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「異端者」とは、字義的には「正統と認められない宗教・思想・学説などをもつ者」。現代感覚で換言すれば、大多数の人とは違って見える変人、アウトサイダーというところでしょうか。中世の命がけの宗教異端者と比べれば、現代の「異端」にはそれほど苛酷な運命が定められているわけではないものの、“異質さ”に過敏に反応する人間の本質にそう変わりはありません。いまこの時代であっても、他から浮いて見える人間は往々にして、ごくあっさりと「変人」のレッテルが貼られます。いえ、変人・よそ者呼ばわりするに留まらず、あまつさえ、社会の一見公正なルールに則って排除しようとする潮流さえ見られます。「多様性」を声高に叫ぶ裏側で、「ふつうと違う」を炙り出してはひとりひとり吊し上げる異様な光景は、もはやワイドショーの独壇場とはいえなくなってきたようにも思えます。大人社会の縮図ともいえる子どもの世界でもそれは同じ。そんな、私たち人間社会における異物排除の風潮を生む非論理的な現象の正体とは、いったい何なのでしょう?
……で、アルベール・カミュの『異邦人』です。
一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
(アルベール・カミュ著/窪田啓訳『異邦人』新潮社/1963年)
太陽が目に痛かったという理由で人を殺した『異邦人』の主人公ムルソー。けれど、実際それだけが理由で殺人を犯したのであれば、彼はまったく別の意味での「異邦人(=異常者)」で、カミュの小説に登場する人物にはなり得なかったはずです。ムルソーは一見無感情のように生きており、母の死にも表情を変えず、みずからの不遇に不満を表すこともなく、愛人から結婚の願望を聞かされればどちらでもかまわないと答えます。青年期にありがちな虚無主義に搦め捕られたかのようなムルソーと、太陽のせいで人を殺し人々の罵声を希望に死刑を待つ犯罪者・ムルソーとのあいだに存在するのは、単純で良識めいた社会の非論理性――すなわち「不条理」です。ムルソー自身は異邦人などではなく、ただ社会にはびこる欺瞞や利己主義や不公平に逸早く心を蝕まれ、無気力になっていた“よくいる青年”だったのかもしれません。そこに発生したひとつの事件、太陽のせいで人を殺したというその不可解さが、国をして民衆をして、彼を「異邦人(=異端)」の体現者たらしめたのです。『異邦人』の後半部には、その静かな狂乱の顛末が描かれています。
ムルソーは、否定的で虚無的な人間に見える。しかし彼はひとつの真理のために死ぬことを承諾したのだ。人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である、という命題は、到達点ではなくて出発点であることを知らなければならない。ムルソーはまさに、ある積極性を内に秘めた人間なのだ。
(同上『異邦人』文庫解説より)
カミュは自著について、「社会は母親の埋葬に際して涙を流す人たちを必要としている。人は自分に罪があると思うことによっては決して罰せられない」(大久保敏彦訳)とコメントを加えています。「異端」を考えるとき、この言葉をよくよく照合する必要があるのではないでしょうか。『異邦人』が出版されたのは1942年、第二次世界大戦が勃発し、カミュの生まれたアルジェリアはその後独立戦争へと向かっていく時代です。そんな、この世の最大の不条理ともいえる「戦争」にまみれた時代に『異邦人』は生まれました。しかし戦時下に限らず、人生、世界、そして人間社会は、宿命的に不条理の原則を具えるものです。では、『異邦人』から70年あまりが経った現代、社会の不条理に相対する人間の姿とはいかなるものか、見てみましょう。
2016年上半期芥川賞を受賞した村田沙耶香『コンビニ人間』については、まだ記憶に新しい方もいるかと思います。本書の主人公、「コンビニ人間」として“生まれ変わって”19年になる古倉恵子は、「変人」のレッテルをベッタリと貼られる36歳独身女性。独身であるばかりか交際経験すらない主人公ですが、それは本当かと興味本位に問う友人に「ああ、ないよ」と即答する態度に、ある種の清々しさを覚えた読者も多いのではないでしょうか。彼女は本当に異端なのか、変人なのか。なぜ家族や周囲の人間は彼女の言動に神経を尖らせるのか――。
「お姉ちゃんは、いつになったら治るの……?」
妹が口を開いて、私を叱ることもせず、顔を伏せた。
「もう限界だよ……どうすれば普通になるの?いつまで我慢すればいいの?」
「え、我慢してるの?それなら無理に私に会いに来なくてもいいんじゃない?」
素直に妹に言うと、妹は涙を流しながら立ち上がった。
「お姉ちゃん、お願いだから私と一緒にカウンセリングへ行こう?治してもらおうよ、もうそれしかないよ」
「小さい頃行ったけど、だめだったじゃない。それに私、何を治せばいいのかわからないんだ」
(村田沙耶香『コンビニ人間』文藝春秋/2016年)
作者の村田氏は、群像新人賞、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞……と錚々たる文学賞を受賞しながら、その後も変わらず週3回のコンビニバイトをつづけるなか本書で芥川賞を受賞、以降もコンビニバイトをつづけながら小説を書いているそうです。村田氏本人は、自分自身周囲に溶け込めない変わった子どもではあったけれど、主人公と自分は別物、とインタビューで答えています。自己防衛的に自意識を抑えて生きる主人公と、彼女を取り巻く周囲とのユーモラスな不協和音を掻き鳴らす物語。そこには不条理がもたらす哀しさは見当たらず、「バイトを通して初めて世界に溶け込めた気がした」「コンビニは聖域」と語る作者のコンビニ愛、人間愛の温かみが感じられるのでした。
シャーロック・ホームズ然り、エルキュール・ポアロ然り、明智小五郎然り。古今東西ミステリ小説の探偵といえば「ちょいと変人」と相場が決まっていますが、そのなかでも爆発的に異色な存在感を発するひとりの探偵が現代日本にいます。彼の名は「メルカトル鮎」。
この事件は、今までのような具体的な視点からでは蒙は啓かれないよ。演繹法や帰納法では決して到達することはできないんだ。ニュートン力学では核物理が扱えないように。もっと奥に潜む宇宙の心理の如きものを目指さないとね。
(麻耶雄崇『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』講談社/1996年)
もはや意味不明の探偵哲学を披露する「銘探偵」(「名」ではない)メルカトル鮎。彼が初めて登場するのは『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』。初登場なれど「最後の事件」と銘打たれているのも衝撃的ですが、探偵の生みの親・麻耶雄嵩の名が世に出たのもこの『――最後の事件』によってでした。その後に書かれた作品も含め、ミステリ小説でありながら、アンチミステリ、メタフィクションと呼ばれる麻耶作品の第一の特徴は、既存の推理小説の構造秩序を崩壊させる点だと断言できます。
型破りで傲岸不遜なメルカトル鮎は、主役を演じつつも物語を掻きまわすトリックスター的な性格を色濃くもっています。「銘探偵」だけに事件の謎を解くには解きますが、その主軸以外の傍流は、正統な名探偵像をことごとく破壊する暴挙全開の一点にすべて集約されます。シルクハットにタキシード、マントといういでたちは、ベタな装束をアウフヘーベンしたあえてのコミカル設定と見るべきでしょう。そんな彼のとる行動とは……死体を蹴る、助手を死なせかける、常に最優先するのは自分の利益……etc.と傍若無人ぶりと毒には限りがなく、要するにメタフィクションを体現する「誇張されたキャラクター」と見なすと、その破天荒な設定の意義もくみ取りやすいでしょうか。同作に限らず、メルカトル鮎シリーズはいろいろな意味で規格はずれ。たちまちハマって崇め奉る読者もいれば、フザケルナ!と怒髪天を突く読者もいるようです。途方もない異端者を主役に擁して異彩放つこのミステリに魅了されるか、困惑するか、はたまた腹を立てるかは、読者に完全に委ねられている(本当はどの作品もそうなのですが)という点でも、このシリーズの存在自体が「異端」であるといえそうです。
「異端」に対する見方・考え方は、時代とともに大きな変化を遂げてきました。中世ヨーロッパでは信仰を問う異端審問で容赦なく刑罰が下され、今日においても異分子を排除しようとする社会構造はなおも存在します。そのいっぽうで、多くの進歩的経営者たちは「異端であれ」と後進たちに呼びかけます。ビジネス領域で「イノベーション」という言葉を聞かない日はありません。変わることを恐れず、何ごとにもチャレンジングに……結論として、「異端」とは単純なひとつの解釈に納まるものではなさそうです。少なくともいえるのは、「異端」であるためには覚悟が必要であるということ。また、物語のなかの異端者には明確なキャラクター造形と相対図式が必要であろうし、加えるなら、作家自身にも相応の「異端」への深い理解、共感が欠かせないでしょう。いずれにせよ、「正統」と「異端」の落差のある構図が、ある種の爆発力、衝撃性をもちやすいのは事実であるようです。
――というわけで、この「異端」分岐点。はたして作家になりたいあなたは避けて通るか、否か。ひょっとするとこれは、作家志望者にとって相手にも勝負にも不足なしの、時代が改めて要請する挑戦なのかもしれません。ギンギンに尖った「正統」を目指すか、その反対の「異端」へと突き進むか。どちらにせよ世界はあなたにエッジの立った作品を求めているようです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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