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「世界観」という言葉、誰もが耳にしたことがあると思います。この言葉の一般的な使い方、「すごい世界観だよね」「あの世界観には馴染めないんだよなあ」などと口にされるところを見ると、多くの方がその意味を何となく掴んでいる様子が伺えます。しかし昨今、何ごとも“何となく”で済まされることが多いように、この「世界観」もまた“何となく”の気配が濃厚だな――と感じることもしばしばです。ご承知のとおり、芸術や文学の創作に臨もうとするとき、よくも悪くも曖昧な“何となく”の姿勢は厳禁、それでははじめから惨敗しているといって過言ではありません。たとえニュアンスだけを提示する作風なのだとしても、創り手本人のなかでまで“何となくの世界観”では、絵画も小説も真に成り立つことはあり得ないのです。それは絵本・童話もまた然り。いや、絵本・童話のジャンルであればなおいっそう、目に見えて出来不出来を決定づけるのが世界観なのですから、万が一にも、あなたがぼんやりと創作に臨もうとしていたなら、ここでヒッと襟を正して今回のお話を聞いてください。
「世界観」とは、世界を意味づけ規定する考え方のこと。もともとは神話や哲学や思想などの学術的ジャンルに登場する用語でしたが、文学領域では、まずファンタジー小説やライトノベルを語るのに用いられることから知られるようになり、いまでは物語における設定を作品全域に行き渡らせる根本的な考え方・意味づけとして広く認知されるようになりました。なぜ先行したのがファンタジーだったかといえば、考えてみてください、多くの読者が初めて体験するまったくの架空の意味不明の世界で、モノやコト、人間が明確な動きを見せるものでしょうか? いや、より正確にいうと、明確な動きを見せたとして、読み手はそれをスッと受け入れられるものでしょうか。――あり得ません。いきなりタコが直立歩行しはじめたら、その意識的に創られたフィクションの世界に鼻白むばかりです。よくわからない設定の世界、酔っ払いか夢遊病者のごとく登場人物が蠢く物語が読者に何ごとかを伝え得るでしょうか。――あり得ません。それはちょうど、テレビをつけたら気になっていた映画がやっていて観はじめたものの、すでに中盤にさしかかろうという局面ではなかなか没入できないのと同じようなものです。と、かように重大な「世界観」のはずなのですが、それが意外なほどに驚くほど“何となく”扱われているのが現状なのですから、これは大問題であります。
『サザエさん』は、戦後の風俗世相を記録したことよりも、近代社会が生み出した風俗の終焉を記録した価値の方がより大きいように思える。
(清水勲『古きよきサザエさんの世界』いそっぷ社/2002年)
さて、絵本・童話の世界観を学ぶにあたって格好のテキストを引かせていただきました。50年以上におよぶ放送でギネス世界記録にも認定された、ご存じ国民的アニメ『サザエさん』です。原作者・長谷川町子はこの作品に、戦後の平和な社会で明るく屈託なく毎日を送る家族の姿を描いています。しかし、戦後とはいえ当時の日本社会がのほほんと平和であったはずはなく、長谷川町子は『サザエさん』に理想的な社会と家族の図を託したと見るべきなのでしょう。原作は、長きに亘る連載中、時代に即した要素が織り込まれニュアンスの変化も見られましたが、テレビアニメのほうは時を止めたように、連載当初の時代の空気感、温かく普遍的な家族の像を守りつづけているといえます。
もちろん、サザエさん世界に生きる家族の姿が理想的とは思わない、という意見もあるようです。人間は自分自身やその考え方を現実と切り離しては構築できない生きものですから、そういう意見があっても頷けます。ですが、「共感する」「同調する」ということと、心惹かれるということはまた別ものです。理想的ではないといいながら、現代においても変わらず『サザエさん』が放送歴の記録を伸ばしつづけ、テレビアニメの視聴率で不動の上位ランクを誇るのはなぜか――。その秘密は、人間の根源的な情緒と風俗・習慣に触れる世界観、そしてその世界観を形づくる水も漏らさぬ創作意図にあります。
『サザエさん』が描いているのは、日本社会が高度経済成長へとひた走る以前の「現代の端っこ」。ゲームもパソコンもスマホも、子どもたちの夜な夜なの塾通いも学級崩壊も陰湿ないじめもあらゆるハラスメントも……、まったくない世界です。登場人物たちは、兄弟げんかしたり晩のおかずに悩んだり、おっちょこちょいをしでかしたり、ごくごく小さな領域に生きてその枠から逸脱することはありません。今日的な“何か”をちょっとつけ加えようかと、現代的な新しいアイテムを導入したり社会問題をもち込んだりすることは一切ないのです。そこには、よき昭和の香りを漂わせるのんきなサザエさん一家が暮らす最適な環境が保全されています。いわば「創作エコロジー」の姿勢が徹底されているのです。
もちろん、小説や童話を書くにあたっては、タイムリーな社会問題を提起しメッセージを発するスタンスも大切です。ですが、メッセージを発する物語の世界観に曖昧さや揺らぎが残るのであれば、その作品は伝達手段として力が弱いまま潰えてしまうことになります。絵本や童話には、寓意性やファンタジー性、夢や楽しさといった要素も重要ですが、それらもまた、練り上げた世界観のなかから雄弁に訴えられるものであることを忘れてはなりません。作者が創作に込める思いや祈り、それは直截に語られ得ることはなく、一度昇華してはじめて作品に宿るものなのです。
モダニズム建築の巨匠、アントニ・ガウディはこんな言葉を残しています。
創造的であろうとして、意味の無いものを付け加えてはいけない。
短いですが強烈に「ウッ……」と来る一文ですね。さすがは天才ガウディ。サグラダ・ファミリアの威容にまったく別の見方を教えてくれるような、深々と胸に刺さる示唆的な言葉ではないでしょうか。日本人的美観からするとエイリアンの巣のようにも受け取られかねない建築物ではありますが、この一節を説いたのがガウディと知れば、アンチ派もその色眼鏡を寸時はずして屹立する幾本もの尖塔を見上げることでしょう。
創造・創作に魅力と訴求力をもたらすものは、完璧な世界観、そしてその世界観を築くための練り上げた構想と手法です。絵本や童話を描くとき、あなたがこの姿勢をもち得たならば、それはきのうまでとはひと味もふた味も違う、実り豊かな出来映えを予感させる転機の一作となることでしょう。「世界観」――さあ、このキーワードを念頭に、ぜひ新たな創作ステップへと一歩を踏み出してみましょう。――来週? いや、いまこそ!
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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