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子どもに読ませたい「真の絵本」を考える

2021年10月18日 【絵本・童話を書く】

絵本とは、子どもの成長の糧となるべきもの

子どもに読書に親しんでほしいと願わない親はまずいません。子ども時代に自分がさんざん苦しめられたことも忘れ、いまの自分がスマホばかり眺めていることも脇に置いて、子には「本を読め、本を読め」と念仏のように唱えてしまうのが親の性(さが)というものです。そりゃあ情操教育にはよいに違いないし、想像力だって養われるはず。知識欲だって刺激されて、ひょっとすると将来はその知を武器に何かの道の傑物にならないとも限りません。事実、世に名を馳せる人物というのは、往々にして本の虫だったりするわけですから。ということで、何でもいいから子には読書をさせましょう、絵本を読んであげましょう──ということなのかといえば、当然そうはいきません。特に幼少期の読書とは、読書の原初的体験という点でも、読書を通じて作品世界を追体験するという点でも極めて大切なものです。手当たり次第に本を選び、安易にことを進めるのは禁物なのです。だいたい、オオカミとウサギが仲よくしている話を読んで、果たして子どもが人種を越え国境を越え人は皆仲よく生きなければならないのだと、一休さんのような悟りを啓いてくれるものでしょうか。そういう淡い期待は、そもそも大人の世界で俗にいわれる“きれいごと”の体裁ではありませんか? うわべだけのきれいさで美意識や善を学ぶことができないのはもちろんのこと、読書の本当の楽しさだって知ることはできません。

では、子どもにとってよい絵本っていったい何? と急に問われても多少戸惑いを覚えるものです。オオカミとウサギが和気藹々する話だって、それが子どもの成長の何の足しになるかはわかりませんが、ともかくも気持ちよくは読めるし、苦労して手に入れた妙薬で病気のおっかさんが救われる話に触れれば、大切な人を思い遣る気持ちの大切さや、努力すれば報われると教えてくれる気もします。そうした、わかりやすいハッピーが円環をなす本のどこが悪いんだと思いますよね。それは、そうかもしれません。けれど現実には、仲よくしようにもできずに終わることもあれば、努力しても報われないことも多々あります。自然界にあっては、もちろんウサギはオオカミに食べられてしまいます。ウサギがうまいこと逃げおおせぬ限りは、100%の確率でなぶり殺されオオカミの胃に収まるほかないのです。つまり、現実世界のほとんどはきれいな円環などなさず、必ずどこかですれ違い行き違いが生じ、うまく繋がったように思えても綻びが出て、その埋め合わせの合間合間に人は小さな喜怒哀楽を繰り返し一生を終えるものなのです。そうした個々を襲う不条理、現実の痛みや残酷さを取り除いたのが、いわゆる“きれいごと”。それは目にも心にも優しく、キャッチーで手に取りやすくもあります。ただその優しさが過度になればやはり、真にワクワクするような冒険の楽しさを伝えることからは遠ざかってしまいます。何もエグいストーリーに子どもを触れさせようという単純な話ではありません。大切なのはその線引き。あなたがもし絵本作家になりたいと思うのなら、“子どもの糧となる作品を書く”ということに、真摯な上にも真摯に向き合い、古今東西のレジェンド的作品の原書に忠実な訳書を選び、この“線引の妙”に焦点を当て読んでみることをお奨めします。

「生きた冒険」という重要なキーワード

絵本を描く(書く)そもそもの出発点として、助け合う物語を読めば相互扶助の精神が育つとか、ふわふわ優しいお話であれば優しさが養えるとか、大人の理想的絵空事で済まそうとする態度を、まずは一番遠い場所へと追いやり鍵を締めて閉じ込めてしまいましょう。子ども向けの作品であるからといって、大人の単純な理屈を押しつけてよいわけはありません。 児童向けの書というと、誰もがついつい道徳観念を振りかざしてしまうものですが、正直そんなものは大人も子どもも楽しめたものではありません。では、絵本とは本来どうあるべきなのか──それを真正面から説いた児童文学者がいます。『指輪物語』や『ナルニア国物語』の翻訳で知られる瀬田貞二です。彼は、著書『絵本論』のなかで次のように述べています。

幼い子供たちが絵本のなかに求めているものは、自分を成長させるものを、楽しみのうちにあくなく摂取していくことです。これまでの限られた経験を、もう一度確認して身につけていく働きや、自分の限られた経験を破って知らない遠方──活発な空想力に助けられて、解放されていく働きを、絵本がじゅうぶんにみたしてくれることを求めます。いいかえれば、小さい子たちが絵本に求めているのは、生きた冒険なのです。絵本は、手にとれる冒険の世界にほかなりません。

(瀬田貞二『絵本論』/福音館書店/1985年)

ここでいう「冒険」とは、宇宙を股にかけ悪漢を退治するファンタジーを意味するわけではなく、身近にあるけれども未だ知らない世界(自己内部を含めて)との出会い、というふうに解釈すべきでしょう。いうまでもなく子どものまわりには未知のものがいっぱいです。それらとひとつひとつ出会い、よかれあしかれその結果を感じとって、彼らは健全な成長を遂げていきます。その総体をもって経験と呼ぶのでしょう。にもかかわらず、彼らの周辺の小さな石ころまで取り除こうとする過干渉の大人がいかに多いことか。石に蹴つまづき擦り傷をつくり、笹薮で手を切る小さな英雄を見守るのがママパパの役目というものです。それは絵本についてもいえることで、「生きた冒険」につきものの痛みや残酷さにまで目を光らせ排除してはならないのです。

たとえば──『三びきのこぶた』のお話はご存じでしょう。民間伝承による古いおとぎ話で、現代邦訳された“和製・三びきのこぶた”には、幾種類ものストーリーがあり、日本の全人口のほとんどがそのどれかに触れてきたのではないでしょうか。藁の家を造ったこぶたが、レンガの家を建てたこぶたの家に逃げて助かり、やりこめられたオオカミは這う這うの体で逃げていくといった展開の、よかったねと親子して微笑んで終わる話を読んだことのある人は多いと思います。しかし瀬田貞二の原書に忠実な訳本では、藁の家を壊されたこぶたはレンガの家に逃げ込む間もなくオオカミに食べられてしまいますし、木の枝で家を建てたこぶたも同じ運命を辿ります。そして最後、レンガの家に隠れるこぶただけが知略を尽くしてオオカミを鍋にぶち込み勝利をおさめ、その後は煮て食らって幕を閉じます。こうした身も蓋もない残酷な展開を、こぶたが2匹も……最後にはオオカミまで……と、子ども向けとしてはショッキングだと考える人がいて、平たくいえば生ぬるい別バージョンが生まれたわけです。あるいは、“目には目を歯には歯を”を地で行く因果応報の感覚を前時代的なものと見る向きもあるかもしれません。

絵本作家になりたいなら野心と使命感に燃えよ

『三びきのこぶた』のオリジナルの物語は、ずっとずっとむかし、厳しい生活を強いられる庶民のあいだから生まれたものです。こぶたたちがなぜそれぞれ家を建てて自活することになったかといえば、ぶたのお母さんが貧しさのあまり子を捨てざるを得なかったから。物語の前段にあたるこのくだりだけでも、現代日本の子育て世代にはタブー視されそうです。そうして不幸にも捨てられたこぶたたちは命がけで捕食者の脅威に立ち向かわなければならなかったし、オオカミにしてもブタなど他の動物を食糧として仕留めなければ生きていけません。『三びきのこぶた』は、そんな弱肉強食の非情な自然世界を俎上に、弱者の側がせめてもの願いを込めて語り継いだ物語であり、2000年代の倫理観でマイルドに焼き直しても本来の読書体験は何割も削がれてしまうというものです。

こうした物語の恣意的な改訂について、瀬田貞二は「ストーリーの連続性を断ち切ったのんきな子どもだましの笑い話のようなものが乱暴になされるのでは、小さな頭でどう理解し、どう感じていけるでしょう」(『絵本論』)と懸念を表明しています。小説であれば、子どもだましの説得力に欠けたストーリーなどお呼びでないところですが、子ども向けの絵本や童話だからといって何の違いがあるでしょう。小説を書くとき、物語を創ろうというとき、テーマや世界観や設定やキャラクターやストーリー構成を疎かにするのはご法度と誰もが気づいているはず。それゆえ敷居が高く感じられるものです。でもそれは、子どもを対象とする絵本や童話だって同じです。彼らを甘く見ては、その軽さがありありと作品にも立ち現れてしまうのです。そのことをしかと踏まえ、ああでもないこうでもないと呻吟しつつ、子どもの健やかな成長を願う物語を創り上げていく──そんな創作態度を保つことが、絵本作家になりたい者の務めなのでしょう。容易なようでいて難しい。それが絵本をつくるという文芸的営為なのです。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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