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アロマセラピーにアニマルセラピー、森林セラピー……。よく耳にするけれど、大半の人は馴染みのないセラピー(海外での「therapy」とは感覚的な癒やしという意味合いを超えて心理療法や物理療法のことを指すため、その狭義の意味でのセラピー) 。日本ではちょっと考えにくいのですが、アメリカ映画などでは、エリートビジネスマンが精神科医を「シュリンク(精神科医の俗語)」と呼んで、そのセラピーを日々の激務の支えにしている悲壮な姿を目にすることがあります。
「精神科医」を学校英語で訳せばふつうは「psychiatrist」。となるところを、あえてスラングで「shrink(語源は「headshrinker」。施術時の所作が首狩りを行う民族の原始的な宗教的儀式を思わせるから)」と呼ぶわけですから、そこには大なり小なり侮蔑の匂いが漂いもします。現にアメリカの映画や小説では、革張りの椅子にふんぞり返ってわけのわからない会話を進め、大金をふんだくるような精神科医が登場し、その信頼性をいよいよ失墜させるような場面もあります。日本においても、セラピーを趣味的なものと軽んじてみたり、実効性や確実性の乏しさから現代医学とは幾分距離を置いて捉える傾向があるでしょうか。アロマを焚いたり犬や猫をペットとして飼ったりするのは何ら珍しくありませんが、私たちはそれをことさら「セラピー」と呼びはしませんし、「セラピー」という言葉の意味合いを「心理療法」に限定するとなれば、日常からはさらに遠ざかるようにも思えます。そういった意味では、やはり大半の日本人はセラピー(狭義の)とは無縁に人生を過ごしているといえるのでしょう。
しかしですね、もしあなたが「作家になりたい!」と野心を燃やしているのだとしたら、この種の話には多少なりともピンッと来るものがあるのではないですか? 人間の心に迫ろうと詩や小説を書く以上、「心」に作用する目には見えないセラピーを軽視できないはずだからです。体表や内臓とは異なり、心の傷は病巣としては目に見えませんが、それが存在すること自体は、たとえセラピーとは無縁だとしても、たいていの人たちが認めるところかと思います。
ところで、作家を目指そうとする者が創作において行き詰まり、活路を見出だせないと呻吟するのはどのような局面でしょうか。何を書いていいかわからない? どう書いていいかわからない? 先のアイデアが浮かばない? そんな茫漠とした悩ましさが、書き手の筆をストップさせるダントツ1位の原因なのではないでしょうか。でもそれ全部、ひょっとするとあるセラピーによって解決できるかもしれません。いかがです? そう聞けばにわかに「セラピー」が立体的に見えてくる気がしませんか?
何ごとかをなそうとしてなせず、悩み苦しみ絶望したとき、どうするか──まずはすべてを諦めろ、とある心理学者が説いています。そうして、自己を捨て去る「自己破綻」の無のなかから、新たに現れてくるものを待つのだ、と。その人の名は、吉福伸逸(よしふくしんいち)。早稲田大学文学部西洋史学科中退後、アメリカの名門バークレー音楽院で学び、ジャズベーシストとして活動したのちに、カウンターカルチャーの流れを汲むトランスパーソナル心理学を国内にもち込んだ異色の“人物”です。ここで“人物”と称するのは、つまり既成の枠組みのなかで捉えやすい肩書きが見つからないからなのですが、とにもかくにも、トランスパーソナル心理学の日本における第一人者であることは間違いありません。以下、目が点になる学術系専門用語が折々登場しますが、できるだけわかりやすく説明しますので、ちょっとご辛抱ください。まず、トランスパーソナルとは、「個人」を超えることを目指す心理学です。それは、新たな啓蒙的・実地的な有効性が考えられた、従来の人間性心理学のいわば進化系であり、セラピーにはダイレクトに作用する心理学といえるでしょう。
そんなトランスパーソナルの国内の先駆者吉福伸逸の主張を集約的にまとめるなら、本来の自分を取り戻すことが何においても大切であるということ。なんだそんなことかと呆れないでください。オイラは生まれてこのかたずっと本来の自分さ、と思いましたか? しかしそうした自己認識についても吉福は、自分がどういう人間であるかという認識は幻想であるとします。つまり、それは本来の自分ではなく、思考や、感情や、他者との関係性から生じた「幻」であるというのです。自分は○○な人間、と人は“考え”るものです。ですが、そうして“考え”た時点で、人間の本来性とはすでに別の方向へ行っており、実態と○○とのあいだでは乖離が起きているということなのです。そしてその“考え”は、怒りっぽかったり、陽気だったり、くよくよしがちだったり、わがままだったりという感情面の判断から形づくられます。さらにその感情はといえば、人間を含め他との関係性によって発露するものなのです。親、きょうだい、友人、先生、近所の町並み、その匂い、読んだ本、観た映画……生まれてこの方接してきたあらゆる外界が、あなたの人となりを形成しているのだ──と言われて、それを否定できる人はいないはずです。だから、と吉福は説きます。自己破綻せよ、いまの自分を明け渡せ、そこから新たに現れてくるのが“本来の自分”であり、それが立ち上がることで初めて「存在の力」を得ることができるのだ──と。
人生の中で何度も大きなアイデンティティの破綻を経験し、そのアイデンティティの破綻をしっかりと受け止めることができれば、基本的に存在感と存在力が増していくとぼくは考えています。ただし、これを一般社会はあまり認めてはくれません。終始アイデンティティが破綻する人は、他人から見れば飽きっぽい人、信頼できない人、職業に就いても続かない人というように捉えられてしまうからです。(中略)
そうやって存在の力がついてくると、受け入れられることがどんどん広がっていきます。受け入れられないものが減っていき、世の中の常識をはるかに外れてしまったことが目の前で行われたり、自身の身に降りかかろうとしても、それを受け入れられるようになっていきます。それが受け入れる力を持つ、要するにハラが据わるということなんですね。
(吉福伸逸『世界の中にありながら世界に属さない』/サンガ/2015年)
「ハラが据わる」という言葉が、あるべき状態を実感的に教えてくれるこの一節。もちろんここでの「ハラが据わる」は、意識のもちようなんていうレベルではなさそうです。では、作家になりたい者にとっての「自己破綻」とはどういうものなのでしょうか? もしあなたが創作に行き詰まっているとしたら、あるいは評価されないと悩んでいるとしたら、いまあなたが書いている作品こそが、ぶち壊すべき“従来の自分”であり、“幻想”といえるのかもしれません。まるで禅問答のようですが、自己破綻、ゼロになる、すなわち「ハラが据わる」という状態に至るのは、もちろん簡単ではないでしょう。さまざまな葛藤や絶望感が生まれてくるでしょう。けれど葛藤や絶望を避けて変化は望めません。それらに身を晒す過程で従来のアイデンティティの解体が進み、「存在力」が入道雲のようにむくむくと増していき、ようやくハラの据わった状態に仕上がるのです。具体的にはまず、評価されたい認められたいと思う気持ちを捨て去り、気まぐれに褒めたりおだてたりアドバイスしてきたりと、調子よくお愛想で完結する人間関係に背を向けましょう。評価されることの一切を拒絶したときに見えてくる世界、そしてそこに立つ自分自身と出会うことが必要なのです。
吉福はさすが異端の人。世間一般の常識など5万光年の彼方に打ち捨ててきたのでしょう。夫婦関係なども従来の人間関係の最たるものとし、破綻させてしまえとガンガン奨め、その後当人がどうなるかについては「知ったことではない」と突き放します。ここまでいくと気持ちがいいですね。でも、突き放すばかりではありません。「現状維持を止めれば、変わらざるを得ない側面がいくつも出てくる。そこから新しい人生を始めればいいというのがぼくの考え方です」とも述べています。確かに、確かに……しかし、なんとハラの据わった境地でしょうか。天変地異に見舞われて一切合財を失った人のみがもち得る天下無敵の人生観のようにすら思えます。その域に到達するかどうかは別としても、この吉福の考え方は、何ごとかにおいて思考が膠着状態に陥り、前にもうしろにも進めないという者に対して、従来とは異なるものの捉え方を鮮烈に提示してくれるはずです。 たとえこれまでセラピーやトランスパーソナル心理学と無縁に過ごしてきたとしても、それが作家としての「存在の力」、そして「創作力」に活を入れる分野である気配は濃厚に感じられるのではないでしょうか。もしもいまあなたの筆が止まっているのなら、吉福の著作に触れてみてください。読んでいるあいだだけ「書ける気がする!」と思わせてくれる書き方ハウツー本とはちょっと異なり、鈍器で一発頭をやられて翌日目が覚めたら書けるようになっていた! なんてことが期待できる一冊であることは間違いありません。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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