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突然ですが、メロドラマの「メロ」について考えたことはおありでしょうか。メソメソッと泣くのに加え、ヨロヨロッとよろけて跪くような、擬態語みたいな感じで捉えている方もいらっしゃるかもしれません。メロドラマの仕立てからいって、確かにそれも正解のように思えます。しかしもともとは由緒正しい外来語で、「メロ」の語源「メロス」とはギリシア語で「歌」の意味。感傷的な芝居を盛り上げるためのBGMのことだったんですね。この「メロドラマ」が属する小説分野を、俗に「通俗小説」と呼びます。大衆の好みに合わせた娯楽小説であり、究極の芸術性を目指す純文学とは対極に位置します。市井の人々の実体験や生活の延長線上で実感的に理解できる物語であり、大衆文学、大衆小説と呼ばれたりもします。さてこの大衆小説、高潔な純文学ファンからはフンと鼻を鳴らして蔑まれることもあるようですが、むしろその態度こそスノッブも甚だしい。芸術性がそんなにおエライのかよと、逆に鼻を鳴らし返してやるべきでしょう。何たってかのユゴーもバルザックも、通俗小説で文豪に成り上がったのですから。
けれど正直なところ、日本の土壌で日本の作家がユゴーやバルザックのような華やかで壮大な小説を書くことは難しいのかもしれません。また現代日本で、アカデミックな分野でも血縁的にも背景をもたない新人作家が、欧州の王政を下地にするような壮大なスケールや芳しい文化をあえて作中の軸に据えるのは畑違いのようにも思われます。しかしご安心ください。日本は日本なりのスタイルで、純文学ファンの鼻をあかす“立派な大衆小説”を書くことだって可能なのです。そしてそれは作家になりたい者にとって、挑戦と修練のまたとない機会にもなります。この挑戦に臨むキーワードが、本稿のテーマ「通俗小説を通俗に描かない」なのです。
たとえば吉川英治は、閃光のごとき剣で敵をバッタバッタと薙ぎ倒す剣豪小説で一躍大家となりました。江戸川乱歩はシャーロック・ホームズの向こうを張る名探偵明智小五郎を創出し、幕末回天史に奇々怪々な色づけをした『南国太平記』を書いた直木三十五は、その名を文学賞に冠せられ現在も年に二度、世間の耳目を集めています。ジャンルでいえば「剣豪」に「推理」に「歴史」と、本邦の大衆文芸業界にもなかなかの名家がそろっているわけですが、日本の通俗小説史をなぞっていくと、オヤ? と首を捻るある事実に気づきます。それは「恋愛」がテーマの通俗小説の不作ぶり。神々しい輝きを放つ恋愛小説がほぼ見当たらないんですね。そんなことないと反論しようとしてまず頭にパッと浮かぶのは『源氏物語』だったりしませんか? でもそれは、現代の日本社会とあらゆる点においてかけ離れた平安の貴族社会における産物。以降の武家社会から現代までのおよそ850年をザーッと振り返っても、瞬時に出てくる作品の名は人によりかなりのばらつきがありそうです。これいかに? そもそも日本版通俗小説の恋愛劇というと、昭和の四畳半が舞台であったりサラリーマン社会に照準を合わせたりと、いかにも小市民的な歩み寄りに終始している様子なのです。それはそれでおもしろく読めるのですが、その程度の感想に留まってしまうものだから、純文学方面から軽んじられるの已むなし……いやいやしかし、だからといって書き手が踏み込んではいけない分野だというわけでもないはずです。いやむしろ、もしあなたが未来の花形作家を目指すなら、それは難易度高くおもしろい、競合のいないブルーオーシャンでチャンスを掴むかと、武者震いをひとつして取り組んでもいいジャンルかもしれません。後世に残る通俗的恋愛小説、これは功成り名遂げる隙間だぞとひとり打ち震えて──。
とはいえ、大衆に受ける恋愛小説を書こうとすると、ついつい前述のとおり市民生活に密接な設定や題材を意図しがちです。それでは一閃煌めくような新鮮味は生まれようもありません。よくいえば普遍性、平たくいえば迎合に与した姿勢に、作家としての華々しき未来は訪れないということです。では、通俗的恋愛小説の創作にどのように臨むべきか。そこには、恋愛劇を際立たせる新しい表現への試みがあって然るべきでしょう。つまり「表現」を磨くのです。「文体」といってもいいかもしれません。いやそうはいっても、ヒントを得る前例やテキストがないじゃないか、さっきそう言ったじゃないとお思いのことでしょう。いえ、それがあるんです。
「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処どこでこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
(尾崎紅葉『金色夜叉』/新潮社/1969年)
この一連のセリフで有名な尾崎紅葉の『金色夜叉』。明治時代の作品です。なに? 明治の割には古めかしすぎる? それもそのはず、紅葉にはある企みがあったのです。1897年(明治30年)に読売新聞紙上で連載がはじまったこの小説は、たちまち通俗小説世界の覇者に躍り出るや、それから一世紀ものときを経た1998年までにじつに39刷を重ねています。100年もかけているのだから当然と思われますか? いやその逆です。39刷よりも「十年一昔」×10回という時間のなかで、埋もれることなく版を重ねているのがすごいのです。それは『金色夜叉』人気が一時の流行ではなく、時代を超えて人々の心を動かしていることの証左です。作家や有識者のなかには、ヘタな恋愛小説にうつつを抜かすならこの小説を読め、と断言する人もいるくらいですが、実際、それだけの内実と底力と名作の威厳を具えた作品といえるでしょう。もとより、流行作家になりたいと流行作家の轍をなぞっても勝利のゴールへ辿り着く保証などありません。が、それを承知の上でも本作に触れてみることをお奨めするのは、自らの創作に真摯に向き合い実りを得ようと切磋琢磨する本気の探求心を目の当たりにすることができるからです。『金色夜叉』という古典的通俗小説には、作家誰もにとって重要なヒントが隠されています。
『金色夜叉』は、身寄りのない貫一が引き取られた家の娘・宮と許婚になるも、宮は金に目がくらんで資産家に嫁ぎ、貫一は宮と金への恨みから金の亡者への道を強引に歩み、やがて(いろいろあって)失意の宮と再会し、すがられるが袖にして……というお話です。どうです? このあらすじ。いかにも通俗的でしょう。ところが、あえて俗な物語に挑んだ紅葉は、執筆に渾身の手法を試みました。口語と擬古文(和歌に倣った古い文体)を織り交ぜた雅俗混淆の文体を用いて表現したのです。要するに、紅葉も通俗な話を通俗に描くことを避けたのです。現代からすれば相当にむかしの明治期とはいえ、またいまや文豪と誰もが疑わない紅葉をしても、雅俗混淆の文体で全編を貫くのは相当な努力が必要だったはず。それは想像に易いです。しかしその賜物として、この手法は画期的な成果を上げ、手紬の麻糸と金糸が精妙に織りなされたかのごとく、かつて誰もが一度も触れたことのない優雅で華麗なる通俗世界を花開かせたのでした。
もちろん擬古文を用いた小説を書けと安易に唆しているわけではありません。試してみる価値がないとはいいませんが、時代錯誤に終わる可能性は大、という気もします。紅葉のこの決意の試みから感じ取るべきは、通俗小説を通俗に描かないための姿勢とヒントなのではないでしょうか。上掲の貫一のセリフを現代語訳してもう一度振り返ってみましょう。許して貫一さん! と取りすがる宮を貫一は下駄履きの足で蹴り倒しました。よよ……と泣き崩れる宮……。現代なら立派なDVと扱われる暴挙ではありますが、本作においてはそれが見事に昇華され、比類ない名場面として伝説化したことは事実です。小説の舞台となった熱海の海岸にはこのシーンを再現した貫一・宮の像が建っています。これを見て実際に起きた出来事と思う人もいるそうです。またその像の前で、『金色夜叉』を知らぬまま、連れを蹴り倒す真似をして浮かれるカップルがどれほどいたことでしょう。『金色夜叉』は数多くの映画や演劇が興行されていますが、これほどまでにドラマティックな場面をどれだけの小説が描き得たでしょうか。つまり、人の心とフィジカルに、ある種の衝動を与えずにおかない一幕を、雅で麗しい筆致で描いたからこそ、紅葉の『金色夜叉』は永遠の価値を手にしたのです。これぞ大家の仕事なり──。
あなたがもし作家になりたいと思うならば、通俗小説に新たな眼を向けてみてはいかがでしょう。それは人知れず奥深く、また、未知の可能性を秘めた栄えある世界のように思われます。「通俗小説を通俗に描かない」──明日の流行作家にとって挑戦しがいのある大いなるテーマです。
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