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「小説応募」ちょっとその前に...

2016年04月13日 【小説を書く】

落選作に見られる頻出ミスは「人称」や「視点」の揺らぎ

統計をとったわけではないので最多とは言い切れませんが、そのくらい頻出する文学賞応募作の落選ミスとして、「人称」や「視点」の揺らぎが挙げられます。そしてこの点に関する選者の目線は、ほかにも増して厳しい。「これって誰が言ってんの?」と思わせてしまう点が一か所見られたら、赤みがかったイエローカード、それ以上となったら真紅のレッドカード、作品は即刻選外と考えていいでしょう。「人称」や「視点」の揺らぎとは“技術的なミス”であるため、審査する側からしたら明確なアウト判定がしやすいのです。

年2回の芥川賞や直木賞の選考委員会でも票が割れたりするように(これらの賞でこの次元のミスは見られないでしょうが……※あえての例外も)、小説の価値を判断する線引きは選者によってさまざまです。無論、選ぶほうだって迷いに迷います。よって、選ぶ側からすると、誰もが「ココ絶対アウトでしょ」と納得する瑕疵(かし)を作中に見つけると、ある意味そこに飛びつきたくなる心理が働くわけです。篩(ふるい)の外へと出すだけの客観的な理由が、迷いのモヤモヤとした霧を吹き飛ばしてくれるからですね。この高きハードルを越えてゆく作品があるとすれば、逆にそれは実験的小説として相応の完成度が求められるということです。

というわけで、自分はそういう作風じゃないなァという方は、新人賞など何かの賞に小説を応募する前には必ず、「人称」や「視点」についてチェックする“専用の”時間を設けてみましょう。

あえての例外とは...
何をやろうと「芸」にまで磨きあげればそれは文芸ということで、ここ数年の傾向として、「人称」や「視点」の制約をナチュラルな形で無視した小説も出てきています。が、本項ではひとまずそれは置いておいて、「視点」にまつわる一般的な見解を記述しておきます。自在に「人称」や「視点」を操れるようになった段階で、実験的な創作に取り組まれるといいでしょう。

「一人称小説」における「視点」の揺らぎ

小説をはじめて書く場合、「一人称」の「私小説」がよいなどとよく言われます。主人公「ぼく」や「わたし」の目で見た世界を、「ぼく」や「わたし」の心が感じるままに描くことは、描き手の主観そのままを描くことに近いため、ミスを犯すことが少ないからです。しかしそこには、ひとつの制約がつきまといます。それは、他の登場人物に関して、その体験や心情などをストレートに描けないということです。

ぼくは彼女の目をじっと見つめることで、嘘を見透かされないようにしていた。
このとき彼女は 、ぼくを寂しい人だと思った

なんで「彼女」が思ったことを「ぼく」が知っているんでしょう? 「彼女」の心情を「ぼく」がはっきりと語ることはできないはずです。現実世界において、自分以外の人が何を考えているかを知ることはできません。それは一人称の小説世界でも同じなのです。そんなNGの見られる2行目を修正するとすれば、次のような感じでしょうか。

このときの彼女は、ぼくを寂しい人だと思ったに違いない
このとき彼女は、ぼくを寂しい人だと思ったのだと、あとになって知った

赤い述語の主語が省略された「ぼく」となり、問題は回避されました。
こうして一文だけ取り出してみれば、多くの人が「そんなミス……」と思われるかもしれません。が、そんな方だって、ふだん書くことのない長大な物語を綴るなかでは、ときとして気づかぬうちに陥る落とし穴です。作中の「彼女」への感情移入が制御できないことが理由と考えられますが、これはまた現実社会でも問題となっていますね――という横道はここでは見送るとしましょう。

純粋な「三人称小説」の難しさ

一人称の制約を考えもなく取り払おうとするならば、書き手が第三者の視点に立って作品を構成する「三人称小説」の形式を採用すればことは済みます。先の例を書き直してみましょう。

太郎は花子の目をじっと見つめることで、嘘を見透かされないようにしていた
このとき花子は、太郎を寂しい人だと思った

フムフム、で? だから何? という文章になってしまいましたね。読者が作品に感情移入しにくくなる。この欠点が「三人称小説」の一番の問題なのです。登場人物を客観的に描くことができるものの、文章が説明的になり、全体がのっぺりとしたものになってしまう可能性があります。自分の作品が「読みやすいけど、なんだかもの足りない」「あらすじを追っているだけみたい」と感じるならば、原因はこの「三人称」という形式にあるかもしれません。逆にいえば、この違いをもって私たちは、「ぼく」や「わたし」のもつ「一人称」のパワーを思い知るわけですね。

登場人物の「目」を通して作品を描く「三人称一元描写」

「視点」の制約が大きい「一人称」、小説のキモともいえる感情移入を妨げがちな「三人称」。それぞれの長短を理解したところで、それらのイイトコどりをしたスーパーハイブリッドな秘技「三人称一元描写」をご紹介します。
「三人称一元描写」とは、登場人物を「三人称」で描き、かつシーンごとに特定の人物の視点を通してストーリーを語る形式のこと。これを採用することにより、主観的かつ客観的で、感覚的かつ説明的な文章が書けるようになります。例文で使ってみるとこうなります。

太郎は花子の目をじっと見つめることで、嘘を見透かされないようにしていた
花子の瞳には自分が映っている。その顔が、意外なほど翳りを帯びて見えるのだった。

上記ワンシーンだけでは、視点の移り変わりがよくわからないかもしれません。「三人称一元描写」を活用したとしても、いきなり視点を変化させては読者を混乱させてしまいます。それを防ぐためによく使われる手法として、このあとに会話文や説明文を挟み、読者の視点と太郎の視点をいったん引き離したりします。「三人称一元描写 例文」などのキーワードでネット検索をしてみると、詳細な解説とともに例文を掲載したたくさんのページが出てきますので、それらも参考にして理解を深めてみるといいでしょう。

やや難解に思われる「三人称一元描写」。たしかに少々複雑で扱いには多少の気遣いが必要です。けれども、主人公の独白がダラダラとつづくものしか書けない人、また生き生きとした登場人物が描けず、ストーリーの展開が単調になってしまうという人は、「三人称一元描写」に一度トライしてみることをオススメします。

そうして書いた文章は、作品とは呼べない短文だとしても、その文章が読みやすいか、読者の心理を引き込む力をもっているかなどを確認するために、ほかの人に一度読んでもらうといいでしょう。作者としては明白と思われることも、完全な読者目線で読んでみると、案外ぼやけて見えることはままあるものなのです。

※この記事は弊社運営の【気軽にSite 執筆・出版の応援ひろば】掲載の記事を再構成して作成しています。

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