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暑さがやわらぎ爽やかなそよ風に秋の気配を感じるようになる時期、残暑に辟易し次なる季節の到来を待ち侘びるまさにそのころ、10月4日──。1年365日、いまや毎日が「きょうは〇〇の日!」と喧伝されるなか、もう在庫も尽きるのではないかと少し心配にもなりますが、今回のテーマに関係するこの10月4日こそは、そう「世界動物の日」。動物愛護・保護を記念する日と定められています。そしてご存じのとおり、絵本・童話を中心に創作世界においては、動物を主役として描かれた物語は世に数知れず。絵本・童話作家を目指す人にとって、また小説家を志す人にとっても、「動物」は深く知っておいて損のない題材です。以前当ブログでも、動物を安易に描くのは禁物、こんなユニークな動物の扱い方もありますよ──という話をしましたが(『「動物」は物語のなかでいかに生くべき』)、そのなかで取り上げた「擬人化」について、もっと詳しく続編的にこのテーマを掘り下げてみたいと思います。なんたって今年も間もなく10月4日、「世界動物の日」を迎えるわけですからね。
動物が主役の物語の書き方として、やはり「擬人化」はもっともポピュラーな手法です。であるがゆえに、人間のように喋らせて、悩んだり喜んだりさせておけば事済めり、とも考えられがちですが、そこには「擬人化」に対するいささかの誤解があるようです。そもそも擬人化とは、天涯孤独の流れ者の猫がお屋敷に暮らす深窓の猫嬢に叶わぬ恋をする……というような、動物をまるきり人間のように取り扱って描く手法だけを指すわけではありません。「擬人化」を辞典で引けば“人間でないものを人間に見立てて表現すること”とあるように、「天が怒り荒れ狂った」「花がこうべを垂れた」という表現も、「天」や「花」を主体にした擬人化なのです。だいたい、人間が主役の物語で、喋らせ悩ませ喜ばせておくだけで深みのある人物像ができあがるとは誰も考えませんよね。動物が主役の場合もそれは同じです。要するに、動物を主人公に童話や小説を書こうというとき、短絡的手法はご法度、ただただ動物が主役であるだけの(ということがあたかも奇想天外かのような)陳腐なストーリーがひとつできあがるだけです。作品に「擬人化」をもち込むならば、それをいかに行うか、綿密な構想と計算が必要なのです。というわけで、今回参考にしたいのは擬人化の妙技が駆使された動物の物語。動物の書き方、その心得をとくと学ぼうではありませんか。
動物文学の名品といえばジャック・ロンドンの『白い牙』。この作品にはいくつか注目すべき特長があるのですが、まず挙げられるのは、鋭くも意表を突く、ストーリーの変化球的な組み立て方。『白い牙』は、野生に暮らしていた四分の一だけ犬の血を引くクウォーターの仔狼の成長物語です。動物の成長物語というと、仔が自然の過酷な洗礼を受けながら育っていったり、飼い主と別れた動物が逞しく生き抜きやがて飼い主と再会して……といったストーリーには何かしら覚えがあります。しかして『白い牙』は、そうしたストーリーの変調といいますか、真逆といいますか、だいぶん様子が異なり、野生に生まれた狼が人間社会を学び成長していく様が描かれています。といって、愛玩動物として新しい生き方に順応していくのではありません。狼の視点で人間社会を見つめつつ、新たな情緒と知恵を身に着けていく過程が描かれているのです。1906年に発表されたこの小説で、ひょっとすると著者のロンドンは、厳しくも潔い自然の姿と善悪混沌とする人間社会を対比させながら、動物と人間が共存するひとつの理想の像を映し出そうとしたのかもしれません。とまれこの作品の緻密な擬人化は、そうしたテーマ的深みと新鮮なストーリー運びがあって、いっそう読者を魅了するものとなっています。
母狼が洞穴を出て狩猟の遠征に出かけはじめた時までには、仔狼は自分の入口に近寄ることを禁ずる法則をよく学び知っていた。母の鼻と前肢によって、この法則が強くそして幾度も仔狼の頭に印象づけられたばかりでなく、恐怖の本能が身うちに発達していた。その短い洞穴生活の間に、恐るべきものに出会ったことは一度もなかった。けれども、恐怖心が身うちにあった。それは十万百万の生命を通して遠い先祖から伝わってきたのであった。
(ジャック・ロンドン著・山本政喜訳『白い牙』/角川書店/1953年)
『白い牙』における擬人化は、主人公が成長していくにつれ発現していきます。上掲の一文は、「白い牙(ホワイト・ファング)」と呼ばれることになる主人公の仔狼の野生が伝えられる場面。この時点では、未熟さと足並みをそろえるかのように擬人化は目立たず静かです。まだまだ仔狼でしかありません。そうして父母に守られ暮らす仔狼でしたが、やがて人間と出会い捕らえられます。母狼が助けにやってきますが、人間に呼びかけられた母狼はなぜか服従の姿勢を示します。実は、その人間が飼っていた犬と狼のあいだに生まれたのが母狼だったからなのです。戦闘的であったはずの母の従順な姿に驚く仔狼。その眼には、棒や道具を操り犬たちを大人しくさせる「人間」という動物が、神のごとき脅威と畏怖を与える存在として映るのでした。
ホワイト・ファングは、まさにその本性からして、神のことは何も知ることはできなかったし、せいぜいのところ、理解を超えたもののあることを知り得ただけであるが、これらの人間動物に対してもった驚異と畏怖は、山頂に立って、両手から驚倒している世界に向って電光をなげつける神獣を見たときの人間の驚異と畏怖に、いろんな点でよく似ていた。
(同上)
こうして、ホワイト・ファングの人間の世界での数奇な運命がはじまり、仔狼の内面描写へと筆が深められていきます。その後ホワイト・ファングは数々の苦難に遭いますが、荒野を恋しがったり人間への不信の念を抱いたりすることなく、“愛”という情緒を知っていきます。狼を人間に見立てるお気軽な擬人化とは異なり、狼という知的な生命体が人間の社会性に馴染んでいくプロセスを見るようです。それを無理なく読者に届けるために、四分の一だけ犬の血を引くという設定が生きてくるのです。狼という野生の血に、人間社会との共生を果たした歴史をもつ種族「犬」の血を四分の一混ぜたホワイト・ファング。その設定が彼を特異な動物キャラクターたらしめ、一風変わった味つけの物語に説得力をもたらしてくれるのです。
ホワイト・ファングはひどく感情を表にあらわしたことはなかった。鼻をすりつけてゆくことと、愛のうなりに低唱の調子を加えること以上に、自分の愛を表現する方法は知らなかった。それでもそのうちにもう一つの方法を発見することになった。(中略)ホワイト・ファングのあごはすこしばかり離れ、唇がすこし開き、滑稽というよりは愛に近い妙な表情がその眼にあらわれた。ホワイト・ファングは笑うことをおぼえたのであった。
(同上)
笑うことを覚えたホワイト・ファング。こうしてジャック・ロンドンの『白い牙』では、野生動物が人間との暮らしのなかで幸福を得て幕を閉じます。擬人化の妙技を尽くしたロンドンの物語は、人間と動物の共生の理想的象徴としてひとつの古典的テーマを文学史に刻んでいます。
ただ、ありのままの多様性が最上級に尊ばれる現代において、こうした物語が変わらず動物と人間との幸福や理想を意味するのかどうかは考えさせられるところです。平たくいえば、人間の価値観を動物に押しつけているのではないか──という疑問が2020年代としては頭をもたげてくるのです。こうした時代性に無頓着な作家が大成することはありません。これから擬人化に挑む現代の作家は、擬人化という手法をどのような動物の物語に用いていくのか、構想を丹念に周到に練る必要があるでしょう。でも、決して高望みな話ではありません。現代のコモンセンスをもって(それに従うという意味ではなく)、ロンドンばりの擬人化を果たせば、おのずと道は拓けるはず。さあ、新たな歴史への挑戦はいま、ここからです!
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