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以前、当ブログ記事『「小説」をいかに読み、いかに書くか』では、“私小説を制する者、小説を制す?”と読者の皆さまに問いかける一文をまとめました。今回はさらにそれをもうひと掘りし、いよいよ出尽くした感も否めないこの「私小説」というジャンルにおいて、果たして新境地を拓くことはできるのだろうかという、なかなかに壮大なテーマについて考えてみたいと思います。「私小説」とは、念のためおさらいしておきますと、作家自身の実体験をもとにありのままの心情を明かした小説のこと。自伝小説とも似ており、一応フィクションの有無の点で線引きがなされるようですが、もとより小説という様式である以上、その線引きもまた曖昧なところを残します。言い換えればそれは、すべからく作家は私小説を何らかの形で書くということです。となれば、小説を書くぞ、作家になるのだ! と意気に感じる者ならば、本稿がテーマとする「新しい私小説」について千思万考する価値は、無計画に筆を執って創作に取り組む以上に大きいはず。「決断即実行」もむろん大事な世の中ですが、沈思黙考する時間を疎かにする賢者は世界にただのひとりもいないのです。
私小説というものの構造が作家の実直な心模様を明かすものであることから、それはしばしば暴露の色を濃くし、そのため田山花袋の『蒲団』などが世間に衝撃を与えたりもしました。ただ、この衝撃性は日本私小説草創のうぶな時代であったがゆえ。もし後続の私小説たちが、露悪的衝撃を競ったり、ひたすら破滅的であったりする方向に走るのだとしたら、それは文化的、創造的とはいいがたく、進化どころかステレオタイプに堕す退化の道を辿るばかり。自分の心情を吐露して多少ドラマ性をもたせるために脚色して……と、私小説ならひとまず書けそうだと思っていた方がいたとすれば、ここでハッと息を呑んだのではないでしょうか。この日本において「私小説」という小説ジャンルが独特に発達している理由は、誰にとってもありふれた「自分」を題材にしながら、それでも作品を陳腐化させない手立てを考え抜き、かつそれを形にしてきた先達たちに依るところが大きいのではないでしょうか。俳句や短歌など形式的な制限をもつ文芸を愛するのと同じように、「私小説」という枠を一種の枷とし、その枷を足にぶら下げながらどこまで遠くに行けるか、そして遠くに行った者にこの上ない賛辞を贈る──というその芸事的な営みの結果、日本の「私小説」は縷々紡がれ発展してきたのかもしれません。……といっても、じゃあどうするか?
明治末期以降隆盛を誇った私小説ではありましたが、1930年代になるとさすがに陳腐化の流れを断ち切れず、文芸評論家の小林秀雄についに“日本の私小説はもう死んでいる”と一刀のもと斬り捨てられたこともありました。その鮮やかな太刀筋に怯えたのか、その後しばらくのあいだは目線を変えたニューウェーブが台頭し、「私小説」というジャンルは衰退の一途を辿ったかに見えました。しかし1990年代になるとそこにひとりの作家が登場します。彼の名は車谷長吉。初見の方にもぜひ覚えていただきたいので申し上げますが、「くるまやちょうきち」ではありません「くるまたにちょうきつ」です。『鹽壺の匙(しおつぼのさじ)』『赤目四十八瀧心中未遂(あかめしじゅうやたきしんじゅうみすい)』など、ちょうきつにより発表された作品は、かつて皆を沸かせた私小説、しかも新しい私小説の姿を世に知らしめたのです。それはまさに私小説復権の刻でした。
私が子供のころ吉田の家で呼吸した底深い沈黙。無論、そのうめきにも似た不気味な沈黙を呼吸したのは私だけではないだろうが、併しそれについて語る者は誰もいなかった。語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。「虚。」が「実。」を犯すのである。だが、人間には本来存在の根拠などありはしない。語ることは、実はそれがないことを語ってしまうことだ。だから語ることは恐れられ、忌まわれて来た。併し春の日永の午後などに、不意に、言葉にはならない言葉の生魑魅のようなものが、家の中のどこかに息をしているのを感じることがあった。
「今年の夏は、私は七年ぶりに狂人の父に逢いに行った」と書き起こされる『鹽壺の匙』。それでは「狂人の父」と語り手「私」との話かと思いきや、物語は「生魑魅(いきすだま)」、生きている者の怨霊が跋扈するような親戚の家でただひとり純粋であるがゆえに、かえって「異端」の存在であった叔父の自殺を描きます。
1990年代としてはいまさら感も否めなかったはずの私小説。その書き手として車谷長吉の斬新さ、世を震撼せしめ私小説に息を吹き返させた凄みとはいったい何であったのか? それは、私小説でありながら、「私」の心情的な温度感のない一種の酷薄な眼差しでした。叔父の自死に至る姿を見つめながら、憐みの湿り気も、この家に巣食う狂気や闇に対する恐れの冷たさも告発の熱さもなく、語り手の「私」自身がまるでメフィストフェレスさながらの悪であるかのよう。車谷自身、『鹽壺の匙』の三島賞受賞の辞で「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である」と述べています。彼は人間の内面的闇や醜悪さを暴くのではなく、ただ冷徹に邪悪さを見つめて描いた、そのことが作家としての「悪」というあり方ではなかったかと思います。
吉本隆明は文庫本『鹽壺の匙』の解説で、車谷長吉はそれまでの私小説作家、たとえば志賀直哉や嘉村磯多らとは違っている、なぜならそれまでの私小説作家たちのように、描いたものが苛烈なものでもそれが結局普遍的な人間の共通理解を得られるが車谷はそれを求めていないから──と評しています。作家が自身の内面的な罪や恥部を告白するからこそ、それまでの私小説には密かな共感性があった、しかし車谷は、読者をも突き放して、感情的温度も善悪や生死の差別もない私小説を描きました。その境地はどこか仏教の根本的教条の「無我」を思わせます。
白洲正子の車谷評はあっさりとして鋭いものでした。文芸誌「新潮」に掲載された『吃りの父が歌った軍歌』(1985年)を読んだ白洲が、デビュー後十数年来、ファンレターなど届いたことのない車谷に絶賛の手紙を送ったエピソードはよく知られています。白洲の目利きぶりも筋金入り好事精神もさすがというべきですが、さらに慧眼なのは車谷の文章を評して白洲が言った「こわい」。田山花袋の『蒲団』や嘉村磯多の『業苦』を読んでも誰も「こわい」とは言わないと思いますが、車谷長吉はまさに「こわい」私小説を書いた作家だったのです。
前述のとおり、作家になりたいとその道を志すならば、遅かれ早かれ何らかの形で“「私小説」を書く定め”が待っていると考えるべきでしょう。明日のプロ作家たる心熱き皆さんがひとつ心に期すべきは、その私小説が告白や暴露で終わってはならないということです。小林秀雄をして、日本の私小説は死んだと言わしめたこのジャンルに、新たな道をつけた作家、次なる車谷長吉が現れないなどといったいどこの誰が言えるでしょう。私小説新時代の旗手──そうそれは、小説家になりたいと日々努力するあなたかもしれないのです。
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