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本を出したい、とくに小説家を目指す人ならば、ある程度は“ジャンル”というのを意識して書いているのではないでしょうか。純文学にはじまり、歴史小説、時代小説。サスペンスにハードボイルド。SF、ホラー、ファンタジー。それに加えてロマンス……といった具合です。書き手によっては、これらカテゴリをいくらかクロスしていたりもするでしょう。
でも、ミステリー小説だけは、ちょっと手を出しにくい領域と感じていませんか? なんだか数学的な思考法が要求されそうだし、トップ棋士さながら、五十手、百手の先を見定めてストーリーを組み立てなければいけない……なんて。ミステリー愛好家が小説家を志望する場合でも、自分が書くとなるとこのジャンルに限っては、端から敬遠するケースが少なくないようです。けれどもそれは、食わず嫌い、書き嫌い、見当外れの思い込みかもしれません。ミステリー小説は、たとえるならばパズルのようなもの。パズルに初級者向け・上級者向けと、レベルに応じた難易度があるように、ミステリー小説の創作にだって、ごく短い作品を一見単純なプロットで上質に仕上げる方法があるのです。そのヒントは、ミステリー小説が産声をあげた草創期の、あの開祖の作品に見出せるかもしれません。
ご存じの方も多いかと思いますが、ミステリー小説を世に初めて送り出したのは、アメリカ・ボストン出身の作家エドガー・アラン・ポオ。19世紀初頭に生まれ、いまなお妖しい光を発する文学界の異端児として他を寄せつけません。彼の並々ならぬ影響力は、賛美者ボードレールがポオ論を書いてその謎に打ち沈んだことでも、本名・平井太郎がポオに心酔するあまり「えどがわらんぽ」とその名にあやかって筆名を頂戴し、本邦きっての名探偵・明智小五郎を生んだことでも知れましょう。ポオが世を去ったのは1849年。40歳の若さでしたが、残された肖像写真に見るその姿は、まるで60代の老年期のよう。つまるところ、限りのないイマジネーションとともに生き、書き尽くし燃え尽きるようにして死んだ、常人ならざる人生の証が相貌に刻まれているということでしょうか。
彼が産み落とした世界初とされるミステリー小説のタイトルは、『モルグ街の殺人事件』。1841年に発表されたこの短編小説は、なんと今日の探偵小説のセオリーをすべて開示するものとなっています。彼がいまなお偉大な先駆者であったと語られる理由は、小説界における新ジャンル開闢の第一作目ですでに、このように完璧な創作理論を備えていたことにもよります。その“ポオ・セオリー”こそが、ミステリー小説におけるプロットづくりの定理なのです。
いかがです? これらの要素がひとつも見られないミステリーのほうが少ないと思えるくらい、“お約束”な設定だと感じられるのではないでしょうか。ポーのある意味発明とも呼ぶべきセオリーは、ミステリーの基本原理として脈々と後世に受け継がれることとなります。逆引き的な方法論として、試しに上記6箇条のいくつかを盛り込んだプロットを仮組みしてみてください。頭が発泡剤でも飲んだかのように嫌でも構想が膨らむはずです。たとえそれが、既視感にまみれた“パクり”のような臭いがしても気にすることはありません。なぜならこれらは、ミステリーのいわばお作法、型だからです。それを備えてこそ、作品の表皮に塗り込まれる隈取りにもオリジナリティが生じるというものです。
実はポオ、自らをして「推理物語」と呼ぶに足る『モルグ街の殺人事件』に辿り着く前に、この系譜へと至る途上の作品をいくつか著しています。ひとつは1936年発表のエッセイ『メルツェルの将棋指し』。18世紀後半から19世紀なかばまで実在したチェスを指す自動機械人形「トルコ人」について、その構造を看破せんと仔細に分析した作品です。残り2作は『モルグ街〜』と同年に発表された小説です。そのひとつ『週に三度の日曜日』は、主人公が恋する女性との結婚を彼女の家族に申し込んだところ、「日曜日が週に三度来たら許可する」と体よく断られるのですが、この一見不可能な条件をクリアしようと智恵を絞り見事結婚に漕ぎつけるという仕立てになっています。そしてもうひとつが『メールストロムの旋渦』。あらゆるものを飲み込む巨大な渦潮から、主人公が奇跡的に生還した一部始終を描く、恐怖小説やゴシック小説として分類される一作です。以上3作には、ポオの分析的・論理的思考が惜しげもなく披瀝されており、前出の江戸川乱歩もこれこそがミステリー小説を書く上で必要不可欠な資質と述べています。いずれの作品も、常識的な視点では解けないトリックに臨むポオ自身の思想や哲学が窺え、「ミステリー小説」という新ジャンル誕生へと向かう大衆文芸史の流れを見る上でも興味深い3作品となっています。
(引用者註:渦潮内の現象に関し)
私はまた三つの重要な観察をしました。第一は、一般に物体が大きければ大きいほど、下へ降りる速さが速いこと、――第二は、球形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、下降の速さは球形のものが大であること、第三は、円筒形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、円筒形がずっと遅く吸いこまれてゆくということです。(略)
このような観察を裏づけ、さらにそれを実地に利用したいと私に思わせた、驚くべき事実が一つありました。それは、渦巻をぐるぐるまわるたびに船は樽やそのほか船の帆桁や檣のようなもののそばを通るのですが、そういうような多くのものが、私が初めてこの渦巻の不思議な眺めに眼を開いたときには同じ高さにあったのが、いまではずっと私どもの上の方にあり、もとの位置からちょっとしか動いていないらしい、ということなのです。
(『メールストロムの旋渦』/『黒猫・黄金虫』所収/新潮社/2004年)
スティーブンソンの『宝島』に先駆けて、宝探しの冒険小説を初めて書いたのもポオでした。その作品『黄金虫』では、「暗号解読」という謎解きを取り入れています。いまでこそありふれたこの手法の小説への採用でも、ポオは草分け的存在でした。思えば、スティーブンソンにしろコナン・ドイルにしろ、その名を一躍高めた小説ジャンルの原型はすべて、ポオが生んでいるのです。ポオなくして彼らの存在はなく、なかんずく現代の娯楽小説ジャンルは様相を異にしていたかもしれません。
没後40年を経てもいまだミステリー小説の女王と呼ばれるアガサ・クリスティーが、処女作『スタイルズ荘の怪事件』を発表したのは1920年、ポオの死からおよそ70年後のことでした。クリスティーはいわば“不可能トリック”のパイオニアです。容疑者全員が犯人であったとか、語り手が犯人であったとか、死んで容疑から外された者のなかに犯人がいたとか、数々の目覚ましい禁じ手を放ちましたが、これらとていまや応用の利く黄金プロット(たとえば、谷崎潤一郎の犯罪小説『私』は語り手が犯人というプロットを採用)として奉られている感があります。そして開祖たるポオはといえば、上で語ったとおり、不動の貫録でミステリー小説の正統的基本形の重要性を教えてくれます。ミステリー小説づくりには、新奇な発想や複雑な構造ばかりが求められるわけでは決してありません。古典の基本に立ち返ることこそ、このジャンルに挑もうという書き手がまずは心に留めておくべき主眼なのです。
小説家になりたいあなた、ミステリー小説だけはいやちょっと……と尻込みするなかれ。開拓者たちの思考と創作法に触れるところから、まずはシンプルな“パズル”をひとつ考案してみてはいかがですか。その最初の小さなピースが、壮大にして斬新なミステリー小説の核にならないとは限らないのですから。
――と、高尚なモチベーションに添えて、もうひとつ現金な情報を。仕上がった作品が、たとえ完全無欠のミステリー小説と呼ぶにはいささか見劣りがする……なんて結果だとしてもまだまだ活路はあります。「ミステリータッチの――」という冠を掲げた作品を目にしたことはありませんか? つまるところ、「人」というのは総じてミステリー好きなのです。歴史モノのファンだろうと、どこか遠くを眺めるような目で純文学を読み耽る学生だろうと、目の前の作品にいくらかの“ミステリー風味”が感じられることに嫌悪感を覚える人はまずいません。「謎解き」を人間の生理に訴えかける「キャッチーさ」の一要素と捉えるならば、ミステリー小説執筆の過程で学ぶそのエッセンスは、どのような小説ジャンルであれ活用できるオールマイティなスパイスといえるのです。
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