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冒険――それは古今東西、子どものみならず大人をもワクワクさせる魅惑のキーワード。童話や小説、漫画、さらにはゲームやアニメでも「冒険」は花盛り。なぜこうも、人々は冒険物語に心奪われるのでしょう。ダイナミズムとスリルに満ち溢れた非日常的体験が描かれているから? 確かに。でもそれだけではありません。子どもも大人も、その胸を躍らせる最大にして最重要の理由。それは、冒険物語が“未知”と出会うための旅であるからではないでしょうか。
ところで気になるのは、近ごろ「冒険」が大盤振る舞いされ過ぎているのではないかということ。巷間には換骨奪胎ならまだしも二番三番の煎じもの的ストーリーが溢れ返らんばかりで、“未知のもの”はいつも手を変え品を変えたお宝、特殊能力をもつスーパーヒーロー・ヒロインの独壇場……と、まあそれはそれで血湧き肉躍りもするのですが、どうも新鮮味に欠ける感は否めません。そんな次第ですから、「冒険」で育ち「冒険」を伝えていく現代人としては、ここらで“正真正銘”の冒険物語について考えてもよいのではないかと思います。そもそも、似たり寄ったりの物語からは、似たり寄ったりのイマジネーションしか生まれません。少年たちの自由かつ独創的なイマジネーションを涵養するためにも、「真の冒険物語」をもう一度見直してみようではありませんか。そのテキストに相応しい冒険物語として最初に挙げるのは、“古典”。それも創始の一作、元祖、筋金入りの古典です。
まずは、とても大きな1枚の紙をイメージしてほしい。
その紙の上に、直線、三角形、四角形、五角形、六角形といった図形があって、紙の表面を自由に動きまわっている。しかし、その紙の上へ立ち上がったり、紙の下へ潜ったりする力はない。これらの図形はまるで影のような存在で、固くてそのまわりの縁は光っている。
(エドウィン・A・アボット『フラットランド』牧野内大史訳/シンクロニシティクラブ/2016年)
ユークリッド空間などという言葉は見も聞きもしない子どものころ、四次元世界にそこはかとない興味をもっていたという人は少なくないのではないでしょうか。点と線で一次元、平面が二次元、立体になって三次元、そして立体にもう一方向別の軸(一般的には「時間」)をもつ四次元とは、二次元の人が三次元を知り得ないように、三次元の人にとっては永遠に視認できない世界なのです(概念上では認識できても)。それは、思考の領域にも、どれほど大胆な空想のなかにも、存在しない世界です。その不思議さにははかりしれない魅力がありました。1884年イギリス、神学者・古典学者のエドウィン・アボット・アボットは『フラットランド』を出版します。さまざまな図形が住む二次元の国が舞台の、多次元世界をこの世で初めて取り扱った物語です。ときはヴィクトリア期、図形の辺の数で身分が決まる国の話には、現実主義で凝り固まった当時の社会への痛烈な風刺が込められていますが、何よりこの作品は、科学的・論理的な意味において、果てしない未知の世界への扉を開く知的冒険の物語なのです。多次元という想像を超えた世界を、平易な物語のなかに解き明かしたアボット。それはアインシュタインの相対性理論に遡ること30年という革新性でした。冒険物語とは未来の予言なのではないか――と、そんな直感を得る『フラットランド』こそは、まさに想像力の画期的なパラダイムシフトを促す一冊なのです。
初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり。是の時に當て、勇臣八人有り。各犬を以て姓と爲す。因て之を八犬士と稱す。
(曲亭馬琴『南総里見八犬伝』原文)
日本において、その文学的成果から後世に最も影響を与えた小説が『源氏物語』であるとするなら、『水滸伝』から着想を得たといわれる曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、後世の冒険物語に最も影響を与えた作品といえるでしょう。実際、江戸後期に読本(よみほん)として出版されるや大人気を博したこの小説には、今日の小説、漫画、アニメ、映画、ゲーム……と数多の冒険物語の原型を見ることができます。怨念を宿しながら主君のために働いた犬と、その犬に望まれた姫。二者の関係のなかから出でた玉から生まれた八犬士の出会いと活躍。それらを飽くことなく描き切った物語は、何と100巻を超える大長編。馬琴は後半生のおよそ30年を本作品執筆に費やします。しかし冒険小説だからといって、この作品は単に一大活劇というだけではないのでした。森鴎外は『南総里見八犬伝』を聖書になぞらえましたが、聖・邪の二対構造はもとより、冒頭、里見家の当主が海から領地に上陸する暗示的なシーンから、処女懐胎の神秘モチーフ、奇想天外な寓話もかくあろうかと思わせる多数の動物キャラクター、天と地のイメージに、離散集結のプロット……と、壮大にして細緻な意匠のなかには深遠な思想がちりばめられています。まさに冒険物語の金字塔の名に恥じず、日本が誇る比類ない超大作です。
「ここは物語の世界だ」と、大男はいった。「ここはキタ・モリオとかいうやつが考えた物語の世界なんだ」
それから大男は、急に元気がなくなって、声をひくめた。
「じつはおれも弱っているんだ。キタ・モリオとかいうやつは、地理も歴史もちっとも知らない男らしい。だからこの世界はメチャクチャだ。おまけにおれの頭はこんなにデコボコにされるし、名まえだって、ヌボーなんておれはイヤだ」
(北杜夫『船乗りクプクプの冒険』新潮社/1971年)
昭和の子どもは船乗りになりたがったものです。パイロット、宇宙飛行士……と時代とともに些少の変化はあっても、冒険を実現する具体的なイメージはそもそも船乗り(海賊含む)でした。そんな子どもたちの期待に破天荒な仕掛けでもって応えたのが、その名も『船乗りクプクプの冒険』。北杜夫が1962年に発表した初の児童小説です。主人公タローが作家キタ・モリオの書きかけの小説の世界に入り込み、船乗りクプクプとなって、逃げ出した作家を捜しながら波乱に次ぐ波乱のハチャメチャな冒険を繰り広げます。ハチャメチャといったって無論デタラメなわけではない。あたかも作家が子どものころ胸躍らせた漫画の興奮を蘇らせたかのように、伸び伸びと奔放な想像力が揮われて、予測不能のストーリーを軽妙に編んでいます。容易に真似できないのが、ふんだんに盛り込まれたユーモア。ギャグと呼ぶのが似つかわしいパンチの効いたユーモアは、ナンセンスの手前ギリギリに踏みとどまる絶妙な味つけで、「どくとるマンボウ」で名を成した作者の面目躍如といったところです。先述のとおり本作品はメタフィクション構造をもっているのですが、小難しい文学的概念やら定義やらに怯む間もなく、ただただ、フィクション世界の無類の楽しさ、真に自由な創作とはこういうもの、と教えてくれる一作となっています。
小説家、漫画家、ゲーム作家にとっても、「冒険」は重要なテーマであり“飯のタネ”であるはずですが、そうはいっても「冒険」を創りあげることは簡単ではありません。冒頭で述べたように巷には冒険物語が溢れていますが、果たせるかな、実際に読者を喜ばせ感動させてくれる作品はほんの一握りでしょう。そして作家を目指すあなた。あなたは、そんな一握りの作品を楽しむことはしたとしても、ゆめ参考にしようなどと考えてはなりません。冒険物語の執筆に求められるのは、パイオニアの精神だからです。開明的な作品のなかにこそ真の創造性が存在します。だからあなたがそれらの作品から学ぶべきものとは、ストーリーテリングでもアイデアでもなく、その“創造性”ということになるのです。
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