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昨今、科捜研やら鑑識やら、警察庁のいわば裏方ともいうべき専門職にスポットを当てたドラマや映画が目につくようになりました。こうした現象に一役買ったのは、何を隠そう米国の小説家パトリシア・コーンウェルの『検屍官』シリーズ。女性検屍官を主人公としたこのミステリーはいまや24作を数え、売り上げ累計は世界で1億冊、日本でも1300万冊を超える桁外れの数字を誇るベストセラーですから、お馴染みという方も少なくないでしょう。ただ今回は、超人気ミステリーの秘密でも研究するのかといえばちょっと違って、物語を書きたい人のために、もっと具体的に、ピンポイントで「ヒロイン像」に照準を絞り、その個性と魅力について考えてみたいと思います。
もとより、長大なシリーズを引っ張っていくことのできる主人公のキャラクターが、通り一遍の講釈で語り切れるはずがありません。『検屍官』シリーズの目覚ましい成功も、陰翳のある緻密なストーリーに負うところは大なのですが、当然、ヒロインのケイ・スカーペッタの存在なしには到達し得ない偉業であるはずです。では10作、20作というシリーズ継続の長きに亘り、読者を誘引しつづける力量と魅力を具えているのは、いったいどのようなヒロイン像なのでしょうか。検屍官スカーペッタのほかにも、物語のそうしたヒロインは存在するわけですが、実は、どうも彼女たちには“共通する要素”があるようです。
バージニア州検屍局長(その後異動や出世を繰り返す)ケイ・スカーペッタは、イタリア移民の両親から生まれた2世で、2世移民の多くと同じように貧しい幼少時代を送りました。父は早世し、アメリカに馴染めない母と人格破綻者の妹を抱え、苦学しながら資格を得てキャリアを築くに至ります。あくまで善と正義の側に立つスカーペッタ。現実の多くのエリートたちと違い、彼女が第一義とするのは権力でも名声でもなく、検屍官(日本の「検視官」とは違い監察医として解剖も行う)として最善を尽くすことでした。無論、善と正義を貫くのは並大抵ではなく、やはり理想と現実の狭間で彼女は常に苦悩し、組織のなかでも苦闘します。そんなスカーペッタに武器として与えられたのが、専門家としての知識・技術、そして直感力であり、それを駆使して彼女は数々の難局を切り抜けるのです。プロフェッショナルとして飛び抜けた能力を発揮するヒロイン像。そこにはフェミニズムが最も洗練された形で発現しているようにも見え、おそらくは彼女が醸すそうした思想や哲学が、多くの読者を惹きつけるのでしょう。
ただしそれだけでは、当たり前の善玉ヒロイン、無難な名探偵役にも終わりかねません。長大なシリーズを引っ張りつづける無二の力強いヒロイン像には、さらなるプラスアルファの要素が求められます。ということで、作家になりたいと心に期する者は、ここで“人物造形の掘り下げ”について考える必要が出てくるわけです。
シリーズを背負って立つのに、ヒロインのキャラクターが平板なようでは、なかなか厳しいものがあります。読書体験において、読み手は想定外な感覚に接するパッションを求めています。こういう場面ではこうするだろう、こう思うだろうという予想のもとに進むストーリーは退屈極まりないのです。いい意味で読者の予想を常に裏切る、深みと複雑さが求められるのです。
その点、スカーペッタの人物は20作の歴史を重ねてもなお謎めいています。思わぬところで感情を爆発させたり、度を失うはずの場面で静かな湖面のようにしんとしていたり。そんな、なぜよ!? なぜなのよ、スカーペッタ! と思わせる真の人間らしさに接すると、まだ表に出ていない顔があるようにさえ思えてくるのです。つまり、彼女のことをもっと知りたくなるのです。読者は想像を膨らませ、スカーペッタの個性の背景に目を向けます。そこには、生まれ育ちと職業人としての半生に起因する彼女の底知れぬ闇やトラウマの部分が垣間見えます。スカーペッタは善の性質と意志の力によってそれを埋めつづけてきたのかもしれません。その反作用として、彼女の予想外の感情の起伏があるのだと気づいたときには、読者はもう彼女のありありとした人間性に触れ、離れられなくなっているのです。
「自己実現論」で有名な心理学者のアブラハム・マズローの言葉にひとつのヒントがありました。
「世界の悪についてだけ考えれば人は悲観的で絶望的になる。しかし、悪を一切見なければ単なる底抜けの楽天家になってしまう」
スカーペッタもまた、途方もない悪に数限りなく接したことで傷を負いながら、同時にみずからの精神を鋼のごとく鍛えていったといえるのではないでしょうか。
さらに、良質なヒロイン像に必要なのは、“ファム・ファタール(運命の女)”の要素です。例外なく不思議な宿命を背負うヒロインの容貌には、魔性の妖しい美とは対極的な凛々しさや光のイメージが具わっているものです。ときにそうした特質は、いわゆる「選ばれし者」の不可侵性や妖精のような捉えがたさとなって読者の前に立ち現われます。検屍官ゆえ、スカーペッタの患者は誰もが死者であるわけですが、悪の所在を突き止め正義を貫くそのメスは、神業のように冴えて狂いがなく、敏腕捜査官や粗野な刑事、凶悪な犯人をも惹きつけ、彼らの運命をさえ変えていくのです。
さあここで本稿の要諦をまとめてみましょう。それは4つ。1.ヒロインに哲学をもたせる。2.ヒロインに意外性をもたせる。3.その意外性のルーツにヒロインの根源的葛藤を配置する。4.ヒロインには精神的な清冽さが必須。
こうしたスカーペッタの資質とキャラクター設定は、他の長編シリーズのヒロインたちにも共通項が見出せます。たとえば、『時の旅人クレア』にはじまる『アウトランダー』シリーズ(ダイアナ・ガバルトン著/ヴィレッジブックス/23巻続刊未定)のクレア、『アンジェリク』(S&A・ゴロン著/講談社/全28巻)のアンジェリクらがそうです。ただし、共通する要素を具えていても、彼女たちが類型を思わせるようなことは一切ありません。ひとりひとりが強烈な個性のもち主、みずからの意志に忠実な強い人間であり、作中の他の登場人物はもちろん、読者をも魅了する一筋縄ではいかないヒロインたちなのです。
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