祝福と励ましの念に満ち溢れているではありませんか。
メイ・サートンはその後、ネルソンから離れることになりますが、新天地を得た後半生も変わることなく独居生活を愛し、生涯「孤独」を尊重する人生を歩みました。晩年、最後に綴った日記が『82歳の日記』として発表されています。そこに記されているのは、死の予感を抱きながらも「孤独」にこだわりつづけたサートンの信条──楽天主義を手放さないこと。これ、あまりにも意外ではないですか? 一周まわっての達観というには深すぎるシンプルな言葉。深い気鬱を孕みながらも、最後まで人生という冒険を進みつづけた彼女ならではのオプティミズムが染み出ています。『82歳の日記』では、アフリカ系アメリカ人によるハーレム・ルネサンスの指導者と謳われたラングストン・ヒューズの詩を引用しています。
夢をしっかりつかめ
夢が消えると
人生は雪の凍りついた
不毛の荒野になるのだから。
孤独を愛したサートンは、生涯「夢」を掴みつづけようとしたことでしょう。真の孤独に挑戦しつづけることで、楽天主義を養い、命を蘇らせてきた氏の生きた証を、ぜひご一読あれ。さすれば内省も一段と深まり、たとえ部屋の片隅でぽつねんと膝を抱える日があろうとも、喧騒のなかで突然に孤独に襲われようとも、その意味を正しく理解し、いずれはその経験で得た感性があなたに筆を執らせるに違いありません。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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