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「寓話」という語の定義をご存じでしょうか。童話と違うの? おとぎ話みたいなもんだろ、とおおまかに解釈している向きもあると思われますが、正確にいえば「寓話」とは、動植物や自然の事象などの擬人化したキャラクターを登場させ、人間の生活に材を取って教訓的・風刺的に語る物語ということになります。となると、どうでしょう。これはそもそも、その本質を子どもが理解できるものではありませんね。実際、書店などに出向けば「大人向け」として種別される童話や絵本が存在しますが、だからといって「大人向け童話」は「大人にしか向かない童話」では決してありません。真に大人向けの童話とは、表現形式が平易ですから子どもは子どもなりに読め、成長するに従って新たな意味に触れられるようになり、大人になればようやくその本質が理解できる――と実に息の長い作品ということになります。そんなご長寿童話に着目しない手はないではありませんか。
さて、大人も子どもも読める童話の望ましい条件として、
1.表現が平易であること
2.内容に奥深さがあること
のふたつは欠かせません。上述したように、寓話はこの「大人も子どもも読める童話カテゴリー」に含まれますから、テーマは深遠でも、動物などを主人公に据え、比較的子どもが馴染みやすい世界を描いているといえるでしょう。他方、表現は平易ながら、子どもにとって新しい世界を開くような、大人向け童話のジャンルの存在も知っておきたいところです。それは……
たとえば小学校の校歌や童謡のなかには、案外子どもには難しい内容のものも見られますが、もとより言葉を聞き覚えて間もない子どもたちにしてみれば、耳慣れない表現も新しい世界も、取り立ててもの怖じする理由などないのでしょう。彼らはごく自然にこれらを口ずさみ、記憶し、成長していきます。「詩」についても、同様のことがいえます。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
(中略)
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
(谷川俊太郎『生きる』福音館書店/2017年)
詩人・谷川俊太郎作『生きる』は今年(2017年)の春に絵本化されましたが、このように上質な抒情を湛えた一篇の詩は、しばしば大人の鑑賞に堪える童話となります。それは、明確なストーリーラインや特定の主役を有することもなく、詩的情緒を醸す表現によって現実に即したイメージを喚起します。そうして、生きるための力や心の安らぎをもたらし、新しい世界を見せてくれる、対象年齢を問わない無二の一冊となるのです。
考えたことがありますか
じぶんにできることを
目は
世界を
しっかりと見ることができる
耳は
どんなつぶやきも
ききとることができる
口は
見たこと きいたことを
伝えることができる
(略)
考えてみませんか
じぶんにできることを
(レイフ・クリスチャンソン『じぶん』岩崎書店/1997年)
大人に人気の絵本シリーズを刊行しているのはスウェーデンの作家・レイフ・クリスチャンソン。いずれも読者にある問題を問いかけ、考えることを促す内容となっています。たとえば『わたしのせいじゃない』は、教室でいじめを受け泣く少年がいる状況について、大勢でやったこと、止められなかった、わたしのせいじゃない、と言い訳する女の子の姿を浮かび上がらせていますが、これはむしろ大人こそが直視すべき社会風景なのかもしれません。クリスチャンソンの作品を読むと、人がいかに大事なことから目を逸らし、考えることを怠っているかに思い至らされます。そして、自分を大事にすることとは人を大事にすることで、幸せになるということは他者を幸せにすることなのだという、ごくシンプルで明快な真理に読者は目を開くのです。
酒の肴の山海の珍味ではありませんが、子どものうちはちっともその魅力がわからずとも、年を重ねていくほどにしみじみと愛着が増していくものに“日常”というものがあります。特別なことは何もない、ともに暮らす者には、腹を立てたりイライラさせられたりが毎日の行事みたいだけど、ふと笑い合うひとときに、穏やかな幸せを感じる――そんな“日常”です。それは何の変哲もないように見えて、かけがえのないもの。すなわち大人向け童話の格好のテーマともいえましょう。
あさになったので まどをあけますよ
やまは やっぱり そこにいて
きは やっぱり ここにいる
だから ぼくは ここがすき
(略)
あさになったので まどをあけますよ
まちは やっぱり にぎやかで
みんな やっぱり いそいでる
だから わたしは ここがすき
(荒井良二『あさになったのでまどをあけますよ』偕成社/2011年)
荒井良二の『あさになったのでまどをあけますよ』は、慣れ親しんだ町の風景を綴っています。山あいの町、賑やかな町、自然豊かな町……。ふだん気にも留めずに過ごしている町の風景が、朝の清新な光のなかに浮かぶ様子を描いて、日々の生活が営まれる世界に改めて向き合わせてくれます。何気ない日常のなかにこそ、愛があり、喜びがあり、希望があるということを教える物語は、童謡のように優しいリフレインを奏でています。
フランス人には、一体に年をとるということに、意味や美しさを見出す国民性があるようです。それはどんな精神性に根差しているのでしょうか。17世紀フランスの詩人・モラリスト、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌはイソップ寓話で有名ですが、そのなかの一篇に『アリとセミ』(日本では『アリとキリギリス』として知られる)があります。この作品の古代ギリシャの原典がセミの怠惰を諌める内容であったのに対し、フランス人であるフォンテーヌは、セミが刹那的な楽しみを味わう姿に共感的なニュアンスを加えていますが、そんなところにも人生を謳歌するフランス的快楽主義が感じとれます。1分1秒をも人生の時間として味わい楽しみ、年をとるということが、そんな時間の証を刻むプロセスと考えられれば、老いを慈しむ境地に達せられるのかもしれませんね。
おばあさんは鏡をのぞきます。
「なんて美しいの」とつぶやきます。
顔はたくさんの歴史を物語っているのですもの。
目のまわりには楽しく笑い興じたしわ。
口のまわりには歯をくいしばって悲しみに耐えた無数のしわ。
しわ、しわ、しわ、いとおしいしわ。
四分の三世紀もの味わったわたしの人生の苦楽が刻まれた顔。
(スージー・モルゲンステルヌ『パリのおばあさんの物語』千倉書房/2008年)
フランス在住のアメリカ人作家、スージー・モルゲンステルヌの『パリのおばあさんの物語』は、岸惠子訳で2008年に刊行された作品ですが、10年ほどが経った現在でも高評価を得ているロングセラーの絵本です。物語には年老いた自分をいとおしむ老女の姿が描かれていますが、この女性は能天気な楽天主義者などではありません。ユダヤ人として生まれた彼女。苦難の道のりを歩んできたにもかかわらず、恨みごとや愚痴は一切漏らさず、ただ生まれ歳を重ねていまある自分をいとおしんでいるのです。「わたしにも若いときがあった。今は年をとるのがわたしの番」その言葉と老女の明るい笑顔は、老いと生きることの意味を優しく問いかけています。
こうしていくつものサンプルを取り出し見ていくと、大人としてのあるべき姿に改めて思い至らせてくれるのが、大人向け童話の定義と理解されてきます。それは換言すれば、子どもの読者に対しては“大人としてのあるべき姿”を知らしめているのですから、多分に実のある教育を授けてくれる童話といえるでしょう。そして現代の大人たちはといえば、大人としてのその立ち位置を見失っているのかもしれません。けれどそれだって、人間なのですから悪いことではないはずです。何よりいけないのは、目をつむってしまうこと、目を逸らすこと、そうしてそのまま大事なことを忘却の彼方に追いやり気を楽にして、忘れたまま気づかないままでいること――なのです。誰だって楽して暮らしたい、だけどいつまでもそのままってわけにはいかないでしょう? だってあなたは大人なんだから……と優しく教えてくれるのが、由緒正しき「大人な童話」の姿なのかもしれません。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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