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詩人の谷川俊太郎は、あるインタビューに答えて、詩とは音楽に近いもの、と語っています。言葉がなくても、心を揺さぶられたり気分がよくなったり、詩もそんなふうに書ければ理想、でも“言葉の意味”が邪魔してしまう――というのです。
ひるがえって読者である私たち。そもそも、詩なんて難解でその意味を捉えるのは一苦労だよ……と思っている人は少なくないのではないでしょうか。けれどそんなことはありません。詩のあるべき読み方とは、その“意味を探る”のではなく、詩文が奏でる旋律や言葉のイメージから“感じとる”ことなのです。いざ書く側に立った場合にも、そのような詩の味わい方、楽しみ方をまずは念頭に置いてみましょう。すると、俄然ズームアップされてくる技法が「比喩法」なのです。
「比喩法」や「修辞技法」などというと、たちまち技術論アレルギーの症状を呈する人もいるかもしれませんが、それは構え過ぎというもの。実は私たちは、「修辞」や「比喩」にかなり日常的に親しんでいるのです。たとえば、何気ない会話に登場する「それは言葉の綾(あや)よ」というひと言は、比喩使いが日常的であることを示しています。もっといえば、先生やら友人やらに見たまま感じたまま付ける“あだ名”の発想などはまさに比喩、というとなるほどと頷けるのではありませんか。このように、私たちはごく習慣的に“言葉の綾”つまり比喩を用いているのです。ならば、比喩法自体には元来さしたる抵抗も難しさもないはず。そうした日用品的な比喩法をベースに、詩人になりたいあなたが、もしも「いま以上」に詩作のレベルアップを図りたいと思うなら、原則的な詩の作法(さくほう)について理解を深めておくことをお奨めします。
比喩にはざっくりとわけて「直喩」と「隠喩」がありますが、詩作をするにあたって重要なのは「隠喩」(「暗喩」「メタファー」ともいわれる)です。なぜ? 「直」でも「隠」でも大差なく立派な詩が書けるのでは? と疑問に思う人もいるかもしれませんが、ここは大事。この「直喩」と「隠喩」の違い、またそれぞれの役割こそ、よくよく咀嚼しなければならない点なのです。
「直喩」とは文字どおり直接的なたとえ、「疲れて足が棒のようになった」「彼の髪は日向みたいな匂いがする」といったものですが、では、表現に目一杯気を配ったつもりで、こうした直喩を詩にちりばめたとしたらどうなるでしょう。
宝石のように輝く星空の下
ふたりはひとつの影のごとく寄り添い
互いのあたたかさを春のように感じていた
ふたりだけの世界はまるで天国だった
どうです? ありったけ、てんでんばらばらに直喩が仕込まれた詩文はいかにも野暮ったく不協和音さながら、読めば思わず眉をしかめてしまうのではないでしょうか。では隠喩となるとどうなるのか、著名な童謡詩をわかりやすい例として挙げてみましょう。
シャボン玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
シャボン玉 飛ばそ
(野口雨情『シャボン玉』/『野口雨情 第四巻』収載/未来社/1986年)
野口雨情の『シャボン玉』に直喩はひとつもありません。またフレーズ的には隠喩も含まれていません。では、この作品に比喩が用いられていないかといえば、そんなことはありません。シャボン玉が屋根まで飛んだり飛ばずに消えてしまったり――と幼子がシャボン玉で遊ぶ情景に、あなたはどんな印象を受けるでしょうか。野口雨情は、この詩全体にどのような隠喩を込めたのでしょう……実はこの詩を書く以前、野口は生まれたばかりの長女を亡くしていました。それゆえに、『シャボン玉』は命短かったわが子への鎮魂の詩であるともいわれています。しかし、隠喩とはその名のとおり“隠された喩え”ですから、誰もが同じように読み解くとは限りません。『シャボン玉』を純真な時代の隠喩と見ることも可能です。詩の読み方(味わい方)としては、それでよいのです。友との別れの悲しみを詠うとき、あるいは厭世感をテーマとしたとき、それぞれにまったく異なる抒情を詠いあげるのに、「走りゆく列車の姿」という共通のメタファーに思いを託して表現することだってあり得るわけです。詩人が確かな視点をもって隠喩を用いて詩を書く、その詩がさまざまなイメージを呼び起こす――そうして一篇の詩の世界は、果てしない広がりを見せていくのだといえましょう。
数年来私はひとつの卵を抱きつづけてゐる
あるとき気がつくと卵を抱いてゐたのである
卵が暖かいので気がついたのである
私は冷たかった
鶏卵のように私は冷たかつた
だんだん冷えあがつて私は凍死しさうだつた
その私を私の抱いた卵が暖めてくれた
そして今日の日まで私は生きのびたのである
そしてそのため暖かい卵はまだ孵化しない
(高見順『私の卵』/『高見順全集 第20巻』収載/勁草書房/1974年)
上の詩を書いた高見順にとって、詩とは「自己の生きる意識の追求と把握と再検討のようなことのくり返し」であったと作家で文芸評論家の伊藤整は述べています。プロレタリア作家として文壇に登場した高見が、詩を書きはじめたのは40代に入ってからでした。治安維持法で検挙され、戦前の浅草を描いた代表作『如何なる星の下に』が高い評価を受け、陸軍の報道班員として戦場を見たのちのことです。そんな彼の激動の日々を思うとき、抱きつづけているうちに逆に「私」を暖めてくれたという「卵」の、(卵なのに)包容的で優しい存在性がまざまざと感じとれる気がしてきます。またこの詩を読む者にとって、その「卵」の隠喩はさまざまに受けとめられることでしょう。ただひとつ変わりないのは「卵」の暖かさ。何かを生み出そうと思いながら、やがて冷えてしまった心身を救ってくれた「卵」。それが意味するものは、誰もが胸に覚えがあることでしょう。つまりこの“卵を抱く”という行為が、この詩の隠喩であるわけですが、そこからは「比喩法」がただの技法ではなく、詩作者の実感や知覚に深く結びついたものである事実がわかります。
われわれの比喩造出の行為を詩の領分での特別な行為と考えるのは誤りで、言葉そのものが比喩を媒介として生成してきたのであり、言葉の生命は比喩そのものでもあると考えるほうが正しいと言えます。このように考えるほうが、言葉の意味を豊富にする人間の精神の生動感に立ち会う術でもあると思います。
(吉野弘『詩のすすめ――詩と言葉の通路』思潮社/2004年)
苦しい辛いという感覚は「針」なのか、「ボロボロに振り絞られた布」なのか。愛する喜びは「潮満ちる朝の海」か、「暖炉にはぜる火」か。はたまた志を抱く心は「水平線を目指す舟」か、「静かに澄んだ湖」か――。隠喩とは、心のなかに実感的なイメージとして存在している「言葉の生命」となるものです。そして、詩の「比喩」となる「言葉の生命」を掴むには、常に精神を活き活きと働かせること――詩人になるためには、そのことの理解が何よりの財産となるはずです。
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