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「復讐ほど高価で不毛なものはない」と警告したのは、“ヒトラーから世界を救った男”ウィンストン・チャーチル。「常に復讐は、小さな、弱々しい、憐れむべき、心の悦びでしかない」と哀れめかして首を振ったのは、18世紀フランスのモラリスト、ジョセフ・ジューベル。偉人・著名人らによる復讐についての訓戒の言葉は、まだまだ挙げればきりがないほどです。当然ながら、良識ある一般市民が平時の精神状態にあれば、「復讐」という行為の不毛さ、虚しさは充分理解しているわけですが、その一方で、復讐や報復の物語は古今東西引きも切らさず生産されつづけてきた歴史があります。
まあ、心理学などをもちだすまでもありませんが、要するに、現実世界では叶えられない欲求・鬱憤を晴らしてくれる、勧善懲悪の痛快な成就が復讐物語の役割ということなのでしょう。卑劣な策を講じた悪人が相応の報いを受けるまでの顛末は、ヤンヤの拍手喝采が送られるクライマックスシーンへの道程そのものともいえます。また、実際に私怨ほとばしる書き手がいたとしたら、自身が抱えきれぬ怨念を文字や物語に宿すことで、エクトプラズムのように呪詛の塊を排出することができるのでしょう。事実、そのような目的をもって本を出版しようという方は一定数います。
ということで、今回は「復讐」の描き方を覚えましょう! ……いえいえ、ここで「だからといって……」となるのが、当ブログのお決まりのパターン。作家になりたいと愛読してくださっているあなたなら、もうお馴染みですね。そう、今回は「復讐」のように一種トラディショナルなテーマに安易に手出ししてはいけないよ、出すなら相応の心がまえで――という話でございます。創作・執筆における躓きや失敗の大きな原因のひとつは、著者のあまりにも気安いスタンスにあります。道端の石を無造作に、あるいは直感的に拾うようにして、我が創作物のテーマやモチーフを選んではなりません。偉人たちの重々しい訓辞から見て取れるのは、「復讐」とはいわば人間の領域を超えた所業だということ。あなたの作品を「ただの恨みつらみの暴露本じゃん!」とか「軽薄なエンターテインメント未満の二番煎じ」などと断じさせぬためにも、これから描く物語には、深い洞察的筆致を追究してまいりましょう!
今も昔も復讐鬼の物語が人々の心を惹きつけてやまないのは、それが幸福と安寧に背を向けた人間の究極の姿だからであろう。世界の文学史上最も有名な復讐鬼、モンテ・クリスト伯。19世紀フランスの文豪、デュマが創造したこの人物もまた、目的を果たすごとに、底なしの泥沼へと一歩足を踏み入れていく。
(アレクサンドル・デュマ作/山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』岩波書店/1956年/商品説明文より)
いまどきそんな子どもは少ないのかもしれませんが(残念…)、読書を娯楽の一部とし、少年少女世界文学全集を心の友とする昭和の児童を熱狂させた一冊に『巌窟王』(『モンテ・クリスト伯』)がありました。作者は大デュマと呼ばれたアレクサンドル・デュマ・ペール(息子の小デュマ、アレクサンドル・デュマ・フィスは『椿姫』の作者)。この華麗なる復讐の物語は、素朴な子ども(たいてい男児か)の脳裏に、復讐とはイカした冒険の成功の顛末なのだという意識を完全に植え付け、彼らの身体は、後々までそこらで「復讐」と小耳に挟むたびに、血沸き肉躍るという条件反射を起こしたものでした。しかして、子どもにとっての『巌窟王』はとてつもない冒険の物語でしたが、人の心の闇と愚かさを知る大流行小説家デュマによるオリジナル版『モンテ・クリスト伯』が、まさかまさか単純なエンターテインメントで終わるはずがありません。デュマはこの大長編小説を、自分の体験にはじまり実際の事件、宗教的啓示から歴史の綾までを素材とし、大胆に端然と織りなして豪奢な復讐物語に仕立て上げたのでした。
デュマのこの物語は、モンテ・クリスト島に残る記録をヒントに書かれたものですが、実はそのなかにはデュマの実父の人生がしっかりと写し込まれています。デュマの父は、もともとナポレオン・ボナパルトに重用された軍人でしたが、ナポレオンに対する批判的態度からやがて遠ざけられ、捕虜になるとそのまま捨て置かれ、この監禁生活の衰弱がもとで命を落とすことになりました。デュマはこうした父の境遇を、華麗な復讐を成し遂げるモンテ・クリスト伯に投影したのです。一見現実離れしたように思える復讐譚も、ただの冒険フィクションなどではなく、作者に直接かかわる実人生の栄光と破滅がその根にあったというわけです。
待て、しかして希望せよ。
(『モンテ・クリスト伯(七)』岩波書店)
憎しみ、恨みに燃えながらも、次第に良心との相克に苦しむ類の復讐物語の原型は、おそらく200年近く前に描かれたこの『モンテ・クリスト伯』にあったものと思われます。敵の破滅を見届ける報復の凱歌はいつしか鳴りを潜め、動揺するモンテ・クリスト伯は、自らの苛酷な道のりを振り返りながらある答えに辿り着きます。生きては出られないといわれた地下牢の地獄。誰ひとり成功した者はいない脱獄を成し遂げさせた復讐への固い意志。主人公のエドモン・ダンテス(モンテ・クリスト泊)にカタルシスをもたらしたのは、のちに手にする莫大な財産でも社会的栄華でもなかった。若い善良な友に宛てた手紙に記された上掲の言葉が示すように、それは復讐を遂げていく過程で生まれてきた赦しの心であり、“希望”の真の達成でした。
我らの人生を半ばまで歩んだ時
目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。
まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。
ああ、その有様を伝えるのはあまりに難しい。
深く鬱蒼として引き返すこともできぬ、
思い起こすだけで恐怖が再び戻ってくるこの森は。
死にまるで変わらぬほど苦しいのだ。
しかしその中で見つけた善を伝えるために、
目の当たりにしたすべてを語ろう。
(ダンテ・アリギエーリ著/原基晶訳『神曲 地獄篇』講談社/2014年)
いまも西洋文学史に燦然と輝く古典、ダンテ・アリギエーリの『神曲』(ちなみに、ダンテ自身は単に『喜劇(Commedia)』としたこの作品のタイトルに『神曲』という訳語を考案したのは森鴎外)は、地獄と煉獄、天国を巡る一大叙事詩です。ダンテは、至上の愛を捧げたベアトリーチェを失った悲嘆から『神曲』を書いたといわれています。しかし、愛する女性を失った悲嘆から書かれた詩篇が、このような壮大な世界を形づくるに至ったというのは、考えてみれば不思議なことではありませんか。この不思議を解くところに、『神曲』のいまだ失速することのない魅力の秘密があります。実際ダンテは、パトロンへの書簡のなかで、人生における道徳的原則の解明が執筆の目的であったと語っていますが、愛の喪失を嘆く目は、いかにして深遠な寓意や宗教観に満ちた世界を見通すこととなったのでしょうか――。
政治家を目指していた20代のダンテは、反目しあう党争いの只中に身を置いていました。党争いといっても論争のような生ぬるいものではなく、血で血を洗う紛れもない闘争で、そこに参加したダンテは地獄のような光景を目に焼きつけ、のちに「地獄篇」のなかに描いています。その事件は、奇しくもベアトリーチェの死と時を同じくしていました。命からがら戦闘には勝利したものの、その後党は分裂し、紆余曲折を経て弾圧の対象となったダンテは、故郷フィレンツェを永久に追われます。こうして、政治世界のなかでも、一市民としても、ダンテの孤独な流浪がはじまり、やがてその精神は『神曲』執筆に向かうことになります。1307年、ベアトリーチェの死から17年が経過していました。
『神曲』において、ダンテは永遠の愛を捧げたベアトリーチェを女神のごとく崇める一方、腐敗政治を弾劾し、自分を追った人々を地獄に堕とし、あるいは煉獄でその罪を暴きました。愛の宝石と復讐の刃をもって巡る地獄・煉獄・天国篇。呵責ない報復の因果を秘めた『神曲』は、人の生の総決算でありながら、人間世界のスケールを遥かに超える荘重な旅路を描き出したのでした。
もとをただせば、「復讐」の思想には宗教教義が匂います。仏教の因果応報、罪と報いの同等を説くハンムラビ法典の報復律。「復讐」とは、もとより天国と地獄からほど近いところにあるのかもしれません。ところで、晩年になって「天国と地獄」や「神と悪魔」といった主題に目を向ける古今東西の作家は少なくありませんが、この現象は何を示唆するものでしょうか。ダンテも『神曲』の完成後間もなくあたかも燃え尽きたように他界しました。ゲーテは己の創造の集大成といわんばかりに『ファウスト』の完成に全精力を傾けました。詩人の金子光晴は、「六道」をテーマに最後の詩集と眦(まなじり)を決し、その仕事の途で急逝しました。彼ら作家たちにそれぞれ思うところは異なるのでしょうが、ともかくも最後に同様の主題を選んだ事実は注目に値します。ふてぶてしくも偉大な作家たちのこと。自らの来世や輪廻転生を追究しようとする神妙な面持ちではなかっただろうと思われます。あるいはそれは、己が人生に対する最後の抵抗、まさしく「復讐」の一矢であったのかもしれません。
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