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世はご長寿社会(敢えて「高齢社会」とは申しません)。「PPK」こと「ピンピンコロリ」、最先端感覚とわらべ歌のフレーズが手を結んだようなこの言葉が表すように、「健康長寿」は、一部のへそ曲がりを除く誰もが関心を寄せるテーマといえましょう。いまや時代の風潮であり傾向といえる長寿社会では、そのカラーに合わせてさまざまな体制やビジネスができあがっているわけですが、作家になりたいあなたにしても、この空気に鈍感であってはなりません。時代を無視できないのは作家の定め。もちろん、あなた自身がご長寿作家として将来存在していないとも限らないのですから。ここは、長寿社会の作家としての姿勢や心構え、より広い視野をいまから学んでおくのが得策といえそうです。
長寿作家の名を挙げるなら、そのリストから「宇野千代」を除外することはできないでしょう。千代の天衣無縫の人生を綴ったベストセラー『生きて行く私』は100万部超えを記録。執筆当時、彼女は85歳でしたが、その年齢にして「天衣無縫」状態をなおも現役続行中――との姿が世を驚かせ、社会現象まで巻き起こりました。しかし、本書の出版は一過性の騒ぎで済まされないものがあります。なぜなら『生きて行く私』は、“老い方”“生き方”を考えさせた草創の一冊であったからです。1997年、赤瀬川源平が「老い」を前向きにとらえようと「老人力」という言葉を打ち出し、「老い」がもつプラスの面を巧みに引き出してみせましたが、それよりおよそ15年も前に、千代は『生きて行く私』を世に登場させ「フェミニズム」を超えた「シニアリズム」とでも呼ぶべき概念を世に産み落としたのです。ときは80年代初期。若年層はともかく年配層はまだまだ封建的な思想に支配されていた時代です。そのインパクトたるや、計り知れないほど大きかったのではないかと想像されます。
私はいつでも、自分にとって愉(たの)しくないことがあると、大急ぎで、そのことを忘れるようにした。思い出さないようにした。そして、全く忘れるようになった。これが私の人生観でもあったが、ひょっとしたら私は、それほど弱虫で、臆病でもあったのか。
(宇野千代『生きて行く私』角川書店/1983年)
『生きて行く私』には作者の男性遍歴が軸として綴られています。直感的で行動的な千代は、男に出会って惚れれば飛び込み、相手が心変わりすれば身を引き、また惚れ……と繰り返すうちに4度の結婚と離婚を経験しましたが、傷ついても陰に籠らないのは、自ら培い生涯もちつづけた「忘れる」という人生観があればこそでしょう。彼女はまた「隠す」ということが根っから不得手な人らしく、『徹子の部屋』(これまた長寿番組)では尾崎士郎や東郷青児やそのほか誰彼と寝たと白状させられ、「あたし、あんなに、寝た寝たと、まるで昼寝でもしたように、お話になる方と、初めてお会いしましたわ」という黒柳徹子の有名な談話も生まれました。『生きて行く私』が読者に新鮮な驚きを与えたのは、千代の生き方が「奔放」であっても「自堕落」とは決して映らなかったから。さらにいえば、奔放であるという以上に、もっとはるかに、爽やかで痛快で自由であったからです。この作品は、心身ともに「自由であること」と、「無軌道・不道徳」との大きな大きな違いを教えてくれます。その精神は千代が99年の生涯を通じて失わなかったものでした。
2018年1月、若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』が第158回芥川賞を受賞しました。同作はそのおよそ3か月前に第54回文藝賞を受賞して世に出た作品です。文藝賞受賞時、著者の若竹氏は63歳。史上最年長での受賞でした。そのままの勢いで受賞した芥川賞においても史上2番目の年長受賞となったわけですが、このように昨今、著名な文学賞を高齢の作家が受賞してしばしば話題の種を提供しているようです。最年長という作者の年齢が審査に影響するものではないはずですが、そこにはひとつの時代性を感じることができます。彼ら高齢受賞者(高齢高齢とすみません)に特徴的なのは、「ウサギとカメ」の「ウサギ」など端から眼中にないとばかりに、非常に落ち着いて根気をもって創作に取り組んでいることです。若竹氏同様、文壇デビューの勢いのまま第148回芥川賞(2012年下半期)を75歳9か月で受賞したのは黒田夏子。それまでの最年長記録(1973年下半期第70回『月山』受賞の森敦・61歳11か月)を大幅に更新し、「生きているうちに見つけてくださいまして、本当にありがとうございました」と逆に天上から響くようなコメントを残しましたが、彼ら年長受賞者には一様に、自分のテーマをじっくりと熟成させ、自分のペースで焦ることなく時間をかけて完成を目指している姿勢が窺えます。そして、黒田氏のコメントに察せられるように、いつかどこかで見出されるというそこはかとない自信、確信めいたものを抱いてもいるのです。
2012年、『グッバイ、こおろぎ君』で群像新人文学賞を受賞した藤崎和男も、「自信は半分くらい、期待がなければ書けない」と取材に答えています。当時74歳。受賞作は、団地に独居する初老の男性がトイレに棲みついたこおろぎと向き合って暮らした2か月間を綴っています。藤崎氏が60歳のころ実際に遭遇したトイレにこおろぎが入ってくる――という珍体験を、10年間温めつづけ構想にしたといいます。主人公はこおろぎに対して、特に世話をするわけではなく、格別に愛情を注ぐわけではなく、けれども顔を突き合わせているうちに、できるだけ長く生きていてほしいと願うようになるのです。
六十歳のお年寄り、などと甘く見てもらっては困る。一人前の性欲もあれば物欲もある。ただ死んだふりをして生きているだけだ。本当に頼られ求められれば、まだまだ役に立つ命なのだ。
(藤崎和男『グッバイ、こおろぎ君』講談社/2012年)
仄かなユーモアをにじませる物語には、老いを実感としてとらえた者の達観というか開き直りというか、ある域に達したリアルな肉声が込められていて、悲哀よりも一種の快さを感じます。あたかも満を持したかのように「高齢」と呼ばれる年代に達した者の心意気、といえばよいでしょうか。
60代だって70代だって、小説を書きたいっていう志のある人は書いた方がいいですよ。失敗したり、うまく書けたり書けなかったり、それがとっても面白い。(略)年齢は関係ない、書く気構えがあるかどうかです。
(藤崎和男 公募ガイド・メールマガジン『mottomo』インタビュー記事/2016年3月29日配信)
インタビューにこう答えた藤崎氏の言葉は、いわば長寿社会へのエールです。それは、『グッバイ、こおろぎ君』の、孤独だって、老い先が短くなってきたからって、別に哀れなんかじゃない、なめんなよ!――と、実直に生を重ねてきた者の矜持と気概のなかから発せられたメッセージに、おのずと重なってくるのでした。
歳をとるたびに
いろいろなものを
忘れてゆくような
気がする
人の名前
幾つもの文字
思い出の数々
それを さびしいと
思わなくなったのは
どうしてだろう
忘れてゆくことの幸福
忘れてゆくことへの
あきらめ
ひぐらしの声が
聞こえる
(柴田トヨ『忘れる』/『くじけないで』所収/飛鳥新社/2010年)
柴田トヨが詩作を始めたのは92歳、腰を痛め趣味の日本舞踊ができず気落ちした母トヨに、一人息子が励ましの思いで勧めたのがきっかけだったといいます。一篇一篇、綴った詩を新聞に投稿するうちいつしか反響を呼び、98歳で処女詩集『くじけないで』を出版すると160万部のベストセラーとなりました。その詩の言葉は平明で、短く、でも蚕の繭のように細やかな中身を感じる味わいがあり、読み手の心の深いところに届いてきます。年をとれば身体に不自由も出てくる、親しい人との別れもある。けれどそれは人が辿り着く「生」のひとつの場所で、寂しいところではない。高い山を登り切ったように、よくやったねと自分を称えることがふさわしい場所――そんなふうに思わせてくれる詩なのでした。101歳で死去したトヨさんが最後に残した詩の言葉は、「皆様のご多幸を 日射しとなり そよ風になって 応援します」。まるで、身体の不自由から解放されたなら誰かの助けになるのが務め――といわんばかりの、ただただ無垢な言葉です。
「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家・岸信介は長生きの秘訣を訊かれて「義理を欠くこと」と即答したらしいですが、この逸話はなかなか暗示的です。人が人との関係のなかで疲弊していくことを思えば、「他者との関係性の外側に“自分自身”を置く」の一事を、長寿時代への必須の心構えとして挙げてもよいかもしれません。当然、老年に達した者の境地は一様ではなく、一個人のなかですら折々にさまざまであると想像できますが、それでも共通していえるのは、「時間の長さと短さを知っている」ということのように思えます。かつて文学者たちは二十代で世に出、夭折したりみずから命を絶ったり、その生涯や仕事が束の間の歳月に凝縮されていることも少なくありませんでした。しかしいま、時代が作家たちにそうした運命を求めているとは考えにくく、むしろ逆に「いかに長く生き残るか」という問題を課している感があります。となったら、作家になりたい、小説家になりたい、詩人になりたいと志す者も、老いの先すら視野に収めて創作に臨む必要があるのではないでしょうか。「落選」の報せに泣いている人は、自分が大器晩成型なのだと信じましょう。健康長寿で精進絶やさねば最後には夢が叶う、そんな日が来ないとも限りません。そう、世は「長寿が勝ち!」なのですから。
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