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ぼくは非常に誤解をしてまして、長い遍歴(へんれき)の末に鳥が見つからずに帰ってきて、落胆していると、自分の部屋にじつは青い鳥はいた、ああ、青い烏はここにいたんだ、そうなんだな、遠くではなくて、山のかなたにではなくて、自分たちの生活の、ふっと足もとをふり返ると、そこにこそ本当の希望とか幸福があるんだ、私たちはそれに気づかなかったんだという教訓的なお話だと思っていました。
(五木寛之『青い鳥のゆくえ』角川書店/1999年)
誰もが知っているモーリス・メーテルリンクの『青い鳥』には、誰もが意外と知らないいくつかの事実があります。
その1――
この作品は童話ではありますが、形式的には童話劇、つまり戯曲として書かれていました。
その2――
『青い鳥』の作者メーテルリンクは、ノーベル文学賞を受賞しています。童話作家がノーベル文学賞受賞!? まじか! と初耳の小ネタにでもされそうな話ですが、『青い鳥』はいまでこそ童話の代表格のように思われているものの、前述のようにもともと戯曲であり、その作者メーテルリンクは童話作家ではなく、当時としては劇作家・詩人として見られていたようです(おそらく文学史的には現在も)。
そして3つめの秘密が、冒頭でも引用しましたが、五木先生さえ誤解させた『青い鳥』の核心部分に関しての理解なのです。この作品のテーマは、一般に信じられているようなほのぼのとしたテーマとは違うのです。グリム童話と同じように『青い鳥』もまた、テーマや結末を勘違いしている人が非常に多い作品なのです。
その勘違いとは、チルチルとミチルが夢で青い鳥を探すも見つからず、目覚めてみると自宅の籠のなかにいた――という展開から「幸せはそう簡単には見つからないよ。でも本当はごく身近なところにあるんだよ」とのメッセージを伝える作品であると信じ込まれているフシがあること。はっきりいって、違います。原作はほとんど読まれておらず、原作を下敷きにした絵本やら映画やらの後発のストーリーをオリジナルと同じと思い込んでいる人が多いからなのでしょう。
しかし、うなだれるには及びません。どこの誰が、原書からそこまで離れていると思いますか。かの五木先生も勘違いしていたくらいなのです。先生が本を通じて堂々と告白しておられるのですから、それはもう心強い限り。そしてメーテルリンクがノーベル文学賞作家と知ったあとで考えてみれば、三文文士じゃあるまいし、その著作がありふれたテーマあるはずはないのです。
さて、『青い鳥』の物語を仔細に読み込んでみましょう。そもそも夢という非現実のなかで幻の鳥を必死に探しまわるストーリーからして、人間存在の卑小さ、虚しさを厳然と伝えているといえるのかもしれません。青い鳥(=幸福)は身近にあるもの――という図式は、むしろ“当たり前”な基本認識であり、日常誰もが陥りがちな心の弛緩状態がここで指摘されている、という程度のことといえます。さらに、まわり道をするようにしてやっと見つけた幸せが、ボヤっとしている間に飛び去ってしまうのですから、これは相当シビアな話。人生の容易ならざる険しさがそこに暗示されているのです。
どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。
(モーリス・メーテルリンク著/堀口大学訳『青い鳥』新潮社/1960年)
原作である戯曲の『青い鳥』のラストでは、舞台上に進み出たチルチルが観客に向かってこう叫びます。これは、幻の幸福を追うにも似た、他者の助けで幸福を得ようとする人間の小ささ、弱さの示唆とも読むことができます。超訳を施された絵本や童話ではなく、“純原作”の『青い鳥』に接してみれば、この作品に横たわるテーマは、実人生にハッピーエンドなどないのだと断じるニヒリズムとも受け取れます。そして確かにそれは真理なのです。
しかし、メーテルリンクがなぜこのようなシビアで暗示的な童話劇を書いたのでしょうか。その意図は、子どもに「現実」というムチを振り立てることではなかったはずです。先述のとおり、幸福は身近にあって気づきにくいものというのは、大人にとってはごく当たり前の認識。そうした一種の人生哲学にこの作品を通じ子どもたちを触れさせることで、彼らはようやく精神的な成長の入り口に立つ――とメーテルリンクは念頭に置いたのではないでしょうか。幻を追いかけるような虚しい行為も、手にしたはずの幸福を逃してしまう不注意も、人間なればこそ。そんな人間存在の本質に気づかせるべく、童話劇という呑み込みやすい形式を借り、純真な子どもの心にしっかりと刻印しようと考えたのではないでしょうか。
『青い鳥』を読む上で看過することのできないモチーフがあります。夢のなかで「青い鳥」を探す旅に出たチルチルとミチルは、生と死のイメージを映し出したいくつもの不思議な国を巡ります。これは死と再生の仏教的世界の旅路であり、チルチルとミチルは死後の世界を体験しているのだと論じる研究者もいるようです。それも文学探究の旅が導くひとつの答え。読み手それぞれに解釈は幾とおりもありましょう。ただ、そうした解釈の次元を一歩超えて、本作を読む誰もが明確に見て取れるものがあります。それは「青い鳥」が辿るいくつもの運命。メーテルリンクが、読者(観客)を物語の核心へと導くためにちりばめた符号・ヒントです。
チルチル:ぼくたち、どこにいるの?
光:未来の国です。まだ生まれない子どもたちのいるところです。帽子のダイヤモンドのおかげで、はっきり見えるでしょ。たぶん青い鳥もここで見つかりますよ。
チルチル:ここでは、何もかも青いから、鳥だって青いだろうな。ほんとに、なんてきれいなんだろう!
(同上)
チルチルとミチルが旅をしたのは「思い出の国」「夜の御殿」「森」「墓地」「幸福の花園」「未来の王国」。「思い出の国」で見つけた青い鳥を籠に入れたら、黒い鳥に変わってしまったのはなぜなのか。「夜の御殿」で捕まえた鳥は、なぜ死んでしまったのか。「幸福の花園」になぜ「青い鳥」はいなかったのか。「未来の王国」で捕まえた「青い鳥」が赤くなったのは、なぜか――。これらの謎に通底する符号によって、メーテルリンクは読者に対し、幸福と人間、生と死を巡る問いかけを繰り返していると考えられます。
ここまで充分に『青い鳥』が侮れぬ一作とご理解いただけたかと思いますが、考え併せるべき要素はまだあります。その最後のひとつが、『青い鳥』が実はドイツの作家ノヴァーリスの名作『青い花』へのオマージュであるということ。メーテルリンクはこの夭折したロマン派の旗手に心酔していたのです。
青年は青い花に目を奪われ、しばらくいとおしげにじっと立っていたが、ついに花に顔を近づけようとした。すると花はつと動いたかとみると、姿を変えはじめた。葉が輝きをまして、ぐんぐん伸びる茎にぴたりとまつわりつくと、花は青年に向かって首をかしげた。その花弁が青いゆったりとしたえりを広げると、中にほっそりとした顔がほのかにゆらいで見えた。この奇異な変身のさまにつれて、青年のここちよい驚きはいやが上にも高まっていった。
(ノヴァーリス著・青山隆夫訳『青い花』岩波書店/1989年)
『青い花』が描くのは、現実と夢のあわい(=間)が消え失せたかのような幻想世界。主人公の青年詩人が恋焦がれる「青い花」は、手に入れることのできないものの象徴でした。では、この作品へのオマージュとして描かれた『青い鳥』で象徴された「幸福」とは、同じように手に入れることのできない幻想なのでしょうか? ……というようなことまで念頭に置いて、繊細なフランス料理を舌で確かめるように丹念に味わう姿勢が求められるのが、世界的名作『青い鳥』の正体なのです。
童話であろうとなかろうと、優れた作品の真髄へはそう簡単に到達できるものではありません。世界に名だたる作品であればこそ、研究・探索すべき要素をこれでもかともち合わせているのは当然のこと。けれどその深遠さを恐れてはいけません。時代を超えてきた名作童話とは、小説家や童話作家になりたい者にとって、天からの賜物同然。深い啓示の在り処や道筋を、平易な文章・平易な物語に探っていくことができるのですから、作家修業にこれほど有益な教材はないでしょう。
童話だからといって、誰もがすぐ合点がいくような、わかりやすいテーマで書かなければならない法はありません。いいえ、易しい童話だからこそ、のちのちまで心に残り、読者が成長するごとに理解を深めていけるような、重層的なテーマやメッセージを託すべきなのではないでしょうか。物語を書くとき、その中心に満ち満ちることになるテーマは、いわばあなたが著す文学作品の水源です。焦らず慌てず、源流の豊かさを湛えた水脈が作品の隅々にまで行き渡るよう、じっくりと創作活動に向き合いましょう。そのひとつひとつの学びの姿勢、経験が、作家になるための大切な財産となるはずです。
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