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「人物描写」では人物のありのままの挙動を文字にして描くことが大切です。でも、同じことを「情景描写」でやっていては、客観性が立ち過ぎてまるで説明文を読んでいるよう。何より、写真や映像に太刀打ちできません。小説など文章がそうしたビジュアル作品に勝つためには、読み手の想像力を喚起して、脳内の網膜に情景を投影させることに成功する必要があります。
一般的に「景色描写」でなく「情景描写」と呼ぶのには、理由があるはずです。「人の心」に作用する〈何ものか〉が付帯しているか、そんなところが違いといえるでしょうか。次の一節を読んでみてください。夏目漱石の『倫敦塔』からの引用です。
この倫敦塔(ロンドンとう)を塔橋の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた古(いにし)えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく眺め入った。冬の初めとはいいながら物静かな日である。空は灰汁桶(あくおけ)を掻き交ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている。壁土を溶し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理に動いているかと思わるる。
(『夏目漱石全集2』筑摩書房/1987年――青空文庫より ルビは引用者による)
灰汁桶を掻き交ぜたような色
壁土を溶かし込んだように見ゆる
こんな表現に、読み手は何を感じるでしょう。どことなく侘しい空模様、悠然と流れる濁った川が浮かびあがってくるのではないでしょうか。「灰汁」や「壁土」という語が醸すのイメージ、さらには匂いや感触が、不気味なほどに「物静かな日」の様子を濃密に伝えています。
目に映るものだけが「風景」だとすれば、「情景」とは、たとえば私たちが海を眺めるときに同時に感じる、波音や潮の香り、海風の肌触り、ちょっとしたべたつき……などを含めた総体といえるでしょうか。画的な風景とともにそれらがない交ぜとなった状態で人の内面に入ったとき、心のうちに「情景」が映し出されるのでしょう。「情景描写」とは、視覚的に捉えられるイメージ情報とともに、他の感覚器官で捉えられる情報を描き込むことにほかなりません。
※この記事は弊社運営の【気軽にSite 執筆・出版の応援ひろば】掲載の記事を再構成して作成しています。
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