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近現代で最も優れた詩人として、同業の詩人や評論家が「この人」と挙げるなかに、北原白秋の名が見られることは少なくありません。白秋が編集する雑誌から世に出た萩原朔太郎は、「日本に幾多の詩人はあるが、概ね詩歌俳句等の一局部に偏するのみで、白秋氏の如く日本韻文学の殆んどあらゆる広汎な全野に渡つた、英雄的非凡の大事業を為した人はいない」と絶賛しています。もっともこの一文、よーく読むと白秋が詩人として第一等の人だといっているわけでもない様子。要は、「韻文学」を幅広く極めたことを「英雄的非凡の大事業」と、感情量の多い朔太郎らしい大仰な表現で称えているのです。現代の感覚では、これは褒められているのか?……とちょっと訝しくも思いそうな文句ですが、この言葉は実際、北原白秋という特異な詩人の活動の本質を示すものでもありました。
詩も歌も童謡も、わたくしにとっては同じくひとつの気稟(きひん)の現れであって、そのほかの何ものとも思はれない。
(北原白秋『月と胡桃』序/東京梓書房/1929年)
白秋は、詩・散文・童謡・俳句・短歌・民謡・小唄……と韻文学の「広汎な全野」を往来して筆を揮い(ふるい)名を成した稀有な詩人ですが、そのなかでも今回は彼がとりわけ高く評価されたジャンル、童謡を取り上げてみましょう。
白秋と童謡の関わりを考えるとき、忘れるわけにはいかないのが「児童文化運動の父」と呼ばれた鈴木三重吉の存在です。大正7年(1918年)、それまでの児童文学のあり方に疑問を抱いていた三重吉は、自ら児童雑誌『赤い鳥』を創刊、文学性を重視する概念を謳ってこのジャンルに新風を吹き込みました。執筆陣はまさに多士済々、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や有島武郎の『一房の葡萄』の初出の場となった同誌は、児童文学に完成度や芸術性を高める時流をつくりあげた歴史的な雑誌となったのです。
この“『赤い鳥』運動”の趣旨に賛同した北原白秋は、結果的に同誌と最も長く関わる執筆者となります。童謡ジャンルにたちまち詩才を閃かせた白秋は、次々と作品を発表。創刊の大正7年を皮切りに、その生涯において実に1000篇以上を残しています。童謡創作は、詩人としての白秋を文字どおり確固とした存在として文学史上に押し上げたのでした。童謡を詠うことによって、白秋の詩人としての真価が明瞭になったというのが本当のところかもしれません。
捉へがたい感覺の記憶は今日もなほ私の心を苛だたしめ、恐れしめ、歎かしめ(なげかしめ)、苦しませる。
(同『思ひ出 抒情小曲集』序/東雲堂書店/1911年)
北原白秋は明治44年(1885年)、北九州の水郷・柳河(現・柳川市)の代々栄えた商家に生まれましたが、父の代になって家産を火事で失ってから家運が傾きはじめます。記憶に濃い乳母と妹をチフスで亡くした白秋にとっても、それは平穏な幼年時代とは程遠かったと想像されます。白秋の詩作の主旋律には郷愁の念がありますが、それは白秋が幼年時代の苦しみや恐れ、そして思い出に何度も帰っていくからに相違ないでしょう。魂を震わせる哀傷とは、原風景のなかにこそあり、詩の心と言葉は幼年期の記憶から生まれてくるもの――北原白秋とはそのように思わせる詩人なのでした。
赤い鳥、小鳥、
なぜなぜ赤い。
赤い實(み)を食べた。
白い鳥、小鳥、
なぜなぜ白い。
白い實(み)を食べた。
(同『赤い鳥小鳥』/『赤い鳥』大正7年7月号初出)
雨がふります。雨がふる。
遊びにゆきたし、傘はなし、
紅緒の木履(かっこ)も緒が切れた。
雨がふります。雨がふる。
(同『雨』/『赤い鳥』大正7年10月号初出)
『赤い鳥』発表の初期作品、幼少期の原風景を描くこれら童謡は、オノマトペやリフレインを用いて、いかにも子どもが口ずさむようなリズム感を生んでいます。そして次第に、白秋の童謡はより芸術的な詩風景をもつものへと変化を遂げていきます。
月へゆく道、/空の道。
ゆうかりの木の/こずゑから、
しろいお船の/マストから、
アンテナの沖、/夜霧から。
月へゆく道、/空の道。
まっすぐ、まっすぐ/青い道。
(同『月へゆく道』/『赤い鳥』昭和3年6月号初出)
昭和3年(1928年)に『赤い鳥』に掲載された『月へゆく道』は、芸術という観点から、童謡から詩への成長期を示すような興味深い一篇となっています。白秋には五感に強く働きかけてくる詩が少なくありませんが、この作品も、幻想的で見事な視覚性を有しています。もちろん「月へゆく道」は目には見えませんが、「道」のはじまりの地点に鮮やかなイメージを置いたことで、遠い天へと伸びていく月明かりに照らされた道すじが、目に見えるばかりに浮かんできます。ほかにも、「花の中から咲いてくる/白い匂ひを見ましたか」(『白いもの』/『少女倶楽部』昭和3年5月号初出)というふうに、匂いを視覚化したり光を聴覚化したりという五感の自由な結合が、詩の性格を色濃く滲ませる白秋の童謡の特長として見出せます。
時は過ぎた。さうして温かい苅麦(かりむぎ)のほのめきに、赤い首の蛍に、或は青いとんぼの眼に、黒猫の美くしい経路に、謂れなき不可思議の愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕はしい思ひ出の哀歓となつてゆく。
(同『思ひ出 抒情小曲集』序/東雲堂書店/1911年)
作者自身、「得ることが多かつた」(『白秋詩集』序)詩集として挙げた一冊に『思ひ出』がありますが、これこそは白秋が、己(おの)が創作の根幹にあるノスタルジーを表白する詩集なのでした。『思ひ出』を紐解くと、人が幼年期の記憶を感性の熱源としていることが腑に落ちてきます。五感を自在に結びつける柔軟な詩作を可能としたのも、白秋が無垢な記憶という豊かな源泉をもち得たからにほかならないのです。
小兒(こども)ごころのあやしさは
白い小猫の爪かいな。
晝はひねもす、乳酪(にゅうらく)の匙(さじ)にまみれて、飛び超えて、
卓子(てえぶる)の上、椅子の上、ちんからころりと騷げども、騷げども、
流石(さすが)、寢室(ねべや)に瓦斯の火のシンと鳴る夜は氣が滅入ろ…
いつか殺したいたいけな青い小鳥の翅(はね)の音。
(『小兒と娘』/『思ひ出』所収)
童謡のノスタルジーが強烈な訴求力を発するのは、幼年期の記憶という普遍的な詩材が、大人の深い洞察を込め、詩人の精錬された感性と技術でもって絶妙に調理されているから。それこそ詩作の最強レシピのひとつといえましょう。一方、詩人になりたいと夢を抱く人たちのいささか生硬な作品にあっては、“いまこのとき見たまんま”の平板な詩景が描かれているだけ、というケースがままあります。誰しも、自分の感性の原動力となる幼年期の記憶はもっているはず。その記憶の風景のなかにある自分の心を思い返し、よくよく吟味してみてください。その心は、詩を書くために見つめている眼前の風景にも重ねられるものではありませんか? 目には見えない「心」を添える創作のその姿勢が、つまり詩に深みを与えるのです。「ノスタルジー」とは、色褪せて使い道のない感傷などではありません。詩人や作家を志すあなたの感性と創造力に深く根ざす、心強い一生の味方なのです。
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