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映画、小説、テレビドラマといったストーリー性をもつ作品を鑑賞する際、人々が大なり小なり求めるものとはなんでしょう? ハイ、それは「感動」です。お涙頂戴の安っぽい感動もあれば、人間心理の奥底に沈む琴線に触れる感動もあります。人それぞれに求める質や内容の違いはあれど、人間とはなぜこうも「感動」が好きなのでしょうか。現代人が自身にうすうす感じている冷淡で無感動な本性への反作用なのでしょうか。そんなことさえ疑われるほど、いまの時代は「感動」を欲しています。
本稿では、その良し悪しは置いておくとして、そうした現代の「感動」の需要のほうに目を向けてみたいと思います(そういうマーケティング的な視点こそが世に安い感動を溢れ返させているんだろう! とのお叱りのお言葉は、あらかじめありがたく頂戴しておきます。)。だってやっぱり、本を書きたいと野望を抱く者ならば、読者ニーズには目を瞑ることなどできないでしょう。とはいえ頭で考えるのと成すのとでは困難の次元が違います。100枚200枚の小説を書く仕事はどうしたって容易ならず、読者側にいたときには「安ッ!」と見下した感動でさえ、手ずから生み出す側に立てばたちまち心細くもなるものです。それが読者を感動の渦に巻き込む物語を書くとなれば、いっそうの技術や力量に加え、それ以上の何ものかをも要する難しい課題であるのは論を俟ちません。
では、ここでまた質問です。「感動」を生むセオリーがあるとしたら、あなたは活用しますか? そんなマガイモノの感動なんぞお呼びでないと背を向けるでしょうか。確かに、そうした態度は高尚といえるかもしれません。でも、少し待ってください。感動のつくり方といったって、決して安易な手抜き話をしようというのではありません。そもそもセオリーに背を向けるのだとしたら、各種の創作講座も基本的な小説作法も無用ということになりかねません。が、学問として立派に成立している基本セオリーがあるのはご存じのとおり。以前、このブログでもジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』を紹介し(ヒーローの作り方 〜常人が英雄になるプロセス〜)、『スター・ウォーズ』をはじめ数々のヒーロー物語がキャンベルの英雄譚のセオリーに基づいているという話をしましたが、これと同様に、学問的分析と経験則に拠る感動物語の基本構造があるのだとすれば、なにも頑なに目を背ける必要はないんじゃないでしょうか。ケッと唾棄するようなアンチョコ的TIPSと一旦は目しても、万にひとつも「こりゃイケる!」との可能性を感じれば、涼やかに身をひるがえし何倍にもして活かすのがスマートなクリエイターというもの。ひと言でいえば、そう、やせ我慢はいけません。
というわけで目を向けたいのは、ハリウッドです。数ある映像メディアのうちでも桁外れの観客動員数を誇るハリウッド映画。その人気の秘密は派手な仕掛けやプロモーション、カリスマ俳優陣ばかりではなく、この上なく地道かつ緻密な制作ノウハウにあることも認めなくてはなりません。そのひとつがドラマに欠かせない「脚本」で、感動物語を組み立てる脚本には小説に応用可能な基本的・絶対的なフレームワークがあります。
最も重要な基本構成は、米国脚本家シド・フィールドによって初めて理論化された、物語を三分割する「三幕構成」。これは「設定」「葛藤」「解決」の三幕からなり、およそ1:2:1の比率で組み立てられます。簡単に説明しますと、「設定」は物語が置かれた状況と主人公の目的を示し、「葛藤」では主人公が生起した事件・問題に直面していく過程を描き、「解決」は事件・試練・障害を乗り越えて(あるいは敗れて)収束へ向かう――というものです。この大プロットに感動物語を重ねて詳細構成をまとめるなら次のようになるでしょうか。
危篤の報せは何回もしたのに、乙松は幌舞の駅の灯を落としてから、最終の上りでやって来たのだった。電話をかけ続けたあげく、結局最期を看取ってしまった仙次の妻が、いまだに根に持つのも無理はない。
そのときも、乙松は雪の凍りついた外套姿で、じっと枕元にうなだれていた。仙次の妻が、乙さんなして泣かんのかね、とゆすり立てるのを、乙松はぽつりと呟き返したものだ。
(俺ァ、ポッポヤだから、身うちのことで泣くわけいかんしょ)
(浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』集英社/2000年)
泣かせる小説の名手、浅田次郎のご存じの短編『鉄道員(ぽっぽや)』。一幕の終わりくらいに当たる文章ですが、頑固な主人公像を彫琢しながら、感動効果を増す布石となっているのがおわかりでしょうか。この『鉄道員』のテキストを、先の三幕構成に当てはめて検分してみましょう。新たな知識を実例を用いて検証し、理解を深めていくのが折り目正しき勉強法というものです。『鉄道員』は同名の短編集に収められるごく短い作品ですから、未読の方は一度読んでおくとなお呑み込みやすいでしょう(→Amazon)。
「1.設定」では、鉄道員としての役目のため妻と娘の臨終に立ち会わなかった、間もなく廃線を迎える駅の駅長像が示されます。ストーリーはこの孤独な駅長に何事かが起きると示されるものの、その絶望的状況も見て取れます。
「2.葛藤」では、駅長の前に見慣れない幼女や少女がかわるがわる三度現れます(ファースト・ターニングポイント)。幼女、その姉、そのまた姉……と不意に現れては姿を消す少女らとの交流のなかで、主人公は自らの真情を見つめはじめます。やがて主人公は(読者も)、次第に成長していくような順で姉妹が立ち現れる不可思議な状況に疑問を覚えます(セカンド・ターニングポイント)。
「3.解決」では、夢か幻想か、それら姉妹の正体は駅長の亡き娘であり、鉄道員としてその勤めをまっとうしようとする父に、娘が成長する姿を見せに来たと明らかにされます(クライマックス)。死に別れた過去は変えようがない、しかし主人公は人生の終わりを幸福な気持ちで迎え、終焉に向けた鉄道の姿で幕となります。
ここに挙げた『鉄道員』だけでなく、ご自宅の書棚に収まる長編・短編、さまざまな感動物語に検証を試みることで、三幕の構成配分、物語の転換点、発想のポイントといったものが掴めてくるでしょう。
感動物語を書くに際し、もうひとつの覚えておきたいキーワード、それが「奇跡」です。『鉄道員』も奇跡を描いていますし、ホラーと感動モノの大家スティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース(ハリウッド映画『ショーシャンクの空へ』として上映され全米が泣いた)』も『グリーンマイル』も奇跡の物語でした。実際、感動物語のクライマックスとは、大小さまざまな「奇跡」の積み重ねの大団円といっていいのかもしれません。物語のはじまりではなんてことはなかった些細な出来事のすべてが、いままさに目の前にある歓喜に繋がる布石だったと知る驚きこそ「感動」にほかならないからです。
ところでスティーヴン・キングといえば、『小説作法』という著作がありますが(キングの天才ぶりを伝えるだけで、ノウハウ本としては凡人には役に立たない。が、何にせよおもしろいと評判)、そのなかで次の一節に行き当たるとさすがキング流と感じ入ります。
読むことは、飽くなき知識の深化に繋がる。先人が何をしてきたか、まだ誰も手をつけていないことは何か。何が陳腐で、何が新鮮か。ページの上で何が働き、何が効果を失って埋伏するか。こうしたことを判断する力はすべて読むことによって養われる。読めば読むほど、ペンやワープロでぶざまな失敗を犯す危険は遠退く道理である。
(スティーヴン・キング作/池央耿訳『小説作法』アーティストハウス/2001年)
他作を読むことが、未開の「奇跡」を浮き彫りにしてくれる――キングはそう語っています。感動物語に限らず、「小説を書く」ということは一朝一夕にはいきません。しかし、筆を手に持って闇雲に紙に何かを書きつければそれでどうにかなるものでもありません。筆を執ると同時に、他作も読み込む。その反復を営々と繰り返すことができるかどうかが、まず試されるのかもしれません。勤勉なる者に天は微笑む――を地で行きましょう。「奇跡」を描く感動物語が、あなたの上に奇跡をもたらさないとは限らないのです。
さて、人間とはなぜこうも「感動」が好きなのでしょうか――というはじめの疑問に戻るなら、それはもしかすると“純粋回帰願望”といえるのかもしれません。すなわち人が人である限り、感動は水や空気と等しく、ごく自然な生理現象として人体が求めてやまないものなのではないでしょうか。水が体内の水分バランスを整え、空気が血中酸素濃度を適切に保つのと同じように、感動は脳内の一領域に特定の波形を描いているはずなのです。水をつくる仕事、空気をつくる仕事、そして感動をつくる仕事。悪い響きではありません。しかもそれは、決して容易な仕事ではありません。そのことを知ったいま、どのように大衆化されたものであっても、他人様の仕事を「安い感動」などとはなかなか言えないはずです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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