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“笑わせる”エッセイの書き方

2017年11月30日 【エッセイを書く】

“くだらなくて大切”それが「ユーモア」

「ユーモア」について、もしかしたら私たち(とりわけ日本人)は、勘違いしているところが少なからずあるのかもしれません。たとえばテレビ番組やネット動画で、失敗をしたり意外な行動をとったりする動物や人間の姿を映し笑いを集めることがありますが、それは無心な赤ん坊の仕草に笑みを誘われるのと同質で、洒落や冗談を意味する「諧謔(かいぎゃく)」に近い本来の「ユーモア」とは、明らかな相違があるように思われます。風刺喜劇で知られるフランスの劇作家マルセル・パニョルは「自然界には笑いの源泉はない。喜劇的なものの源泉は笑い手の中にある」という言葉を残しました。これつまり、文章におけるあらまほしき「ユーモア」とは、“天然”の姿からではなく、人間の想像力、言語に対する感覚や知識によって生まれ受けとられるもの――ということになりましょう。だとすれば、それこそがユーモアエッセイを書くときに、執筆者が堅持すべき姿勢だといえます。

それでも――ユーモアエッセイ? ハハ。そんな軽い文章は啓発もされないし、読んでも何も残らないし、時間の無駄じゃないか――と懐疑的なあなた。あなたはまるっきり勘違いしています。そもそもユーモアエッセイは、哲学的啓示を求めて手にとるものなどではないのですから。確かに上質なユーモアエッセイを読んだとしても、ひとしきり笑うくらいで何も残らないかもしれません。いってみれば、くだらないものなのかもしれません。しかし、人生と人間には、くだらなくておかしいもの、何も残さないぽっかりとした余白が必要なことは明白です。それはちょうど、「水」ほどにとはいわないまでも、一休みの「お茶」ほどには。それがユーモアというものの、欠くべからざる効能の本質です。

哲学志向のユーモアは奥深い?

まずはユルくなり過ぎないように、「哲学」の二文字を織り込んでお話をはじめます。文芸評論家小林秀雄に多大な影響を及ぼしたフランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、“笑いのつくり方”について「繰返し、ひっくり返し、交叉を解説した上で独自の具体例を作成せよ」(『笑い』岩波書店/1976年)と指南しました。「繰り返し」は漫才などでもよく見られるのでフムフム……と。「ひっくり返し」とは、立場や役割を逆にしたり状況を反転させたりすることです。例を挙げるなら、若い女性社員が社長の淹れたお茶を「マズイ!」と吐き捨てハイヒールで足蹴にしたり、しめやかなお葬式が何かのきっかけで一転し、クスクスと忍び笑いを誘う場になってしまったり、そんなコントは昔からよく見られます。最後の「交叉」とは、それぞれ別個として存在するものが偶然にも行き合うような状況の符号性をいいます。たとえば、痔の治療に訪れた医院のついたて越しに隣り合わせた中年男ふたりが、その昼には立ち食いそば屋で、その晩には碁会所でとたびたびニアミスしてしまうなどといったことです。またまた下卑たネタで笑いを……と顔を顰めないでください。ゴールデンタイムに居並ぶ大衆向けのお笑い番組を好む好まないは別として、それらがすべて創作物であることはおわかりになるでしょう。「作成せよ」と論じるベルクソンの言葉は、冒頭のマルセル・パニョルと同様、笑いとは“自然”ではない場所で産み落とされるものであることを示しています。

“笑いの哲学的分析”のあとで登場するのは、「笑う哲学者」の異名をとる土屋賢二。雰囲気異名ではなく本物の哲学者である氏のエッセイは、哲学的考察によるものなのか、はたまた哲学とは何の関係もなく氏の嗜好のなかから生まれた作風なのか、理路整然と築かれているようでいて実は人を食ったようなスパイシーな複雑味があります。

女はみな、美しい。たとえ確信が持てなくても、1センチ四方で探せば必ず美しいところが見つかるものである。しかも、女性はその美しさに日々磨きをかけている。それに対し、つねに女性の美しさを賛美するのが男の義務である。机や生ゴミなどにも抵抗なく言えるように練習しておこう。
(土屋賢二『われ笑う、ゆえにわれあり』文芸春秋/1997年)

この一節に見られるのは、“哲学”とユーモアの融合といえるか、いやそもそも哲学とは何ぞや、とムズカシイ学問の一側面をチカチカ照らすような、あるいは煙に巻くようなユーモアです。天の邪鬼然とした氏のもち味全開というところでしょうか。ベルクソンの指南に照らしつつ読んでみるのも、ちょっとしたユーモア研究になるのではないかと思います。

ユーモアの絶好の素材、ああ家族!

“笑い死に”の記録は古代ギリシャの昔から残るそうですが、「馬鹿笑い」「笑いの発作」といった言葉もあるとおり、「ユーモア」には「爆発」という形容が随伴しがちです。“爆笑〇〇”といわれればついつい食指も動くというもの。文芸だから……とたとえ品よく身なりを整えたところで、エッセイだってまた同じです。そんな爆発力のあるユーモアエッセイで名高い一人が、友人西原理恵子をして「元人間のクズ」といわしめたゲッツ板谷。文字の下に常に爆裂的パワーを秘めて読み手の期待感をいや増すそのエッセイの主題は、「家族」。確かに――、と納得する向きもあるでしょう。そう、家庭とはハートウォーミングなほのぼの世界であると同時に、爆発的笑いの鉱床でもあるのです。

バアさんはオレの友達が遊びに来ると、サイ牛と命名したサイダーと牛乳を混ぜたモノを必ず出してくる。一度、「そんなモノは出さないでくれ!」と本気で注意したら、ネーミングを「牛ダー」に変えてまた出してきた。

親戚の結婚式で、新婦に花束を渡したセージが「ボクは将来、何になりたいの?」と司会者に尋ねられ、真顔で「馬!」と答えたのが10歳の時。
ホチキスを借りようとして奴の机の引き出しを開けたら、1段目も2段目も3段目もすべて爆竹だけがギッシリ詰まっていたのが13歳の時。
(ゲッツ板谷『板谷バカ三代』角川書店/2003年)

単に個性的と呼ぶには濃すぎる家族の“色”は、板谷氏の目を通したからこそ一段と鮮やかなドギツさを増したといえましょう。氏のエッセイを読んでいて単純に気づかされるのは、凝視の視線とデフォルメの力。氏は「バアさん」や弟の振る舞いをじっと凝視し、その面白さが強調されるようデフォルメします。爆裂的エッセイだけに、ユーモアとはすなわち「観察力とモチーフをデフォルメする造形センスの妙技」なのだということがよりはっきりとわかります。

ユーモアエッセイを“ガス抜きウェポン”たらしめよう

中島らもは「ユーモア」について次のような持論を述べました。
「一種の武器なんですよね。相手をガス抜きしてしまう。相手のきっちりした筋肉をグニャグニャにしてしまう」
この言葉は、それ以上でも以下でない、ユーモアの本質をいいあてています。

笑いはそれがどんな笑いであれ、根底に劣者への差別を含んでいる。(中略) 笑いは差別であるが、必要な差別なのだ。
(中島らも『砂をつかんで立ち上がれ』集英社/2005年)

「ガス抜き」とは、笑いにより心と身体を気もちよく弛緩させること。ここでの「差別」とは、無論人を不快にさせるものとは別物です。それはいわば、おもしろくないもの/おもしろいもの、常識的なもの/非常識なもの、凡庸なもの/異色のもの、を見分ける「差別」であり、ある人にとっては微妙なものが、別のある人にとっては明確であるというような「差」に着目することが、ユーモアエッセイを書く第一歩といえるのかもしれません。

夏目漱石が「ユーモアとは、人格の根底から生じるおかしみである。(中略)ユーモアを有している人は、人間としてどこか常識を欠いていなければならない。常識を欠かないで、尋常一般の行動をしていたならば、いつまでたってもユーモアの出てくるわけがない」(「文学評論」『夏目漱石全集10』岩波書店/1975年)というように、ユーモアは人間的性質にも深く関わっているものでしょう。型破りでも大真面目でもよいけれど、最大公約数的な考え方や行動からユーモアは生まれにくいものです。その意味では、ユーモア製造力を高めるということは、大袈裟にいうと常識的自分を打破する人間改革であるのかもしれません。

理屈抜きに人間の心が欲する――それがユーモアです。人はユーモラスな出来事を、まるで人生の大きな楽しみのひとつのようによ記憶しているものです。心をほのぼのと温めてくれるものあり、何度思い返してもプッと吹き出さずにいられないものあり、死ぬまでとっておきのエピソードとして温めたるものあり。笑いは免疫力もアップさせるし、笑う門には福も来る、笑いのない人生ほど虚しいものはないでしょう。そんな笑いを、手軽に提供し幾度も楽しませてくれるのがユーモアエッセイ。そこでものをいうのは、想像力、知識、自分ならではの思考法、観察眼、デフォルメ力です。

さあ、ユーモアに懐疑的であった方も、肩の力がほどよく抜けて、ユーモアエッセイを読みたい、なんなら書いてみたい――なーんて気分にもなったのではないでしょうか。ただし、ユーモアエッセイを書きたいなら、一人芝居に終わらないよう、そこだけはよくよく注意してくださいね。ユーモアエッセイを書こうとしたけれど、ちっとも笑えないじゃない、なんで――? と思案している堅ブツの書き手も取り込んだ全体的状況が、むしろユーモラスに感じられてしまいますから。でも、それでいいのだと思えるくらいに大きく構えて、さらには知性とセンスを磨いて、腕利き“ガス抜き師”を目指すことができれば、読者もハッピー書き手もハッピーなユーモアエッセイストがひとり誕生するのではないでしょうか。

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