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人類誕生の日から一時も休むことなく私たち人間が考えつづけてきたテーマ「愛」。ときにはメラメラと燃え上がる情熱とともに、ときにはもの悲しい横顔とともに、またあるときは小難しい眉間のシワとともに、「愛は勝つ」とか「愛こそはすべて」とか「愛とは決して後悔しないこと」といった多種多様な定義づけがされてきました。
しかしその答えは現代になっても出ていませんし、答えが出るものなのかさえいよいよ心許なく思えてきます。いまさら考えてもどうしようもないじゃない、というのが大半の人の素直な感想でしょう。けれど、だからといって「愛」をなおざりにしてはならないと、作家を志すあなたであればきっと気づいているはず。そう、「愛は作家志望者の永遠のテーマ」なのです――と、ここにまたひとつ愛にまつわる新しい定義が生まれました。永い人類の歴史をもってしてもいまだ解けない謎「愛」。それをテーマとして掲げることもまた、作家になりたい者の宿命といえるのでしょう。
一般的に「愛」とは、「究極の愛」や「至上の愛」といったキャッチ・フレーズに化けて人々を惹きつけてやまないキーワードです。ですが作家たるもの、そこに安易に乗っかり既製品を継ぎ接ぎしたような「愛」の創作は避けたいところ。……というと、たちまち深遠にして曖昧模糊とした哲学的ムードを纏ってくるのが「愛」の侮れなさでもあります。
新約聖書は「愛とは寛容な精神」と説き、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクは「愛は無限のもの」と考えましたが、そうした無数の定義のいずれにも囚われる必要のない広大無辺さも、「愛」というテーマにはあるように思われます。ゆえに「愛」を再定義する作品が数限りなく登場してくるわけです。それだけに「愛」を探求する創作活動は、ともすれば陳腐な二番三番煎じにも終わりかねない厄介な仕事に違いありません。もっと悪くすれば、上滑りな自己満足にも……。そんなわけで今回は、「愛」を取り巻く陥穽を避け、難題「愛」を料理するヒントを掴めるような先人の足跡や作品をご紹介しましょう。
佐助は今こそ外界の眼を失った代りに内界の眼が開けたのを知りああこれが本当にお師匠様の住んでいらっしゃる世界なのだこれでようようお師匠様と同じ世界に住むことが出来たと思ったもう衰えた彼の視力では部屋の様子も春琴の姿もはっきり見分けられなかったが繃帯で包んだ顔の所在だけが、ぽうっと仄白く網膜に映じた彼にはそれが繃帯とは思えなかったつい二た月前までのお師匠様の円満微妙な色白の顔が鈍い明りの圏の中に来迎仏のごとく浮かんだ
(谷崎潤一郎『春琴抄』/『ちくま日本文学014 谷崎潤一郎』所収/筑摩書房/2008年)
谷崎文学、日本耽美文学の頂点ともいわれる『春琴抄』。盲目の師匠・春琴に仕えることだけを生きる理由としてきた佐助は、暴漢に襲われ美貌を失った春琴に顔を見ることを禁じられ、躊躇いもせずに針で自らの目を突きます。被虐と官能の文学とも称される『春琴抄』。確かに、佐助の春琴への献身と執着は、愛のみぞなし得る業といえるのかもしれません。けれどここで目を留めたいのは、『春琴抄』の主人公たちが内省的・懊悩的ではないという点です。佐助にしろ春琴にしろ、あたかも自ら求めるものをはじめから理解しているようにその姿勢は能動的です。その能動的姿勢が形づくるのは、男女ふたりの情念がせり上がった結果辿りつく「究極の愛」というより、ハナから相手の向こう側にまで突き抜けてしまっている「極限の愛」と呼ぶほうが正しいように思えます。とりもなおさず、『春琴抄』とは愛が何たるかの意味を説く物語ではなく、自分の想いを満たすために相手を必要とする者たちの、極限的なひとつの愛の姿を描いたものと考えるべきなのかもしれません。
愛の意味が苦悩の果てに手が届くものであるとすれば、アンドレ・ジッドの『狭き門』などは格好のテキストになるのではないでしょうか。「力を尽くして狭き門より入れ。われ汝らに告ぐ、入らんことを求めて入り能はぬ者おほからん」という新約聖書ルカ伝(13章24節)からタイトルを採ったこの作品は、恋愛と神への愛に揺れるヒロイン像を浮き彫りにします。それはまさしく、激しく愛を希求した人間の苦悩の果ての物語なのです。
人が愛として描きだすものと、わたしのそれとはひどく異なっている。わたしが望むのは、愛などという言葉はいっさい口にせず、愛していると知らずにあの人を愛すること。とりわけ、あの人に知られずに、あの人を愛したい。
(アンドレ・ジッド著/中条省平・志穂訳『狭き門』光文社/2015年)
神という天上的な愛と地上的な愛の相克の果てにヒロインのアリサは命を絶ちます。しかしそれは答えを出せない絶望からではなく、従弟ジェロームとの地上における幸福を棄て、天上的な愛に殉じた結末でした。『狭き門』は、そのようなアリサの自己犠牲的精神に象徴されるプロテスタンティズムを批判した作品といわれていますが、ジッド自身は旧友たちが勧めるカトリックへの改宗を終生拒んでプロテスタントでありつづけたという興味深い事実もあります。果たして『狭き門』は自己犠牲を否定する物語であったのか、それとも犠牲を厭わぬ清らかな魂に愛の真実を探ろうとする物語であったのか――。ジッドという稀代の作家、文筆の巧者の平易な彫琢による物語は、底知れない「愛」の深みを覗かせてくれるようです。
さて、大正から昭和にかけて、青年たちに文字通りバイブルのように読まれ、何十刷もの版を重ねた一冊の書物がありました。それは、ひとりの悩める一高生(旧・東京帝国大学予科生)が著した、愛・哲学・人生などにまつわる論文です。著者の名は倉田百三。病を得て一高を退学し、自ら思う愛の実践に心を砕き、51歳で世を去るまで哲学・宗教・愛の義を探究しつづけた随筆家・評論家です。
愛とは(略)、他人の運命を自己の興味として、これを畏れ、これを祝し、これを守る心持ちを言うのである。他人との接触を味わう心ではなく、他人の運命に関心する心である。ゆえに愛の心が深くなり純になればなるほど、私たちは運命というものの力に触れてくる。そしてそこから知恵が生まれてきて、愛と知恵との密接な微妙な関係がしだいに体験せられてゆく。
個人意識は生命の根本的なるものではない。その存在の方式は生命の原始より遠ざかりたるものである。(略)これは個人意識が初めより備えたる欠陥である。愛はこの欠陥より生ずる個人意識の要求であり、飢渇である。愛は主観が客観と合一して生命原始の状態に帰らんとする要求である。欠陥ある個人意識が独立自全なる真生命に帰一せんがために、おのれに対立する他我を呼び求むる心である。人格と人格と抱擁せんとする心である。生命と生命とが融着して自他の区別を消磨しつくし第三絶対者において生きんとする心である。
(倉田百三『愛と認識との出発』角川書店/1982年)
この作品からは、元来「愛」が大人の論理や人生経験を必要としない純粋無垢なものであることが感じられます。自分と他者を分かつ川の上に漂う小舟を「愛」と呼ぶのではなく、胎内回帰願望にも似た原初の状態を求める衝動に応え得る“現実的な方法を模索するプロセス”が「愛」であると――だからこそ「愛」は結果的に「知恵」を引き寄せるというのです。
著者の倉田百三、執筆当時20代と若かった彼には性への欲求と渇望がありましたが、性もまたある意味人間の純粋な欲求といえるでしょう。性への渇望を抱えた倉田が愛というものを考えたとき、そこに否定しようもない欠陥・欠落が見えてきたのでしょうか。「愛」と「知恵」を結ぶ思考経路にも注目したいところです。もしかしたら、私たちが常日頃「愛」と知覚している感情、それは愛に似た、愛に近い気持ちに過ぎないのかもしれません。そこに欠けたピースを探すことが知恵を呼び込み、その知恵が、私たちを真実の愛にまで迫らせてくれるのかもしれません。
しかしなぜに人は飽きもせず、愛、愛、とこうも連発するのでしょうか。そこには間違いなく深遠なる理由があるはず。単純に「だって愛ってロマンティックじゃなぁ〜い」という表層の理由とは著しくかけ離れたもののように思えます。もちろん「愛」とは目に見えるものではなく、その定義もさまざまに可能です。たとえ自己愛に終始する愛であったとしても、その姿勢が揺るがず一貫的であるならば、そこに愛するということの純粋な原理が働いていないとは誰にもいえません。誰かがそれを「愛」と呼ぶならば、ほかの誰が何と言おうと「愛」なのです。ひょっとするとiPS細胞のごとく多様な働きを見せる愛のこの原理こそ、「真の愛」を見極める鍵になるのかもしれません。
明確な答えを見出し得ないテーマである可能性が高いのに、作家は愛について思索し、人々は愛に悩み、愛の物語を求めます。お手軽なレディ・メイド作品から構想幾歳の大長編、陳腐な恋愛観から深遠な哲学や宗教観、多種多様な「愛」が乱舞する世の中であるからこそ「愛」は挑戦し甲斐のあるテーマといえるかもしれません。そのような「愛」の探索追求に、一度は死ぬほどに埋没してみることをお奨めします。本を書くという目標をもつあなたにとって、きっと豊かな実りある(あるいは凄絶な)経験となるに違いありません。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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