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ラブストーリー、恋愛小説、恋物語……呼び名はどうあれ要するに、それは愛読者をうっとりと惹きつけてやまない魅惑のジャンル。そして、ロマンス小説のジャンルに属する作品のみならず、「恋」が古今東西文学上の揺るぎない一大テーマであるのもご存じの通り。ただ、「文学的」を冠する「恋」に関していえば、“甘くうっとり”に終始することは許されず、それが人間の本質をえぐり出す切り口であることを証明するかのように、多様な感情を生起させて人生の深みを覗かせる物語として供されてきました。作家への道は一歩一歩、はじめの一歩はとりわけ重要な一歩。となれば、恋愛小説を書くなら志は高く、文学性豊かな物語を目指したいものです。そんなわけで今回は、薫り高い恋愛小説を書くため、構想するための一手をお教えしましょう。
恋愛小説に不可欠なものとは? もちろんストーリー、そして主役、愛しあうカップルです。名彫刻家や仏師は彫刻を作り上げていくのではない、木や石のなかにはじめから眠っている作品を彫り出していくのだ、といわれますが、小説にも似たようなところがあるとはいえないでしょうか。恋愛小説において主役のふたりとストーリーはいわば2本の糸と布の関係、明確な個性をもつ一組のペアがいれば、それら縦糸横糸により織りなされていく布柄はおのずと決まってくるとも考えられます。作家とはすなわちそれを形にしていく存在であり、キャラクターを造型し命を吹き込んでいくなかで、物語も徐々に立ち現われてくるというわけです。それでは、「薫り高い恋愛小説」の主役にはいったい何が必要なのでしょうか?
2009年には映画『愛を読むひと』として日本でも公開された一作、法学者にして作家のベルンハルト・シュリンクの『朗読者』は、ドイツを舞台にした21歳の年齢差のある男女の物語です。逢瀬の度に年若い恋人に本を読んでくれるよう頼む女は、自分が読み書きをできないことをひた隠しにしています。
「おはよう!朝食を取りに行って、すぐに戻ってくるよ」
〈ぼくが残しておいたのは〉そんな文面だった。ぼくが戻ってくると、彼女は部屋の中に突っ立ち、服を半分着た状態で、怒りに震え、顔面蒼白になっていた。(略)
「触らないで」
彼女はドレス用の細い革ベルトを手に持っていて、一歩下がるとぼくの顔をベルトで殴った。唇が裂け、血の味がした。メモはどこにもなかった。
(ベルハルト・シュリンク『朗読者』松永美穂訳/新潮社/2003年 ※〈 〉内は引用者補足)
このように、ふたりのやりとりがこと「文字」に関する文脈に至ると突然激昂してみたり、とにもかくにもとらえどころのなかった女は、恋人に何の言葉も残さずある日突如として失踪します。そんな彼女のキャラクターが明確な輪郭を得ていくのは、失踪から10年近くの歳月が経った物語後半。法科に進学した男は、ナチスを巡る裁判で被告席に女の姿を認めます。有罪を決めるのは筆跡鑑定でしたが、文盲をひた隠しにする女はみずから罪を被って終身刑に服すのです。それほどまでに文盲にコンプレックスを抱く女、そのキャラクターは物語に大きく作用しています。そしてそこに、彼女の秘密を察し、切実に女を助けたいのにその事実を告げなかった男のキャラクターが貝合わせのようにぴたりと重なって、親子ほど年の離れた男女の恋に深い色合いを増しています。
物語の時代背景にあって、“新しい”人物像に着目する視点も参考にしておきたいところです。たとえば恋愛小説の古典、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』などわかりやすいかもしれません。反骨精神をもち、身分を越え障害を越えて愛する人と結ばれる女性像は、当時のイギリス社会にあってはまったく型破りなキャラクターでした。このヒロイン「ジェイン・エア」の存在感が鮮烈であったからこそ、本書は大きな反響を呼び、文学史にその足跡を刻んだのです。
私は明日にも鏡を自分の前に置き、どんな欠点もそのままに、どんな目ざわりな線にも、どんなに不細工な部分にも手心を加えずクレヨンで写生し、その下に、「金も有力な縁故もない不器量な家庭教師の図」と書くことにきめた。
「それはあなたが私よりも年とっていらっしゃるとか、私よりも経験がおありになるとかいうことだけで私に命令する権利がおありになるとは思いません。あなたがその年と経験をどんなふうにお用いになったかでその事はきまるんですから」
(シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』吉田健一訳/集英社/1979年)
『ジェイン・エア』が発表されたのは1947年。ヴィクトリア朝と呼ばれるこの時代を特徴づけるのは、勤勉、節制、禁欲、貞淑を美徳とするその名もヴィクトリアニズム。しかしその一方で、オスカー・ワイルドやジョージ・エリオットの登場に見るように、美徳とは相反する矛盾的な空気をも孕んでいました。つまりシャーロット・ブロンテは、そんな時代が待ち望んでいたヒロイン像を創造したといえるでしょう。
一方、登場人物たちの過去設定が物語の奥行きとドラマ的興趣を増すということがしばしばあります。平野啓一郎は『マチネの終わりに』で大人の男女の運命的な純愛を描きました。男は少年期から脚光を浴びた天才ギタリスト。挫折なしに歩んできたことが思いもよらぬ挫折を生んで、芸術家としての苦悩に直面したところでヒロインと邂逅します。一方の女はアメリカ人の学者を婚約者にもつ国際的なジャーナリスト。フランス人の社会派映画監督の父と長崎で被爆した母をもち、イラク戦争下の中東で九死に一生を得た経験からPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患います。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?
(平野啓一郎『マチネの終わりに』毎日新聞出版/2016年)
そもそも人間の性格や精神を形づくっていくのは、「過去」つまり人生に起きる大小さまざまな出来事にいかに対峙したかという事実の積み重ねなのかもしれません。この小説では、それらを鮮明に表すような造形が主人公たちになされていて、恋愛ドラマの妙味はその複雑な要素を溶け合わせることで生まれたといえそうです。
夏目漱石前期の代表作のひとつ『それから』では、恋を通して変貌していく男の姿を照射していることから、主人公の男性像に一段と入念な彫琢がなされています。
彼は歯並の好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。彼の皮膚には濃かな(こまやかな)一種の光沢がある。香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に、肩を揺かしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲って見える。かれはそれにも満足である。次に黒い髪を分けた。油を塗け(つけ)ないでも面白い程自由になる。髭も髪同様に細くかつ初々しく、口の上を品よく蔽うている。代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉を付ける時の手付と一般であった。実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。彼の尤も嫌うのは羅漢の様な骨骼と相好で、鏡に向うたんびに、あんな顔に生れなくって、まあ可かったと思う位である。その代り人から御洒落と云われても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えている。
(夏目漱石『それから』新潮社/1985年 ルビは引用者による)
明治生まれの主人公の青年はいわゆる“高等遊民”、高学歴を飾りのようにもち、定職に就かず実家の援助で悠々と暮らしている自分を「新しい時代の意識をもった人間」であると信じています。上に挙げた引用文は、そんな主人公の血肉を伴った像を活写しているでしょう。美意識高く身だしなみに余念ないという、敢えて日常的なワンシーンを織り込んだ手並みはさすが文豪の鮮やかさです。しかし、恋に胸を焦がした主人公はこの特権をかなぐり捨てることになるのです。父は彼に勘当を言い渡し、有夫の恋人は死に瀕する病の床にあります。実兄からの考え直すようにとの最後の機会も擲って、熱に浮かされたように職探しに飛び出す主人公。それは、愛を貫こうとする純粋で雄々しい姿でしょうか。それとも、生活力も愛に処する術ももち得なかった主人公の悲劇的末路を示唆するものでしょうか。主人公の人物造形は、その答えを教えています。
芳醇な恋愛小説の主役たちに必要な条件。それは、周囲を魅了する容姿でもカリスマ性でもなく、彼らの「複雑にして特異性のある背景」であり、「人間としての光と影を合わせもつキャラクター」といってよさそうです。命を吹き込まれたキャラクターは、やがてみずからのストーリーを紡ぎはじめます。もとより恋愛という繊細な心のやりとりのある普遍的な物語にあっては、キャラクターの個性と存在感は一段と多彩な色合いを帯びて、読者の印象に刻まれるはずです。ワンランクもツーランクも上の恋愛小説を書きたいと志すあなたには、キャラクター造形に力点をおいて創作に取り組んでみることをお勧めします。普遍性や時代性、過去……と、そこには考え合わせる要素がさまざまあります。それらを練り上げて主役を創り上げるところから、あなただけのラブストーリーが生まれてくるのです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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