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いまでこそ誰もが知る、そしてファンも多い金子みすゞ。しかしこの女流詩人は、実は長らく忘れられた存在でした。生前、同人にも所属せず、中央からは遠い故郷で暮らしながら、憧れの文学に手を伸ばすようにして雑誌に詩を投稿していたみすゞ。やがて西条八十の目に留まり絶賛されたことで表舞台に束の間姿を現しますが、26歳の若さで世を去ったのち、500篇余りの詩作を記した手帳は埋もれたままとなりました。
みすゞの名が再び世に出たのは、それから50年以上が過ぎてからのこと。みすゞ再ブレイクの立役者は詩人の矢崎節夫でした。ひとたび彼女の詩を目にした読者は、かつての西条八十がそうであったように、文字どおり心を鷲掴みにされるような感動を味わったようで、金子みすゞの名はたちまち人口に膾炙することとなったのです。
その特別な磁力、強力に作用する金子みすゞの詩の魅力とは、一体どこから来るものなのでしょう。彼女の詩の何が、詩の世界に通ずる人ばかりでなく、日ごろ詩などには無縁な人々の心にも等しく響くのでしょう。
みすゞは1903年(明治36年)、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれ落ちます。かつて鯨漁が盛んだったこの港町には鯨墓があり、鯨供養の法会がいまでも営まれています。実際みすゞは『鯨法会』という詩を詠んでいますが、命を供養する敬虔な精神風土をもった土地に生まれ育ったことは、繊細な少女に少なからぬ影響をおよぼし、その芸術の指針を定める契機にもなったと推察されます。みすゞの詩を特長づけるひとつは、大人のものでも、また子どものものとも違う、澄んだ無垢な目。その目は、どんなものにも命があると見通すかのように深く、優しく、そして哀しみを帯びています。
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。
中の雪
さみしかろな。
(『積つた雪』/『金子みすゞ童謡全集』所収/JULA出版局/1984年)
金子みすゞの詩を読んでいると、ふと、「命」の定義とはいったい何なのだろうと考えてしまうことがあります。栄養を摂取し成長し、やがて朽ち果てていくのが命なのだろうか。それだけではない、「命」はどんなものにでも人が与えようと思えば与えられるのではないだろうか――と。いわゆる“擬人化”は、文学上当たり前といえば当たり前の着想ですが、命なきものに命を見て慈しみを投げかけられるのは、命あるものの悲しみと喜びの本質を理解する純粋さをもち得てこそなのです。
上掲した『積もつた雪』は「雪」に思いを寄せています。冬の日本海側とはいえ、みすゞの故郷の港町に雪が積もることなどあまりなかったでしょう。それもあって彼女は、はらはらと果てもなく降る雪の行く先をじっと眺めていたことがあったのかもしれません。眺めているうちに、降りはじめに落ちた雪はみるみる埋もれてしまった、なかごろに降った雪はどの辺りにあるかもうわからない。夜も更けて雪が止めば、表面の雪は月に照らされて一層青白い――。それぞれに痛みと悲しみを掬い上げられた「雪」は、みすゞの詩の世界で密やかな命を吹き込まれました。
お年をとつた、にはとりは
荒れた畑に立つてゐる
わかれたひよこは、どうしたか
畑に立つて、思つてる
草のしげつた、畑には
葱の坊主が三四本
よごれて、白いにはとりは
荒れた畑に立つてゐる
(『にはとり』同上)
童謡詩と呼ばれる金子みすゞの詩は短いものが多いのですが、無駄な描写なしに対象を捉える優れた絵画さながらに、簡素な表現のなかにモティーフが力強い生命感と繊細な情感を湛えて浮かび上がっています。初期の投稿作品といわれている『にはとり』もそんな一篇です。葱坊主が無関心な様子で揺れる、もの寂しい風景のなかに立つ一羽の老鶏。みじろぎしないその姿に、みすゞは声なき悲嘆を感じ取りました。にわとりの生に失意や絶望がないと、いったい誰が断言できるでしょうか。人間ばかりではない、いくつもの悲しみを背負って存続していくのが命の定めではないでしょうか。しかし、みすゞは単ににわとりの姿に悲しみを見ているのではありません。荒れた畑にすっくと立つ老いたにわとりの命に、雄々しさを見ているのです。みすゞの慈愛の深さが窺える一篇です。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらひ
するだらう。
(『大漁』同上 ルビは引用者による)
『大漁』は500篇を超えるみすゞの詩のなかでも最も有名なひとつに数えられるでしょう。鰯の大漁という一事を題材とした詩が声高く歌い上げているのは、物事はひとつの面のみで成り立っているのではないという真理であり、生きとし生けるものが命を繋ぐための“業”の重みです。大漁を祝う晴れ晴れとした浜の賑やかさ、海のなかの厳粛な弔い風景。ほんのわずかな距離で隔てられたそれぞれの場所には、まったく対照的な情感が満ちています。どちらかが責めを負うものではない、しかし生の不公平な一面――。短くも重厚な詩文が教えてくれるのは、生のパラドックス的な表裏といえる、命の尊さと業の深さでした。
きりぎっちょん、山のぼり、
朝からとうから、山のぼり。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
山は朝日だ、野は朝露だ、
とても跳ねるぞ、元気だぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
あの山、てっぺん、秋の空、
つめたく触るぞ、この髭に。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、
お星のところへ、行かれるぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、
あの山、あの山、まだとおい。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
見たよなこの花、白桔梗、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。
(『きりぎりすの山登り』同上)
1930年(昭和5年)、結婚生活に破れ夫に一人娘を奪われたみすゞは、命を懸けて娘を取り戻そうと死を決意します。『きりぎりすの山登り』は、そのみすゞが生の締め括りとして綴った、つまり遺書といわれている一篇です。
確かにこの詩では、他の多くの作品のようにみすゞの目が外にあるのではなく、みすゞ自身をなぞらえたきりぎりすが主格となって歌われています。きりぎりすのみすゞが登るのは“最後の”山。悲愴感は微塵もなく、詩を書く喜びや生きる喜び、それまでの人生のさまざまな喜びを表徴するモティーフが旅路を彩るかのようです。26年という人生は、あるいは短いのかもしれない。しかしみすゞにとっては、みじめに絶たれたものでも、うしろ髪を引かれるものでもなかった。命と“見えないもの”に慈しみを注いだみすゞの26年は、十二分に輝き満たされたものだった――と、残された500余篇と、最後の“遺書”が証明してくれています。
詩を書くあなたは、もしかすると金子みすゞを薄幸の詩人と思ってはいませんでしたか。だとすればそう誤解していたことを喜ぶべきでしょう。なぜなら、その誤解を正すべく、みすゞの作品に改めて深く触れる機会が得られるからです。たとえすぐに買い求めることはなくても、図書館に行けば、ふとみすゞの棚を探してみたくなるはずです。100年も前に生きたこの若い童謡詩人は、命を知り見えないものを見る無垢な目をもちつづけました。きっとあなたに、詩人になるための大切な教えを授けてくれることでしょう。
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